ウクライナに早期停戦以外の選択肢はない…トランプ政権発足前に流布される「ロシア経済衰退論」に“継戦を望む勢力”の思惑

強気の姿勢を修正したトランプ氏
トランプ次期政権はウクライナ停戦に向けて動き出したようだ。
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次期政権で大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を務めるウォルツ下院議員は、12日に放送されたABCテレビの番組で、トランプ氏がロシアのプーチン大統領と少なくとも数日か数週間以内に電話協議することを「期待している」と述べた。トランプ氏も9日、プーチン氏の希望を受けて会談を調整中であることを明らかにした。
ロシア側も対話に前向きだ。ロシア大統領府は10日「トランプ氏が対話を通じて問題解決を図る意欲を示していることを歓迎する」と表明した。

トランプ次期政権とロシアの対話ムードが高まっているが、停戦に向けて道筋は不透明だと言わざるを得ない。トランプ氏は大統領選挙期間中「就任後24時間以内に戦争を終わらせる」と豪語していたが、7日の会見では「6カ月、できればそれより前に終わらせたい」とこれまでの強気の姿勢を修正した。
「ロシア経済は苦難に陥る」との論調
トランプ氏の停戦交渉がさらに複雑になる可能性も高まっている。
米財務省が10日、ロシア石油大手2社と「影の船団」と呼ばれるタンカー183隻などを制裁対象に追加したからだ。中国やインドへの原油輸出に支障が生ずると言われており、ロシア側の反発は避けられないだろう。
バイデン大統領は10日、ロシアは制裁を受けて厳しい立場にあり、欧米が支援を継続すれば、ウクライナが勝利するチャンスがあるとの認識を示した。政権交代直前の異例の制裁発動は、ロシアとの対話に一貫して消極的だったバイデン大統領の意思 が強く反映されているのではないかと思えてならない。
ただし、西側諸国の制裁で早期に破綻するとされていたロシア経済は、不調になるどころか好調のままだ。それが昨年末から、「ロシア経済は苦難に陥る」との論調が強まっている。
国際通貨基金(IMF)はロシアの今年の経済成長率を1.3%と推計した。昨年の見込み(3.6%)からの大幅ダウンだ。
ロシアの問題はインフレと労働力不足
経済の足を引っ張っているのはインフレの高進だ。
ロシア中央銀行は、昨年のインフレ率が目標の8.5%を上回ったとの見方を示している。今年のインフレ率は9.5%に達する可能性もあるという。
主な要因は、軍事費の急増などが実質賃金の高騰を招いていることだ。ロシア政府が計上した今年の軍事費は前年比25%増の13兆5000億ルーブル(約19兆円)で、連邦予算に占める割合は前年に比べ3ポイント上昇の32.5%となる。
労働力不足も頭の痛い問題だ。昨年12月の失業率は2.3%と、ソビエト連邦崩壊以降で最低だった。ロシア政府は鉄道建設や農業の分野で学生を組織的に動員する案を検討しているほどだ。
インフレを抑制するため、中央銀行は昨年10月、政策金利を19%から21%に引き上げた。2003年以降で最も高い水準だ。
高金利と政府の統制にも不満の声
通貨ルーブルの下落も気になるところだ。
昨年11月に米国政府がロシア大手銀行に制裁を科したことが災いして、ルーブルの対ドルレートは侵攻直後以来の安値(1ドル=100ルーブル台)で推移している。戦時インフレをさらに加速させるとの懸念から、政策金利がさらに引き上げられる可能性は排除できなくなっている。
だが、金利の上昇は企業の活動にとって大きなマイナスだ。戦時経済を支える企業からは「高金利で利益のほとんどが吹き飛んでしまう」との悲鳴が、政財界からは「中銀の独立性を制限せよ」との声が上がっている。
ロシア財界の不満は他にもある。ロシア政府が経済分野での統制を強めていることだ。ウクライナ侵攻後に政府が差し押さえた企業の株式や不動産などの資産総額は1兆3000億ルーブル(約2兆円)を超えた。昨年1年間の総額は5500億ルーブルで、2022年の約2倍だ(1月10日付日本経済新聞)。
ロシア政府の懐事情は依然として安泰
このような状況にかんがみ、「ロシア経済は1980年初頭のソビエトのように停滞している」との主張が出ているが、はたしてそうだろうか。
長引く戦争が経済に打撃を与えていることは間違いないが、ロシア政府の懐事情は依然として安泰だ。ロシア財政は今年、赤字から脱却することが見込まれ、ロシア政府発行の国債残高の対GDP比も20%程度と低水準にとどまっている。財政赤字がうなぎ上りの米国とは大違いだ。
預金金利が引き上げられたことで、ロシア国内のルーブル建て預金は2022年1月から昨年9月の間に約54%も伸びており、ロシア政府が国債を発行する余地も十分にある。
継戦を望む勢力の根拠なき楽観論
以上からわかるのは、ロシア政府が戦争で早晩破綻することはないということだ。経済の安定は来年まで続くというのが正しい現状分析だろう。
にもかかわらず、ロシア経済衰退論が流布される背景には別の思惑があるのかもしれない。現段階での停戦はロシアにとって圧倒的に有利であるため、継戦を望む勢力が「ロシア経済は既に弱体化しているから、戦争を続ければウクライナはいずれ勝利できる」という根拠なき楽観論を展開しているのではないかと勘ぐりたくもなる。
だが、戦争を継続したとしてもウクライナが有利になる確率はゼロに近い。残念ながら、ウクライナにとっても早期停戦以外の選択肢はないのではないだろうか。
藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。
デイリー新潮編集部