紀子さま“結核予防”へのご尽力に心無い批判も…なぜ紀子さまのご公務へのバッシングは止まないのか
秋篠宮妃紀子さまが3月、自ら総裁を務める結核予防会の主催する、第77回結核予防全国大会に出席された。紀子さまは、国際結核肺疾患予防連合の名誉会員でもある。長女の小室眞子さんの結婚騒動以降、弱者に寄り添われる紀子さまのご活動を「イメージ回復目的のパフォーマンス」とする心無い投稿がSNSなどで散見される。紀子さまのご活動の真意はどこにあるのか、考察してみた。
【写真を見る】「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に出席。紀子さまの活動を受け継がれ、手話であいさつされる佳子さま(2023年1月)
かつては国民病と呼ばれ
結核は、日本では弥生時代に初めて確認された感染症である。ただ、その存在が国民の脅威となったのは、明治時代から昭和初期にかけて。大流行が起き、死者も相次いだことから「国民病」と呼ばれた。明治以降、都市部への人口集中や劣悪な労働環境が、猛威を振るった原因とみられ、死亡率は1918年頃にピークとなった。1910年代から40年代にかけては死因の第1位にまでなった。

50年代に入ると特効薬の普及と、結核予防法制定(51年=昭和26年)により激減することとなったが、実際には現在も高齢者を中心に年間1万人が発症しており、完全に克服されたわけではない。
結核予防会は結核対策の普及・啓発を目指して1939年に設立された。実は結核予防の取り組みに皇室が関与することとなった背景には、この予防会設立の経緯がある。
結核が国民衛生上、最大の課題となったことを受け、香淳皇后(昭和天皇の妃〈きさき〉)は当時の平沼騏一郎内閣に「官民力を合わせて結核の予防に努力するように」とのお言葉を寄せるとともに、お手元金50万円を贈ったことから、予防会の設立が決定した。初代総裁には昭和天皇の長弟・秩父宮の勢津子妃が就くことになった。
1994年には、高齢となった勢津子妃が名誉総裁となって一線から身を引き、第2代総裁に就任されたのが紀子さまだった。勢津子妃が初代総裁に推挙された要因は、夫の秩父宮が結核との闘病の末に命を落としたためだ。秩父宮は1940年、体調不良から医師の診察を受け、肺結核の感染が判明。翌41年、血盟団事件で暗殺された井上準之助大蔵大臣(現・財務大臣)が所有していた静岡県御殿場市の別荘を購入し、秩父宮御殿場御別邸として整備し療養生活に入った。療養生活は戦後も断続的に続けられ、終戦から7年半後の53年に50歳で亡くなった。
皇室と結核という視点でみると、平安時代にまでさかのぼるという説もある。
一条天皇が「咳逆(しはぶき)」と呼ばれる病状によって、32歳で亡くなったとの記録が『大鏡』に残る。これはインフルエンザが原因とする説が最有力視されている。だが、藤原道長が著した『御堂関白記』には、一条天皇の症状として慢性的な咳や衰弱の過程が記され、歴史家の中には結核の症状と酷似しているとの見方があり、結核説も根強い。
紀子さまの取り組み
3月17日と18日の2日間、愛媛県松山市で開かれた結核予防全国大会の式典では、結核予防会総裁として紀子さまが国内での感染状況を説明しつつ「結核や呼吸器感染症に関する正しい知識の普及を目的として、様々な取り組みが続けられていることは、大変意義深いことであると思っております」と挨拶された。
「結核予防会総裁のお立場を、秩父宮妃勢津子さまから紀子さまが引き継がれたのは、将来も含め、天皇の弟の奥さまが受け継いでいかれるという流れからです。当時の有資格者には紀子さまのほかに、上皇陛下の義妹である常陸宮妃華子さまもおられましたが、長期的かつ安定的に活動を継続できるとの理由で、まだ30代前半だった紀子さまに白羽の矢が立ったとお聞きしています」(宮内庁関係者)
