土木女子(ドボジョ)のパイオニアが語る土木・建設現場の今。女性技能者の坑内作業は禁止されたまま
「ドボジョ」とは、土木業界で働く女性や土木分野を学ぶ女子学生を指し、2000年代後半から、女性の活躍を広げるために広まった言葉です。道路・橋梁の設計、トンネルやダムの建設管理、河川の整備や防災事業など「インフラメンテナンス」に携わる女性たちがいます。長らく男性中心の職場というイメージの業界ですが、高齢化に伴う人材不足などから、女性技術者の採用・育成が進められています。とはいえ「トンネル内では女性が作業できない」というルールも残っているとか。「ドボジョ」として46年間鹿島建設で勤務するパイオニア、須田久美子さんにその仕事の魅力や課題、後進への思いを聞きました。(取材・文:譽田亜紀子 撮影:本社 奥西義和)
【写真】黄色のヘルメットで。学生時代、土木のアルバイトをしていた頃の須田さん
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高速道路の現場で天職に出会う
「土木女子のパイオニアが鹿島建設にいる」と聞き、話をうかがうために訪れた会議室。そこでにこやかに出迎えてくださったのが同社土木管理本部 土木企画部人事・教育グループ(ダイバーシティ推進担当)専任部長の須田久美子さんだ。赤いメガネがとてもお似合いの彼女から発せられた「今日は作業着が良いかなと思って」というチャーミングな言葉に、取材現場は一気に和やかな雰囲気に包まれた。

当日は「ドボジョらしい服装で」と会社の作業着で取材を受けてくれた須田さん
「土木女子(ドボジョ)」とは土木系の仕事や学問に携わっている「土木好きの女子」を示す呼び名だが、この言葉は、「土木系女子」だけでなく、「作業服姿にヘルメットをかぶり、土木・建築の現場で働く女性達」すべてを表す言葉として定着しつつある。土木分野は鉄道、道路、橋、トンネル、港湾、空港、河川、ダムなどのインフラの整備を対象とし、自然災害等の社会課題の解決および環境の創造・維持発展のための研究・企画・設計・建設・維持・更新を含む工学だ。
女性の進出が遅れている分野として近年注目を浴びている。そのパイオニアとして須田さんは多くのメディアで取り上げられ、業界の魅力を発信し続けている。
須田さんと土木の出会いは、大学の進学先を考えた高校生のとき。何気なく見ていた大学パンフレットに掲載されていた綺麗なアーチダムの写真に心を奪われた。
「美しい写真の下に〈土木工学科〉って書いてあって、ここに入ればこんなダムを造る人になれるんだ、と思ったんです。実際に入ってみたら、そんなことに興味を持つ女性はあまりいなくて、そもそも学科に女性はほとんどいなかったのですが」と笑う。
無事に土木工学科に入学した須田さんだったが、1年生の夏休みのアルバイトで性別の壁が立ちはだかった。当時、大学教授の紹介で「土木の仕事」をアルバイト経験させてもらえる仕組み(現在のインターンシップに相当)があったが、どこも「男子学生に限る」という募集のみ。諦めきれない須田さんは担当教授に「女子学生も受け入れているところを探してください」とお願いし続け、3年生の夏休みに高速道路の工事現場で念願のアルバイト経験をする。
「当時、現場には、北国からの出稼ぎの人たちが多くいたんです。それも家族同伴で。今ではそんな現場はありませんが、奥さんたちが鉄筋の曲げ加工をして、それをご主人たちが現場で組み立てたり。10時と15時にはお茶の時間もあって、休憩の時に私も皆さんに混じって和気藹々といろんな話をするのがすごく楽しくて」

