「内定ゼロで卒業」「面接官5人中4人が不採用」それでも“女子アナ”になれた44歳芸人の就活すべらない話【その後、社内恋愛で失敗して…】〉から続く

「トマトを食べて『赤い!!』など、当たり前のことを全力で言うだけでなんて面白いんだと。リアクション芸に感銘を受けました」

【衝撃写真】乳がん→乳房再建手術から12年…「水着を着れるほど」元気になった元女子アナ芸人

 女子アナとして順調に見えたキャリアを捨て、「人を笑わせたい」と芸人の道へ──。その決断の裏には、ある有名タレントとの衝撃的な出会いがあった。「もったいない」と引き止められても、なぜ挑戦を選んだのか。

 アナウンサーから「お笑い芸人」へ。大胆すぎるキャリアチェンジを遂げた、小林アナ(44)のインタビューをお届けする。(全4回の2回目/続きを読む)


女子アナだった彼女はなぜ芸人に?(写真:本人提供)

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パンチ佐藤との衝撃の出会い

――退職の決め手は何だったのでしょうか。

小林アナ 入社3年目に、ロケ番組でパンチ佐藤さんとご一緒したんです。トマトを食べて「赤い!!」など、当たり前のことを全力で言うだけでなんて面白いんだと。リアクション芸に感銘を受けました。「私もこんなふうに人を笑わせたい」と強く思うようになり、「芸人になりたい」と考えるようになったんです。

――アナウンサーの肩書きを捨てるのは、惜しくなかったですか?

小林アナ 当時も「もったいない」とよく言われました。もしかしたら、一般的な感覚とは優先順位が違うタイプなのかもしれないのですが、私は何よりも自由を奪われることが苦手だったんです。決まった原稿を正確に読むよりも、「パンチ佐藤さんみたいに、思いのままに飛び立ちたい」と感じるようになってしまいました。

――退職後は、どうやってお笑い芸人を目指したのでしょうか。

31歳で乳がんに

小林アナ 芸人を目指す決心が固まったときには、有名なお笑いスクールの生徒募集は締め切られていました。そこで、「ヒューマンアカデミー」のお笑い芸人養成講座に通い始めました。最初はネタの作り方も分からず、探り探りでしたね。講師の方からキツくダメ出しされることもあり、落ち込むこともありました。

 コンビを組み、約1年後に講座主催の公開オーディションでサンミュージックに声をかけていただきました。その際、「君たちは多分解散するから、ピン芸人としてきてほしい」と言われ……。悩みましたが、相方と話し合って、ピン芸人として所属することになりました。

――アナウンサーからお笑い芸人になったことで、戸惑いはありましたか?

小林アナ それが、アナウンサー時代から先輩後輩の上下関係を経験していましたし、あまりギャップを感じなかったんです。バラエティ番組に出演した経験があったことも大きかったと思います。

 ただ、芸人として本当に開き直ったのは、31歳で乳がんになった時でした。何事に対しても大きく構えられるようになり、「お笑いでスベっても死なないじゃん」と思えるようになったんです。

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 31歳のときに突然、告知された「乳がん」。医師から「全摘出」を勧められた彼女は──。

〈「もしあなたが私の妹だったら全摘を勧めます」医師から乳がんを告知されて“頭が真っ白”に…31歳で「乳房摘出」の彼女が希望を取り戻せたワケ〉へ続く

(都田 ミツコ)