結核撲滅に向けた紀子さまの熱心な取り組みは、多くの関係者から支持されている。しかし、長女の小室眞子さんの結婚を「長女の気持ちを、できるだけ尊重したい」とお認めになられて以降、紀子さまはSNSを中心に、一部でバッシングにさらされ続けている。
「ネット上には、紀子さまの活動を“イメージを回復させるためのパフォーマンスに過ぎない”とする、心無い批判の声もあります。結核の予防や撲滅を真剣に考えているとは思えないといった、根拠のない誹謗中傷さえありました」(前出・関係者)
宮内庁OBは「実は紀子さまに対する意地の悪い意見は、ご結婚の直後からありました」と明かす。「ご結婚の直後」に何があったのかは、一定年齢以上の人には記憶があるだろう。
「はい。そうでございます」
これは1989年9月12日に行われた秋篠宮ご夫妻の婚約内定会見での、紀子さまのご発言だ。男性記者から「紀子さんは、礼宮(秋篠宮さまのご称号)さまが初恋の人なんですか」と問われ、笑顔で即答された有名なシーンだ。
民間から新たなプリンセスとなる紀子さまのシンデレラストーリーに、当時の国民は熱狂したが、「紀子さまスマイル」と人気を博する一方で、一部では今で言う「あざとい」と捉える向きがあったわけだ。
眞子さんの結婚騒動以降、明らかな誹謗中傷も目立つ紀子さまには、結核予防会でのご活動だけでなく、他の公務にもバッシングの矛先が向けられている。象徴的なのが手話だ。紀子さまは学習院大在学中から手話に取り組んでおり、長男の悠仁さまご出産に際し、学生時代の紀子さまを知る日本手話通訳士協会の石原茂樹元会長が「皇室に入られた後も手話を続けられていて大変うれしい」と振り返っている。
批判は事実無根の可能性
また2006年5月には、懐妊中の身ながら東京都港区のホテルで、全日本ろうあ連盟が主催した講演会にご出席。手話で関係者と挨拶を交わされている。その後も聴覚障害者を支援する会合やイベントに積極的にご参加。度々、手話を披露されており、手話でのご活動は、結婚前の眞子さんや、次女の佳子さまに受け継がれたことは良く知られる。
こうした紀子さまの手話へのお取り組みを、視覚障害者に寄り添い、盲導犬の育成や普及を支援する活動に熱心だった上皇上皇后両陛下の長女・黒田清子さん(紀宮さま)の模倣に過ぎない、とするうがった見方が存在する。
障害者福祉への関心が高く、学習院女子初等科卒業時に「盲導犬訓練士になりたい」と綴った清子さんが、盲導犬の普及活動を本格化させたのは秋篠宮ご夫妻が結婚された1989年前後のこと。2005年に結婚するまで長期間、盲導犬支援に尽力した。
前出の宮内庁OBは「民間から皇室に入られたばかりの紀子さまは、上皇后美智子さまを同じ民間から皇室入りされた先達として“お手本”にされる一方で、紀子さまオリジナルの、独自のご公務を探しておられるご様子でした。そんな時、視覚障害者福祉に取り組み始めてますます評価を高められた紀宮さまの姿を見て、学生時代に経験しておられた手話を生かした障害者福祉に活路を見出されたとの見方が宮内庁内にあったことも事実です」と指摘した上で、こう語る。
「それはそれで皇族として一つのご見識でもあるわけですが、意地悪な見方では『モノマネ』や『模倣』と映ったようです」
眞子さんが結婚を強行した経緯の評価は別として、結婚を擁護した家族にバッシングが続くのは、SNS時代ならではのものなのか。紀子さまの結核予防のお取り組みをパフォーマンスと捉えることは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといった誹謗中傷の類(たぐい)に過ぎないとの意見も少なくない。
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
