攻撃性が強い野生のチンパンジー Photo:やえざくら / PIXTA(ピクスタ)

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 リチャード・ランガムはハーバード大学生物人類学教授で、ウガンダで長くチンパンジーを観察した                      行動生態学者でもある。『善と悪のパラドックス ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』(NTT出版)はそのランガムが、「自己家畜化」をキーワードに、ヒトの道徳性と邪悪さの進化的起源に迫った野心作だ。原題は“The Goodness Paradox: The Strange Relationship Between Virtue and Violence in Human Evolution (善のパラドックス ヒトの進化における徳と暴力の間の奇妙な関係)“

 本書の冒頭でランガムは、「もし人間が善良に進化したのなら、なぜ同時にこれほど卑劣なのだろうか。あるいは、邪悪に進化したのなら、なぜ同時にこれほど親切なのだろうか」と問う。そのうえで人間には「反応的攻撃性(reactive aggression)」と「能動的攻撃性(proactive aggression)」という2種類の攻撃性があり、前者を抑制することで社会的寛容を獲得する一方で、後者をより巧妙・残酷に発達させたと論じている。

なぜチンパンジーが攻撃的で、ボノボが温和になったのか?

「#MeToo」運動などによって性暴力やドメスティックバイオレンスなど「毒々しい男らしさ(toxic masculinity)」が大きな問題となっている。殺人や暴行などの犯罪統計を見ても、そこに歴然とした性差があることは間違いない。

 2013年のWHOの調査では、身体的または性的暴力のどちらかを受けた女性の割合の平均は、主要10カ国の都市部で41%、都市部以外では51%だという。これは驚くべき数字だが、『男の凶暴性はどこからきたのか』(デイル・ピーターソンとの共著/三田出版会)の著書もあるランガムは、それにもかかわらず、男(ヒトのオス)の暴力性は他の霊長類と比べるときわめて抑制されているという。

 野生のチンパンジーでは、成熟したメスの100%がオスから日常的に暴力をふるわれている。その目的は「目をつけたメスをおびえさせて、将来交尾の要求を容易に受け入れさせる」ためで、「いちばん数多く攻撃することで、ほかのオスと自分を区別させるのだ」という。

 この胸の悪くなるようなやり方でほんとうにうまくいくのだろうか。だがランガムの観察では、「メスをもっとも攻撃したオスがもっとも頻繁な交尾相手となった」。進化の目的がより多くの子孫(利己的な遺伝子)を後世に残すことだとすれば、愛情などどうでもよく、「メスをおびえさせて性交を強要する戦略」はきわめて効果的なのだ。――チンパンジーは乱婚で、オスが子育てに参加しないのも大きいだろう。

 このような例をあげながらランガムは、問うべきは男の凶暴性ではなく、「ヒトのオスではなぜメスへの攻撃性が大きく抑制されているのか」だという。このとき参考になるのは、チンパンジーの類縁種であるボノボだ。

 ボノボ(ピグミーチンパンジー)はチンパンジーとの共通祖先から90〜210万年前(人類の祖先が分岐したあと)に分かれ、異性だけでなく同性同士でもセックスを介して親密なコミュニケーションをとることで知られている。チンパンジーとは外見も社会行動(20〜30頭の小集団で暮らし、メスが思春期になると群れを離れる)もよく似ているが、社会性には顕著なちがいがある。

 チンパンジーが攻撃的で、ボノボが温和になった理由は「生息地の動物学上の差異」だとランガムはいう。同じアフリカの熱帯雨林でも、チンパンジーはコンゴ川の北寄り、ボノボは南寄りに暮らしている。更新世(約260万年〜1万年前)の乾季にコンゴ川の水量が大きく減少したとき、北側で暮らしていた類人猿の一部が川を渡って南側に移動した。その後、水量が増えて彼らは南側に取り残されてしまった。

 コンゴ川の北と南の生態学的なちがいは、ゴリラがいるかどうかだ。南側には山地がないため、たとえ川を渡ったとしてもゴリラは生きていくことができなかった。

 チンパンジーとゴリラは、食べ物をめぐって競合している。そのためコンゴ川の北に生息するチンパンジーは、熟した果物や葉、茎を探すために長距離を移動しなければならず、子連れの母親とは別々になる。野生のチンパンジーの基本は単独行動なのだ。

 それに対してコンゴ川の南では、ゴリラがいないために、豊富な食べ物を独占することができる。これが親密な社会の成立を可能にし、メスが安定した結びつきを築くことで「(オスに対する)防衛的な協力体制」をとるようになった。こうなると狂暴なオスは嫌われるから、メスの選好に合わせて攻撃性の低下や性的なコミュニケーションを進化させたのだという。

 ランガムは、突き詰めれば「すべての生き物は環境に適応しているのだ」と述べる。オオカミの一部はヒトに家畜化されることで攻撃性を大きく減らしてイヌになった。同様にウマやウシ、ヒツジなども家畜化によって温和な性格に変わった。だがボノボはヒトの家畜になったわけではない。このように、なんらかの環境の変化で家畜のような特徴をもつようになることを「自己家畜化」という。

 チンパンジーとボノボの共通祖先から500〜600万年前に分岐した人類も、同様の「自己家畜化」によって攻撃性を低下させたのではないか。だとしたら、その進化を促した「環境」とはいったいなんだろう?