アーチダムの美しい写真を見て「これを造る人になりたい」と
ここで2ヵ月半のアルバイトをした須田さんは、大学の授業ではけっしてわからない現場の臨場感を経験する。
「施工の計画図面はあるわけですが、図面を渡すと、技能者の皆さんがあれこれ協議しながら手を動かして、どんどん出来上がっていくんですよ。紙の上の計画が目の前で形になっていく様子にワクワクして、これが私の天職なんだと強く思った体験でした」
25年間待ち望んだ現場配属
大学を卒業した1982年、現在の勤務先である鹿島建設株式会社に就職。当時、ゼネコンに土木系の女性総合職として就職する人は非常に少なく、須田さんは女性として第2号の採用だったという。
大学進学時に夢見た「でっかいものを造ってみたい」という思いのもと、現場配属希望で入社したが鹿島技術研究所に配属される。
「技術研究所では、コンクリート構造に関わる研究を23年間しました。地震が起きたとしても、コンクリートの中にどんなふうに鉄筋を組んだらポキッと折れないか、どんなふうにしたらコンクリートが剥がれたり崩壊しないかという研究をずっとやっていたんです。2年上の当社初の女性総合職の先輩のおかげで、研究室内では男性と同じように扱ってもらえて、仕事は非常にしやすかったのですが、同期の男性社員が希望を出して技術研究所から次々に現場配属されていくのを見ながら、自分1人だけが取り残されているような気持ちでした。このまま現場に出られないのかな…と諦めの心境にもなり、正直、モチベーションを維持するのに苦労した時期もありました」

「男性社員が次々と現場配属になるのに自分は現場に出られず、モチベーションの維持に苦しんだ時期もありました」
ところが、ここでの長年の研究が認められ、国の耐震設計基準の改定に貢献する機会が訪れる。
「現在の日本の土木構造物に対する耐震設計の考え方は世界的にみてもトップレベルだと思います。例えば震度5弱の地震が来ても、土木構造物が倒れるということはほとんどない。そんな土木構造物が造られるようになったのは、1995年の阪神淡路大震災が契機となっています。阪神淡路大震災では高速道路が倒壊し、残念にも人命が失われてしまった。その経験から、〈被害が出たとしても人命は守る〉土木構造物にしていこうという機運が高まったのです」
「あの地震が起きた頃、私は地震の際に起こりうる土木構造物の被害をどうすれば減らせるのかという研究をしていました。10分の1サイズの縮小模型を作り、荷重をかけながら壊す。実際に壊れた状況を調べ、その結果を耐震設計基準改定の根拠にするという実験をさせてもらう機会に恵まれました」

子育て中の須田さん。実家の両親と義母のサポートで仕事を続けられたという
当時、須田さんは子育ての真っ最中。須田さんの両親は遠方在住のため、子育てのサポートをお願いしづらい環境にあった。でも、この時ばかりは「国が大変なことになっているのだからしっかり頑張りなさい」と半年間、実家の両親と義母が交代で家に来て、彼女が研究に打ち込める環境を整えてくれた。特に義母は自身も仕事を続けてきた経緯があり、須田さんが働くことに肯定的で、積極的なサポートにとても感謝しているそうだ。その感謝の気持ちは、勤務の傍ら義母のサポートを受けながら書き上げた博士論文の冊子の巻末に、子どもが描いた絵と共に書き残されている。
「義母が亡くなった時、遺品を整理していたら、私が贈ったその冊子が綺麗に保管されてあったんです。嬉しかったですね」
こうして土木のプロフェッショナルとして研究に邁進し、23年間の技術研究所勤務を経て設計部門に異動。その後、勤続25年にして念願の現場配属を果たしたのである。

