「金城の響きがかっこよかったから」ラッパー荘子itが語る、「高次の遊び」としての改姓と崇高な人生への賭け
日本で結婚時に男性が女性の姓に改姓するケースは約5%に過ぎない。その数少ない選択をした夫婦の事例として、漫画家・鳥飼茜さんのエッセイ集『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』(文藝春秋)に登場するのが、鳥飼さんの『サターン・リターン』(小学館)の担当編集者である金城小百合さんと、その夫であるラッパーの荘子itさんだ。
荘子itさんはなぜ金城姓への改姓を選んだのか? 荘子it・金城さんの結婚生活を近くで見守る鳥飼さんが二人の波乱含みの関係に切り込みながら、既存の「リベラル」や「ケア」という言葉では掬いきれない、「より良くあろうとする」ための言葉を交わし合う三人の対話。
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究極の「高次の遊び」としての改姓
鳥飼 荘子itさんと金城さんの関係は、ふたりが結婚する前から私は近くで見てきました。荘子さんは突然目の前に現れたし、最初は金城さんより一回りも年下なことに偏見もあって、大丈夫なのかなと心配していたんですよね。

鳥飼茜さん
荘子it (笑)。そりゃあ鳥飼さんも警戒したと思うんです。でも実際に付き合い始めた後は、僕に対しても偏見なく、共通の友人として客観的な立場から二人の関係に意見を示してくれたのが、とてもありがたかったです。
鳥飼 関係を修繕しながら構築している二人の関係を今も一番近くで見守っています。ところで今日は、本の中でも書いたのですが、お二人の結婚の改姓について改めて聞きたくて。荘子さんが金城さんの姓に変えたのはどういう経緯だったんですか。
荘子it そうですね。別に小百合さん(金城さん)と結婚にこぎつけるために「僕が名字を変えますよ」と献身的に言ったわけじゃなくて。「金城」っていう名字の響きがかっこいいし、名字を変えるのも楽しそうだな、というくらい改姓への抵抗感がそもそもなかった。偶然のひらめきというか、たまたま自分の思いを言ったら、それがその時の状況に奇跡的に合致しただけという感覚なんです。そういう時には、それでいくしかない。
金城 でも私にとってはすごく大きいことだったよ。金城は沖縄ルーツの名字なんですが、沖縄を離れているだけに、結婚して相手の名字になったら「この名字がなくなってしまう」と思っていたから。その不安に寄り添ってくれる人は今までいなかったし、自分が金城になるよ、と言ってくれたのは荘子くんが初めてでした。
荘子it ある種、無責任なところもあったんだろうね。
金城 ある種というか、その後のことを考えると本当に無責任だった(笑)。「親も金城姓になっていいと言っている」なんて言っていたけど、ご両親に説明しに行っては何度もダメだと言われ、結婚を反対されて。
荘子it だからこそ、この名字を大切にしようという気持ちもある。意識的に頑張ったというより、究極の「高次の遊び」というか。理詰めで「これが正義だから」「リベラルだから」ということで人生の決定をするよりも、ただ気が向いて、それがすごく心地いいと感じたことが結果的にこういう大きな契機に結びつく。そういうある意味では遊びみたいな感覚で、まったく無根拠に人生を彩るって、ある意味一番嬉しいことじゃないですか。
無責任と表裏一体であることは自覚してますが、だからこそ、変な負荷なく妻の親戚や、ルーツである沖縄という土地にも、門外漢の僕が自然に愛着を育めているところはあるかもしれません。
「進歩的」というラベルへの抵抗
鳥飼 荘子さんの理屈じゃないところから出た言葉だったからこそ、金城さんも救われた部分があったんじゃないかな。
とにかく荘子さんは悪く言えば軽はずみ、良く言えば「やってみよう精神」でやってみたわけですよね。人生は自分のものだから、なんでもやってみたらいい。それって素晴らしいと思うんです。でも一方で、金城姓に変えるという結論に対して、親の反対を含めて世の中の反応が如実に現れてきた。そのときはどう感じましたか?
