37歳、水野晃樹は走り続ける。「現役最後の場所」J3いわてで闘志を燃やす日々「嫌われ役をやっていきたいですね」
元アトランタ五輪代表で、昨季まで解説者を務めていた松原良香監督が今季から指揮を執る、いわてグルージャ盛岡は、勝点24の11位。ここまでは順風満帆とは言い切れないところがあったが、「まだ上位との差は10ポイントくらい。ここから十分に巻き返せる」と、37歳のベテランMF水野晃樹も語気を強めている。
「オシムさんと出会わなければ今の自分はない」と本人も語るように、「考えながら走るサッカー」を掲げていた名将のもと、大きな飛躍を遂げ、2007年3月のペルー戦でA代表デビューを果たすまでになった。
その後、2008年1月にセルティックへ移籍。度重なる怪我で成功を掴めず、2010年6月にJリーグ復帰を決断し、柏レイソルへ。そこからヴァンフォーレ甲府、千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原と、J1からJ3までの7クラブを渡り歩くことになった。
「柏に戻ってから最初の公式戦だった古巣のジェフ戦で、右膝前十字じん帯損傷の大怪我をしてしまってから、自分の特長であるスピードやキレがなかなか戻ってこないまま、時間が過ぎていきました。自分の中でも『どうしたら輝きを取り戻せるか』をすごい悩んで、試行錯誤していた感じでした。
甲府あたりまでは試合にもある程度、出ていましたけど、それ以降は試合にも絡めなくなり、年齢を重ねていくにつれて若い選手の勢いに飲まれてしまったのはありました」と、水野は約10年間の不完全燃焼を吐露する。
そしてコロナ禍まっ只中だった2020年末、相模原から契約満了を通告される。新天地を探すべく、自ら動いてJFLなどの下部リーグも含め20チームほどコンタクトしたが、色よい返事はもらえない。本人も初めて「引退」の二文字を本格的に考えたという。
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「そんな時に、神奈川県2部(当時)のはやぶさイレブンから話をいただきました。妻に相談したら『サッカーできる環境があるんだったら、もう少しやったら』と背中を押されました。ただ、サッカー選手である前に、1人の父親であり、家族の大黒柱。考えなきゃいけない部分もありましたけど、『サッカー選手の姿をもう少し見ていたい』いう言葉が決め手になった。
社会人チームではあったけど、毎年昇格したら4〜5年後にはもう一度、プロの世界に戻れるかもしれない。そう思って本気で飛び込む決意をして、2年間プレーし、2年続けて昇格に貢献することができました」と、水野は人生初のアマチュアリーグに参戦した経緯を改めて口にした。
そこから今季、再びJ3に戻ってくるというのも、大胆な決断に他ならなかった。いわてとは相模原時代の知人を通じて縁が生まれ、兄・和樹(現はやぶさイレブンコーチ)が松原監督と沖縄かりゆしFCでプレーした間柄ということもあって、身近に感じられたクラブだった。
「お前の経験が必要だ。プロとしての立ち振る舞いを見せてほしい。もちろんピッチ上でもチームのために貢献してほしい」と指揮官直々に熱望されたことで、水野は心を動かされたという。
「僕は一応、レイソルでJ1とJ2で優勝しているし、天皇杯もナビスコカップも獲って、タイトルは総なめしているんです。だけど、J3優勝というのは経験がない。相模原時代にJ2昇格はしたんですけど、J3優勝っていうピースだけが足りなかった。優勝するために自分の力を尽くせれば嬉しいなという気持ちがすごく強かったですね」と本音を吐露する。
とはいえ、関東のはやぶさイレブンとは違い、いわては遠隔地。単身赴任を余儀なくされる。子どもたちは中学生2人でお金がかかる時期で、二重生活というのは負担が大きい。そういう部分では思うところも少なくなかったが、はやぶさイレブン加入時と同様に、家族が背中を押してくれたことが大きかった。
「俺がサッカー選手だっていうのを、子どもたちが覚えられるようになるまでは現役を続けたいなというのは、前々から思っていました。今はもう十分に分かっていて、最近は『パスばっかりでドリブルしない』『シュートも打たない』『もっとドリブルすればいい』と要求もされています(苦笑)。
もし自分がタイミングをずらして敵を外したり、逆を取るドリブルが得意な選手だったら、今でもそういったプレーができるかもしれないけど、スピード1本で勝負してきた選手。そういう意味ではなかなか難しいんですけど、アイデアや技術で見せたりはできると思うんです。
自分の良さを出したほうがチームのプラスになれる。まだ出場67分と短いけど、『優勝・昇格』という目標が最優先だと考えています」と、水野は日に日に闘志が高まっていることを明かす。
今季は序盤に肉離れというアクシデントに見舞われ、約3か月離脱するという厳しいスタートを強いられたが、6月以降はピッチに立つ回数も増えてきている。
「今は終盤の5分、10分ですけど、監督は今後、もう少し長く使いたいと言ってくれている。自分もコンディションが上がってきたので、得点やアシストという目に見える結果で貢献できるようにしたいですね。
このチームはJ3しか知らない若い選手が数多くいるんで、高いレベルを目ざすことの大切さを練習中から伝えていくことも、自分の大きな役割。『1本のパスが上手くいったからOK』じゃなくて、より質の高いボールを出すことの大切さを強調していくことも重要。時には厳しく言うべき状況もあると思っているので、嫌われ役をやっていきたいですね」
ジェフでオシム監督に怒られていた頃の水野だったら、絶対にこんな発言はしなかっただろう。20年近い月日を経て、紆余曲折を味わったことで彼自身、懐の深い人間になったということだろう。
「昨年5月にオシムさんが亡くなった時は、しばらく何も考えられなくて、放心状態になりました。僕は自分の不甲斐なさが気になって、ずっと会えなかったんですよね...。きっとオシムさんは『こんなベテランになって...』って苦言を呈してると思う。このままだと自分もオシムさんに顔向けできないんで、今のクラブでできる限りのことをやりたい。ここが現役最後の場所だと思ってるんで、全てを出し切ります」
37歳のベテランMFは、いわてのJ2復帰請負人になれるのか。本当の勝負はここからだ。
※第1回終了(全3回)
取材・文●元川悦子(フリーライター)