写真を拡大須田さんが23年間の研究所勤務を生かし発表した論文

写真を拡大論文の巻末には義母への謝辞が。イラストは須田さんのお嬢さんの作品
女性技術者のネットワークが人生のロールモデルを提供
業界全体の中で女性が極めて少なかった1982年、ゼネコン、国交省、建設コンサルタントなど、各分野の第1号という女性の座談会がきっかけで全国で働くドボジョ28人が集められた。その時に新入社員だった須田さんも呼ばれた。業界の女性同士でいろんなことをざっくばらんに話し、共感し合える機会はとても貴重で心地よく、横のつながりの重要性を強く認識したという。
この会合をきっかけに、自分たち独自で活動できる会を作ろうと「土木技術者女性の会」が発足する。
「その会のメンバーの半分ぐらいは独身で、結婚も子どもも要らないから仕事をバリバリこなして自己実現していきたいと言っていました。一方で、人生は一度きりなんだから、結婚も子どもも諦めないし、子どもが生まれても子連れでバンバン転勤して仕事をすればいいのよという先輩方もいました。いろんな働き方、考え方をする女性たちがいて、この人とこの人のやり方を組み合わせたら、自分も結婚して子どもを産んで育てても仕事を続けられるかなと思えるようになったんです」
しかし当時、結婚や妊娠・出産を機に退職する女性が大多数だった時代。須田さん自身は2人の子どもを産み育てていたが、特に1人目の妊娠時にはあまりに重いつわりの症状に入院までしたのだとか。そんな辛い状況を乗り越え出産。彼女は会社を辞めることなく、職場復帰を果たす。
「私が出産した当時、育児休業法はまだ施行されておらず、労働基準法に定められた産後8週間で復帰しなければなりませんでした。まだ身体が十分に回復してないのになと思いながら。でもそれより大変だったのが保育園探しでした。認可保育園は4月にしか入園できない。私は出産のタイミングが合わず、他を探すしかなかったのですが、別の部署の人が近所の保育園の先生を紹介してくれて。その先生が、〈みんなちゃんと働いてるんだからしっかり頑張りなさい〉と発破をかけてくれたんです」
「2人目の時は、同じ団地の1階に住む奥さんが保育ママさんをしていて、うちで預かるよと言ってくれたんです。5階の我が家から1階に預けて、そのまま出社。帰りは、奥さんが子どもをお風呂に入れて夕飯も食べさせてくれたところに迎えに行って、そのまま寝かすことができて本当に助かりました」
遠方の両親や義父母、ご近所さんの力を借りながら、仕事と2人の子どもの子育てを両立した須田さんは、後進を育てようと、土木技術者女性の会の活動として、小中学生や土木工学科に興味のある高校生、先生向けに小冊子作りにかかわってきた。時代の変化もあり、現在はネットで誰でも読めるようにしているが、かつては10年に1回改定しながら、紙の小冊子を作っていた。

「土木技術者女性の会」が発行している、小中学生や土木工学科に興味のある高校生、先生向けの小冊子。表紙のイラストは須田さんのお嬢さんが手がけている
「小冊子は結構需要があるなと感じました。私が育った田舎では、農家さんが農閑期に現金収入を得るために土木仕事に携わるのはごく普通のことでした。生活の延長に土木があったんです。でも、今は土木という言葉自体が向こう側にいってしまって、人々から距離ができてしまった。だから、こうした活動を通して土木の面白さを次の世代に伝えていければと思っています」
土木の現場で働きたいすべての女性に働く権利を
今回須田さんを取材した大きな目的が、彼女がライフワークにしている「女性技能者の坑内労働に関わる労働規制」の緩和や課題解決を求める活動について話を聞かせていただきたいと思ったからだ。
1947年に制定された労働基準法によって「使用者は、満18歳に満たないもの又は女子を坑内で労働させてはならない」とされた。坑内とは鉱山(炭鉱、金属鉱山)やトンネル、地下鉄、水路などの地表に出ない場所をいう。そうした場所での作業は過酷であり、「弱者保護」の観点から女性や18歳未満の労働を全面禁止にする規制が設けられた。

須田さんが昔の炭鉱労働について調べた資料
しかし時代が変わり、坑内の作業環境が改善され、男女の平等促進ということから、2006年に規制の緩和が図られ、技術上の監理・指導監督の業務を女性技術者(現場監督や測量技術者など)が行うことは認められた。しかし、現場で実際に作業を行う女性技能者が坑内作業を行うことは現在も禁止されたままだという。
「この問題に気がつくことができたのは、2007年から10年間、現場で仕事をする中でさまざまな雇用形態で仕事をする女性技能者たちと繋がることができたからです。女性技能者の坑内労働禁止は80年も続いていて、そこで自分の技能を試したい、役立てたいとする女性たちの権利を奪っているのです。この規制ができる前までは坑内労働の4分の1が女性で、稼ぎ頭としてバリバリ働いていた実態がありました」
「全国各地のトンネル工事に関わった鉄筋工や型枠工やコンクリート圧送工の女性たちから、〈規制によって坑内では作業ができなくて悔しい思いをしている〉という声をたくさん聞きました。一方で、女性に危ないことはさせられないという声もあります。しかし、現在は安全衛生面の法整備が進み、そこに性別は関係ありません」