荘子it 予想しようと思えばできたのかもしれないけれど、あえて考えないようにしていましたね。でも実際に蓋を開けたら、親からは保守的な反応があるし、世間からは「進歩的なことをしている」って奇異な目で見られる。その両面があった。
鳥飼 それに対して、弁明してまで「わかってほしい」という気持ちはありましたか? 「自分は意義があってこの選択をした」と示したいのか、それとも「わかんなくても面白い」で突き進むのか。どちらでもいいと思うけれども、そこがちょっと見えづらい(笑)。
というのも、私も3度目の結婚に際して他とは違う道を選んだわけです。姓を変えるのがうんざりなら事実婚にするのが自然だったかもしれない。でも、それでも法律婚を望んだ私は、自分の元の姓でもなく新しいパートナーの姓でもなく、新たに姓を創るような道を選んだ。ではなぜそんな制度をハックするような選択をしたのか、といういわば弁明としてこの本を書いたわけですね。それに対して、もちろん突っ込まれもする。この選択をわかってほしい思いもあるけれど「全然わかってもらえなくてもいい」という気持ちもある。
荘子it 鳥飼さんと同じで、僕も好きにやってるだけで必ずしも社会を説得したいわけじゃないし、共感してもらうのも難しいだろうけれど、でも場合によってはそれができるくらいの説得力がないと、自分の中での満足も完全にはできないところがありますね。
金城姓を選ぶという「高次な遊び」は、いわば崇高な人生に対する賭けです。人生に希望を託している。それが単に”リベラルな選択”みたいな社会的な意義に還元されて伝わって、括弧付きの「進歩的な(ふりをしてる)人」と思われるのは、社会にとっても自分にとっても良くないなと。自分の行動の細かいニュアンスや面白ポイントが、自分の中だけでも限界まで説明できる形であってほしい。
鳥飼 作品を作るのもそうですよね。社会は説得できないかもしれないけれど、この作品を読めば真価がわかるよね、という用意はしておく。自分の中ではやりきるけれど、究極的には社会の承認は求めないというか。
金城 ちなみに、進歩的な男性だと思われるのは嫌なの? 下の世代を見ていても、私はリベラルな男性が理解してくれることに憧れがあるけれど。
荘子it やっぱりカギ括弧付きの「進歩的」っていう、社会に流通している言葉を使われると、どうしたって自分の内面や実情とはズレるから。そういうの全部割り切って引き受けるという境地の人もいるだろうけど、少なくとも今の自分はそうじゃない。
鳥飼 それは、自分がありたい自分であることと、他者にどう思われるかということの差ですよね。周りの声が大きくなるとどうしても他律的になってしまう。私が『先生の白い嘘』で性暴力を描いた時もそうでした。いろんな人が「鳥飼さんはフェミニストですね」と言って褒めてくれる。結果的にはそうなんだけど、私の中では、ただただ女性を取り巻く内なる「嫌さ」を書いただけなのにって。ちゃんと自分の中で咀嚼できないうちは、これはフェミニズム作品だとは言えない、みたいな感覚が長く続きました。
荘子it 音楽でも「プログレッシブ」って言葉があるけど、やっぱり嫌ですね。それがジャンルになった時点で、奇抜さが好きな人が聴くものっていう枠に収められてしまう。
鳥飼 私も最近はフェミニストと言われるのも、いったん受け入れてもいいかなと思えるようになりました。違うと思う時には「違う」と言えばいい。でも荘子さんの年代だと、まだ何かのカテゴリーに入れられたくないという抵抗感があるのもわかります。
金城 それでも女性の権利を考えることは何もダサいことじゃないじゃない?