「ヒトはほかのどんな動物よりはるかに家畜化されている」

 人類が自己家畜化の産物だと最初に唱えたのは18世紀末のドイツの人類学者ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハだとされる。1795年にブルーメンバッハは「ヒトはほかのどんな動物よりはるかに家畜化され、最初の祖先から進化している」と記した。

 だがこの卓見は、20世紀に入ると不穏な気配を帯び始める。人類学者のオイゲン・フィッシャーは1914年の論文「家畜化の結果としての人種的特性」で、「アーリア人はほかの人種より家畜化されているので優れている」と主張した。金髪や白い肌に対するなかば無意識の嗜好が、すぐれたアーリア人の特徴の人為的な選択につながったというのだ。

 次いで1921年、歴史家のマルティン・ブリュネーがフィッシャーの自己家畜化(自然淘汰)説を受け継いで、「もう一度自然淘汰の法則が成り立つように」不妊手術の合法化と福祉施設の廃止を提唱した。

 それに対して、1973年にノーベル医学生理学賞を受賞した動物学者コンラート・ローレンツは、1940年の論文「種固有の行動の家畜化が引き起こす無秩序」で、「文明の影響で人間は過度に家畜化されたせいで魅力に欠け、幼児退行して成長できなくなった」とまったく逆の主張をした。この著名な動物学者は、「高度に家畜化された集団」を自然の理想形の劣化版と考えたのだ。

 だが問題は、いずれの立場でもナチスの優生学に行きつくことだった。自己家畜化をより進化した人類への自然淘汰だと考えても、人類を劣化させるものだと考えても、国家が人種政策によって「交配」に介入することを正当化するのだ。

 こうして第二次世界大戦後、自己家畜化論は人種主義につながるとして嫌悪され顧みられなくなった。それを復権させたのがロシア(旧ソ連)の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフだ。

 スターリンの粛清によって家族を失ったベリャーエフは、1959年からシベリアの細胞学・遺伝学研究所でギンギツネを使った画期的な実験を行なった。ベリャーエフの興味は、数千匹のキツネのなかから大人しい個体だけを選んでかけ合わせると、従順さが増大するだけでなく、家畜化の他の特徴も現われるのではないかというものだった。そこで、エサをやりながら身体をなでても嫌がらない子ギツネを選び、交配させてみた。

 結果は驚くべきものだった。わずか3世代で攻撃性やおびえた反応を示さない個体が出現し、第4世代では何匹かの子ギツネがイヌのように尾を振って近づいてきた。第10世代になると、注意を引くためにクンクン鳴き、研究者に近づいてにおいを嗅いだりなめたりする個体が子ギツネの18%に及び、その割合は第20世代で35%、第30〜35世代で70〜80%になった。

 そればかりではなく、選択的交配から10年目に白ブチのオスのキツネが生まれた。次に、ある種のイヌと同様に垂れ耳と丸まった尾という特徴が現われ、15〜20世代後には尾や四肢が短く、(下の前歯が上の前歯より前に出る)反対咬合や(上の前歯が被りすぎる)過蓋咬合のあるキツネが出現した。さらに、家畜化されたキツネは農場のキツネよりも頭蓋骨が小さくなっていることも確認された。

 繁殖周期にも大きな変化があった。選択交配の開始から3年目には、メスの6%が夏だけでなく春と秋にも子を産むようになった。10年目にはメスの40%が1年に3回出産した。これらはいずれも家畜化の特徴だ。

 ダーウィンは、体毛が白く目の青い猫は耳が聞こえなくなる傾向があることに頭を悩ませた。自然淘汰が環境への適応だとするならば、生物学的に不利な特性が進化するとは考えられないからだ。

 だがベリャーエフの実験は、この謎を見事に解明した。なんらかの特徴(従順さ)を基準に選択的に交配すると、それ以外のとくに意味をもたない(あるいは好ましくない)一連の身体的な変化が付随的に生じるのだ。

「家畜化症候群」には大きく以下の4つの特徴がある。

・野生種より小型になる
・野生の祖先より顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる傾向がある
・家畜ではオスとメスのちがいが野生動物に比べて小さい
・家畜は哺乳類であれ鳥類であれ、野生の祖先より顕著に脳が小さくなる傾向がある

 人類の化石にもこうした家畜化の特徴ははっきり現われている。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人など先行する人類より小型で平面的な顔貌をし、男女の骨格のちがいが小さい。より興味深いのは頭蓋容量(脳の大きさ)で、過去200万年間の人類史で着実に増大してきたが、3万年ほど前に方向転換が生じて脳が小さくなりはじめた。現代人の脳は2万年前の古代人より10〜30%も小さいという。

 とはいえ、脳が縮小することで認知機能がかならずしも低下するわけではない。家畜化されたモルモットの脳は野生種の祖先より体重比で約14%小さいが、より早く迷路のゴールにたどり着き、関連性を習得し、逆転学習の成績が向上している。家畜化するとなぜ脳が小さくなるのかは不明だが、ヒトの脳が小さくなっているからといって「退化」しているわけではないようだ。

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