石原慎太郎氏の「シナ」発言とナショナリズムの台頭について

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2012年10月31日の東京都議会臨時会で、辞任が正式に決まった石原慎太郎氏。10月25日の辞任会見でもその呼称を使っていたが、石原氏は中国を「シナ」と呼び続けている。なぜ石原氏は「シナ」という呼称にこだわるのか。そのことについて、東京新聞が10月31日付の「石原氏 シナ発言の危うさ」という特集記事で、徹底検証している。




まず、石原氏の言い分を聞こう。「1999年3月、都知事選への出馬会見では『シナは孫文が作った言葉。なぜ日本人が使うと差別になるのか分からない」と述べている。また、本年9月21日の定例会見で、フリーの記者に「相手が嫌がるような呼称を使うべきではないのでは」と問い正され、「一般的に言うと中国とは岡山県、広島県のこと。嫌がる理由はない」と答えている。




また、石原氏と同じくタカ派の論客で、現代中国政治の専門家である中嶋嶺雄氏は、「シナという呼称事態には歴史的な重みがあり、差別的な意味は全くな」く、「今もインドシナ、東シナ海などと使われており、フランスではシーヌ、オランダではシーナなど、チャイナに類する音で呼ばれている」と解説。その上で、日本では「戦後に過剰に配慮してしまったことが、シナという言葉のイメージを悪くしてしまった」と述べる。




では、中国はなぜ「シナ」という呼称を嫌うのか。理由は明確で、日本軍が中国を侵略したときに、「シナ」を「差別語として使うように」なったからである。1946年には、「中華民国が嫌がり、使用を止めてほしいとの要求があった」ことから、外務省は「新聞や雑誌で支那と表記することをやめるよう通達」した。外交上の事案であることから、1949年に中華人民共和国が建国されてからも、その方針は踏襲された。




筆者は、思想や信条などを抜きにした上で、ごく単純に、相手が嫌がっている呼称をあえて使う必要はないと思う。子どものケンカなら仕方がないが、分別のある80歳の大人がすることではなかろう。国政に関わるつもりなら、なおさらである。記事で佐々淳行氏が述べるように、「シナと発言しても、国益にならない」。




と、きれい事を述べてみたが、人々が社会や政治に不平や不満を抱き、ナショナリズムが台頭しつつあるような状況なのであれば、話は別である。中国を「シナ」と呼ぶことに賛同するわけではない。だが、国益などおかまいなしで中国を「シナ」と呼ぶ人々を、日本の社会そのものが増やしている可能性は否定できない。次回は、その点について考えてみようと思う。




(谷川 茂)