「〈規制によって坑内では作業ができなくて悔しい思いをしている〉という声をたくさん聞きました」
考えてみればその通りだ。危険だから作業させられないというならば、それは男性も同じこと。女性だけに限定しているのは、働きたい女性技能者たちの権利を奪うことになる。また、雇用主にとっても厄介な規制だと須田さんは言う。
「坑外では女性鉄筋工が作業できる。丁寧で腕がいいから、できればそのまま坑内もやってもらいたいのに法規制があるからさせられない。全くもったいない話だ。坑外も坑内も同じ仕事だからそのままできればスムーズなのに、中には入れないから、途中からは男性技能者に交代しなければならないので引継ぎが必要。こんな規制さえなければその手間が省けるのです」
さまざまな課題を抱える建設業界で働く女性たち。彼女らの労働規制の緩和や課題解決を求める活動を粘り強く進める中、2018年、建設産業女性活躍推進ネットワーク(2020年に建設産業女性定着支援ネットワークに改称)が設立された。それによって、国に建設業界で働く女性たちの生の声を直接届ける仕組みが出来上がり、須田さんは幹事長に就任。2026年3月19日現在、登録団体63団体、構成人数は約1万人。都道府県単位で活動する団体は45団体(39都府県)あるといい、全国の仲間たちと共に声をあげている。

須田さんが上司から贈られたペンダント。鹿島建設が手がけている特殊な部品をモチーフにしている
「女性だから大変だったことですか?女性だからではなく、1人の土木技術者として仕事をしてきましたのであまりないです。得したことは、現場ですぐ覚えてもらえることですかね(笑)。あとは会議などで議論が白熱する場面でも私がいるとなんとなく収まるとか。私たちの仕事は、現場の方にやってもらいたい仕事をいかにきちんと、上手にお願いするか、でもあるので、人間的な力が必要だと思います」
土木を志す女子学生を増やしたい
将来的に多くの仕事がAIによってなされ、今まで人がやってきた仕事の内容は様変わりすると言われている。建設業界もDX化が進み、作業の効率化がはかられているが、それでも変わらないのは、実際に現場で手を動かす人の存在である。逆にいえば、AIには絶対にできない仕事であり、今後ますます大切な存在となってくる人たちだ。

須田さんがモデル?お嬢さんが描く建設現場のイラスト
そんな建設業界全体を見渡すと、ゼネコンでは土木系新入社員の約2割が女性という時代になって、土木工事現場で働く女性も少しずつ増えている。土木では、女性の細やかさが必要な作業も多いと須田さんは言う。
「土木の仕事というのは、地球を相手にする仕事です。地中を掘ってみたら想定と違うということがたくさん起こる。現場でその状況を確認し、皆でコミュニケーションをとりながら調整をはかり、修正をしていく。その上で人が快適に、そして安全に暮らしていくための社会基盤を作っていく。だから私は現場で働いている〈土木技術者〉と呼ばれたいと思っています。何もなかったところから人々の暮らしを支えるスケールの大きな構造物を造る土木技術者として、現場で関われることが本当に楽しい。その面白さが多くの人に伝わるといいなと思っています」
須田さんが大学進学先を土木工学科と決めた際、両親は何も言わず見守ってくれたという。「土木の道に進むことを認めてくれた両親には本当に感謝している」と須田さん。
「今、学生向けの企業説明会などで理系の女性が土木に興味を持っても、一緒についてきたご両親が止めてしまうこともあると聞きます。お子さんのことを心配される気持ちはわかるのですが、興味を持ったことはさせてあげてほしいなと思いますし、この仕事の魅力をより多くの方にわかっていただけるようにしないとなと思っています。女性が活躍できる業界ですから。そのためにはまず、土木分野の学科に女性が来てくれるようにしていきたいと思います」

「土木の道に進むことを認めてくれた両親には本当に感謝している」