鳥飼 外に対しては別のフラットな語り方でもいいけれど、一緒に暮らしている人間にはそんなの関係なくピュアな内面の良さで勝負してほしいよね。
修繕し続ける関係と、オープンにする強さ
鳥飼 ところで私がこの本を書いて一番感じたのは、結婚生活のさなかの、喧嘩や揉め事を赤裸々にでもオープンにすることの大切さについて。
自分たちの状況を「見える化」して外に出して、人に助けを求めることができれば、解決に少しでも近づけるかもしれないなと、不祥事を隠しがちな日本の企業体質なんかを考えてみても思うんですよね。荘子さんと金城さんの関係を傍で見ていると、壊れたり軋んだりする部分をその都度「修繕」しながら、自分たちの関係を構築し直している感じがします。
金城 今も週の半分くらいは一緒にいるけど、今年に入って別居生活を始めたんですね。
荘子it 日々の生活上のトラブルから喧嘩に発展してしまうことが多く、なんとかしたいけど、前は別居したらそれこそもっと関係が悪くなってしまうと思っていたんです。似たような理由で別居という方法は試さず、先日いきなり離婚の選択をして後悔している人の話も聞いたりしたから、今は物理的にいったん距離を置いてみるのを試しています。
金城 それはとりあえず、今日明日の生活を平穏に過ごすためです。
鳥飼 そのときに私が特に素晴らしいなと思うのは、二人の間で起きているままならないプロセスを金城さんが完全に閉じた状態にせず、「困っている」と外に向かって話せること。これは金城さんの強さですよね。ただ、そこで気になるのは荘子さん側の視点です。こうして内側を晒すことへの抵抗感はありますか? あと何かカウンセリングに行くなり、誰かに相談することはあるのかどうか。私の息子にしても、病院に行ったり人に話すのを嫌がるところがあるから。
荘子it 僕もそうだけど、男性は一般的に不調をそのまま相談するよりも、不調な時にも元気な部分を認め合うことで回復したい、という傾向があるのかもしれない。その方が気は楽なんですよね。でも、それで問題をペンディングし続けると、根本的な歪みが改善しないままだから、やはり意識的に相談はしたほうがいい。
「ケアの香り」がきっかけで「バッドに入る」
荘子it 最近、ケアの大事さは理解しているつもりなんです。でも、日常にケアの香りが漂ってくると、逆にしんどくなることがある。今自分の辛いところに誰かが優しく介入してきているな、と感じるだけで、それがきっかけで「バッドに入る(ひどく落ち込む)」サイクルに入ってしまうというか。
鳥飼 介入されること自体が、負のスイッチになってしまう?
荘子it そう。「それは悪しき男性性だから克服しよう」と言われても、ある種の男にとっては生理的な反応としてあって、蓋をするのが難しい。それを回避するのが、一段上のレイヤーに変換して捉える方法です。例えばあえて「健康がいま一番ラディカルだ」と言ってみたり、筋トレ的な文脈に乗せてみたり。言ってしまえば、そうやって「カジュアルにスマートに癒やされている俺、かっこいい」という形に持っていかないと、自分すらケアの場に勧誘できないんです(笑)。
鳥飼 なるほど。世の中で語られているケアのイメージが、「自分のためにお茶を入れてあげる」みたいなこれまでの女性文化の文脈的なものに偏っていて、男性の場合はそれとはやり方が違うのかもしれないですね。
荘子it もちろんケアは大事なんだけど、今の「悪しき男性性批判」と「ケア」の文脈が密接に合体しすぎると、結果的に女性的なケアのあり方しか正しくないという話になりがちだし、それだけを突きつけられると難しいと感じる男性も多い。だから福尾匠くんを誘って一緒にポッドキャスト(「シットとシッポ」)を始めてみた。男性と女性の二項対立とか社会的な言葉では掬いきれない話を男友達と言いあうことで、間接的にケアされるようなところがあるんです。
それはある種の男性的なケアの形ではあるけど、前述の筋トレや自己啓発的なセルフケアではない、というバランスはある程度意識しています。ただ、そのバランス感覚自体もあんまり考えすぎると、『「カジュアルにスマートに癒やされている俺、かっこいい」よりかっこいいでしょ?』という無限後退みたいになっちゃって(笑)、それこそ福尾くんの言葉で「密」になってしまう。僕の改姓の無根拠さ/無責任さにも通じる話ですが、「疎」なあり方のポジティブな可能性を探ってるんです。
言葉とイムズを超えた「より良くあろうとすること」
荘子it 何かのカテゴリーに入りたくない、というより、「こういうカテゴリーの人間が言ってる」という評価基準の窮屈さから逃れて、自分の言葉や作品の表現を真に受けてもらうにはどうしたらいいかって考えてます。
鳥飼 究極、リベラルだとかフェミニストだとか言わなくても、人間が、自分がより良くあろうとすればいいだけなんですよね。そのことを相手が信じてくれさえすれば、言葉はいらない。
荘子it その通りですね。一つの進歩的な思想だけで世界を埋め尽くすことができない以上、それぞれがそれぞれの環境で最高なやり方を模索してみる。それがたまに脱カテゴリー的に互いに影響を与えあったりするけれど、それはすごい特別な瞬間だけなんじゃないかな。その特別な瞬間に言うべきことを言えるか、はすごく大事だと思うし、結婚もその一つかもしれません。
鳥飼 荘子さんとお話していてワクワクしたのは、イズムとかではなくて、ただただラッパーという表現活動、行動原理のなかに奥さんの苗字を選んだこととか、日々結婚の関係で傷ついたり、修正したりというトライ&エラーがあること。そこから発せられる言葉の強さがあるから信頼できるなと思いました。楽しかった。またお話ししましょう。
(「ライフスタイル」出版部)
