宮城・津波被害の校舎と広島・原爆ドーム “子どもたちの声”で保存へ
東日本大震災で津波にのまれた小学校を、原爆ドームのように長く保存しようと遺族たちが活動しています。津波で娘を亡くした男性は、初めて訪れた広島で何を感じたのでしょうか。
■宮城・石巻市在住 只野 英昭 さん
「大川小学校遺族の只野英昭と申します。」
壇上に立った只野さんは、ドキュメンタリー映画の上映会に合わせて宮城県石巻市から訪れました。
15年前の3月11日。
「学校大丈夫か、学校」
川を逆流してきた津波が町を飲み込み、逃げ遅れた大川小学校の児童74人、教職員10人が犠牲になりました。
只野さんは当時3年生だった長女と妻・父親を亡くしました。
上映されたドキュメンタリー映画は、震災後の校舎と遺族たちの姿を追った作品です。
■遺族の男性
「もっと大きい気持ちで見ると校舎は残った。あの震災で傷つきながらも遺したんですよ。」
津波の爪痕が残る校舎を一日でも長く遺したい。
只野さんたち遺族は2025年から、各地で開く上映会などを通して募金を集めています。
只野さんにとって初めての広島訪問。上映会の他にもう一つ、大きな目的がありました。それは、原爆ドームです。
■原爆資料館の元職員 菊楽 忍さん(67)
「オリジナル部材の鉄骨は茶色なんすよ、こげ茶色。補強で入れたのは真っ黒なんですよ。」
原爆資料館で長年、職員をしていた菊楽忍さんに案内してもらいました。
大川小学校を原爆ドームのような「負の遺産」に・・・。只野さんたちはヒロシマに学ぼうとこの場所を訪れました。
■宮城・石巻市在住 只野 英昭 さん
「(大川小が)遺構になる前なんて、校舎の中によく掃除をしに一人で入ってたけど、亡くなった子どもたちに会いに行っていた。自宅も流された。だからこそ、息子と同じで俺も校舎を遺したかった。」
きっかけは津波にのまれながらも生き残った只野さんの長男・哲也さんの訴えでした。
■只野 哲也 さん(中学3年生当時)
「広島の原爆ドームが原爆や戦争の愚かさを伝えてきたように、大川小の校舎も地震や津波の恐ろしさ、命の大切さを何十年、何百年、何千年と、後世の人々に伝えることができるきかっけになればいい。」
校舎を残すことに反対する人も多かった遺族たちの考えを、子どもたちの訴えが変えました。
この日、只野さんはある人から話を聞くことができました。
■只野 英昭 さん
「こんにちは。只野と申します」
■三上 栄子さん
「三上です。遠くからようおいでになりました」
広島市に住む三上栄子さん。高校生だった約60年前、原爆ドームの保存を訴え、署名を呼び掛けた一人です。
■三上 栄子さん
「原爆ドームを遺すのに、楮山ヒロ子さんという方が16歳で亡くなって」
■只野 英昭 さん
「白血病で亡くなったんですよね」
楮山ヒロ子さんは、1歳のとき、爆心地から1.2キロの自宅で被爆。16歳で亡くなりました。
その前年の8月6日に残された日記が、運動のきっかけでした。
“あの痛々しい産業奨励館だけが、 いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか”
1960年、楮山さんの遺志を受け継ごうと、地元の高校生たちが立ち上がります。
地道な活動が6年後、原爆ドームの永久保存へとつながりました。
戦後の資金難の中、広島市の浜井市長は当初、保存に後ろ向きでした。
■三上 栄子さん
「どうして残すのか?なんで残すのか?あの時のことを思い出すから壊してほしいという意見が、広島市民の中には多かった。だから崩れかけたままの状態が何十年かある。心を変えた。市長さんの心を」
■只野 英昭 さん
「周りの遺族のことを考えれば、見たくないと言われて当然だけど、(息子たちが)地域の話し合いの場で、ちゃんと意見を述べてくれて。それを聞いた大人たちが『子どもたちが、ここまで言うのに壊すわけにいかない』となって、票がひっくり返った」
■三上 栄子さん
「もし息子さんが声を上げなかったら、たぶん壊されてると思う。」
■只野 英昭 さん
「もちろんそう。息子が遺してくれたと思っている。」
■只野 英昭 さんの長男・哲也 さん
「(山の)斜面に体をたたきつけられるような感じで津波にのまれて、息ができなくなって気絶してしまった。」
大川小学校の校舎の保存を訴えた只野さんの長男、哲也さんは4年前、NPО法人を立ち上げ、自身の経験を伝える活動をしています。
■只野 英昭 さん
「6年くらい前に一度、息子が(広島に)来ている。原爆ドームに。語り部をするのであれば、覚悟を決めなきゃだめだよと(誰かに)言われたみたいで。つらいことこそ伝えていかないといけないと思う。大川小学校をちゃんと伝えて、二度と繰り返さないようにする場所にしていかないとダメなんだ。」
2人が足を運んだのは高校生たちが、その前でドームの保存を呼び掛けた「原爆の子の像」です。
大川小学校の校舎を石巻市は、できる限り手を加えず保存する方針ですが、只野さんたち遺族は補修しながら「恒久保存」することを目指しています。
■只野 英昭 さん
「この原爆ドームのお話を聞けて、本当に来てよかった」
■三上 栄子さん
「『頑張れ』としか言えない部分はあるけど、大変だと思う。これからのほうが。」
■只野 英昭 さん
「そうですね。(息子と)二人でまた来てみようかなと思う。」
悲劇を記憶し、繰り返さないために後世に残す。被爆地と震災の被災地の思いが重なります。
【2026年4月22日 放送】
