医師会職員の脳裏から消えぬ遺体安置所の記憶 14歳の娘の顔に“死に化粧”を施す父母の会話
昨年3月11日の大震災から1年近くが経つ。死者・行方不明者は約2万人に及ぶ。だが、今なお死に至った経緯や状況がわからない場合がある。遺族らの声も、次第に小さくなっていく。一方で、震災の真相や被災地の実態を押さえることがない「復興」が、進められていく。
3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。筆者は今、そんな気持ちを強くしている。
震災から1周年の節目に、遺族、検死医、防災学者、地震学者といった「生き証人」たちを改めて取材し、いまだ癒えることのない震災の“深い傷”を浮き彫りにしたいと思い立ったのである。
あの日、日本人が失ったものは何だったのか――。詳しいエピソードと共に、置き去りにされた課題と教訓を、読者と共にもう一度考えてみたい。

神奈川県医師会 堀川尚己氏
「娘と同じ年齢の14歳だった……」
JR京浜東北線の関内駅から歩いて、10分ほどにあるビルの3階。社団法人神奈川県医師会の会議室。地域保健課の課長・堀川尚己氏(55)は、メガネを取り、天井の左上の方を見上げた。涙が流れるのをこらえているようだった。
「遺体安置所の隅で、ご遺体の検案をしていると、ご遺族の声が聞こえてくる。遺体が並べられたところと、我々がいる場所の間には青いビニールシートが吊るされているだけ。その向こうにいる遺族のやりとりが、耳に入る」
私は気が引けるものがあったが、あえて尋ねた。「女の子の遺体は……」。堀川氏は、自らに言い聞かせるように答えた。
「その子の父親と母親が会話をしていた。そのやりとりが耳に入ってきてしまう。私にも14歳の娘がいる……。涙が出てくるのをこらえるのに、必死だった……」
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