死角が多く、不法投棄には好都合…日本の郊外にある「タダ同然の住宅地」にゴミが捨てられる構造的な理由
■日本の郊外には「棄てられた土地」が大量にある
(連載第1回〈なぜ日本の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にあるのか…「限界分譲地」という大問題を告発する〉より続く)
今回の記事執筆にあたって、千葉県富里市十倉の分譲地をあらためて訪問した。
物件サイト上では、以前は空き家だった家が貸家として入居者を募集していたり、新たに売地広告が登場したりしたが、現場の雰囲気は4年前の初訪問時と何も変わらない。

分譲当時に設置されたらしき街灯は錆びつき、電球が外されている。側溝は土砂に埋もれて機能していない。貸家となった空き家はキレイにリフォームされていた一方、住民がいたはずの家は空き家となり、殺伐とした雰囲気が以前より増した印象だった。
28万円で売りに出されている擁壁上の売地は、腐葉土のためか緩い傾斜地になっていて、そのままではまともに宅地として使える様子にない。前面道路にはゴミも捨てられており印象も良くない。
この売地に限らず、多くの不在地主は、今や不良資産となったかつての投機商品を手放す機会を待ち続けているのだろうが、周囲がこのありさまでは、購入を希望する人はなかなか現れないのだろう。
その光景はまさに、土地が棄(す)てられている、としか言いようのないものだ。
■不在地主の「放棄分譲地」が招く問題
日本の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にある。筆者はそれを「限界分譲地」と呼んでいる。先述の分譲地もその一つだ。
千葉県北東部に散在する投機目的で分譲された「限界分譲地」と、一般的な郊外型ニュータウンや分譲住宅地の大きな違いは、土地所有者の多くが遠方在住者(不在地主)である点だ。
実際に人が住んでいる所有地の割合よりも多く、空き家や空き地が目立つのだ。それが分譲地の荒廃を進め、実際に住んでいる分譲地の住民の苦悩の原因になっているのだ。

どんな住宅地でも、そこに建ち並ぶ住戸は人が暮らすために建てられる。空き家にせよ、家屋が解体された空き地にせよ、それは所有者固有の事情によって生じたものであり、住宅地全体から見れば例外的な存在だ。
ところが投機型の限界分譲地の場合、分譲地によって割合に差はあるが、多くの場合、半数から9割以上の区画が不在地主の所有地である。「不在地主」のほうが多数派なのだ。
全ての区画が空き地で家屋は一切なく、所有者全員が不在地主というケースもある。そのような分譲地は法令上の制限(建築基準法など)から、再利用の見込みもないことがほとんどのため、筆者は「放棄分譲地」と呼んでいる。

■ご近所なのに、顔も名前も分からない
不在地主が多い限界分譲地は、どのような問題が起きているのだろうか。
筆者が取材する千葉県の限界分譲地は、東京や神奈川、埼玉といった遠方の都市部在住者である場合が多い。一部の大型分譲地や別荘地を除き、区画所有者を統括するような管理組合はないので所有者間に面識や交流はない。分譲地に住んでいる住民も、近隣の区画所有者の素性を知る人は少ない。
投機目的で「売りっぱなし」のビジネスモデルが主流であった千葉県の限界分譲地では、多くの不在地主が、ただ漫然と長年所有し続けているのみである。
もちろん、住まずとも定期的に土地の管理を続ける地主もいる。地元の草刈り業者に依頼して、物件広告にも掲載して売却の機会を待つ。しかし、価格の安い限界分譲地は地元の仲介業者も営業に熱心でないことが多く、多くの売主も、その売却に向けての姿勢は決して積極的といえないケースが大半だ。管理も含め「業者任せ」なのである。
一方、草刈りを行うこともなく、ただ荒れるに任せた未管理の区画にいたっては、おそらく所有者は、土地の管理に責任を負うべき立場であるという意識も希薄なのではないだろうか。少なくともその荒廃した現状は、土地所有者としての責務を果たしているとはとても言えたものではない。

■伸びた枝やツルでも勝手に伐採はできない
例えば筆者は、千葉県横芝光町の海岸近くにある、1987年に分譲された小さな旧分譲地で暮らしているが、隣の区画が一切管理されておらず、雑草や雑木が生え放題のままで、横枝やツルが自宅の敷地内に越境してしまうので、町役場を通じて、所有者に連絡を取ってもらったことがある。
筆者は、その所有者に土地の整備を要求したわけではない。雑草が繁茂するたびに都度要求するのでは互いに煩わしい話なので、雑草の繁茂の状況に応じて、こちらの自主的な判断で伐採を行えるよう、敷地内への立ち入りの許諾を求めて連絡を試みたのだ。
しかし、二度にわたって書面で連絡を入れたにもかかわらず、筆者のもとにも、町役場にも、結局現在に至るまで一切の返答もないままだ。価格面で折り合いが付けば、土地の買い取りも考えているのであるが、返答がなければそれもかなわない。
土地を管理する気が一切なく放置を続ける一方で、手放す気もなく、連絡にも応じないというのは、では所有者は、一体何のつもりで所有を続けているのだろう。この分譲地の課税地目は「宅地」なので、更地でも年間5000円程度の固定資産税が掛かるはずなのだが。

■住民にとっては迷惑極まりない
分譲地はあくまで私有地であり不可侵の財産なので、所有者本人はそれで良しと考えているのかもしれない。しかし、管理が行われない土地というものは、往々にして不適切な利用者を招いてしまうものだ。
特に限界分譲地の場合、不在地主が多いために監視の目が届きにくく、地域社会も分譲地の存在に無関心なために、その不適切な利用実態が、是正される機会もないまま放置されてしまう傾向にある。
最もよく見られる光景は、近隣住民による、菜園用地や駐車場としての占有・無断利用だ。言うまでもなくこれは不法行為にあたり、筆者もこの場でその行為を全面的に肯定するものではない。

ただ、これは当の住民ばかり責めることができない事情もある。草刈り業者も入れず、土地の所有者が姿も見せないような放棄区画は、繁茂を続ける雑草やツルが自宅の敷地や私道上に越境するばかりで、住民にとっては迷惑極まりない存在でしかないからだ。筆者の知人は、2019年の台風15号襲来時、暴風でなぎ倒された隣地の大木が自宅に激突し、外壁に穴を開けられてしまっている。
他者の土地を私物化するのは当然批判もあろうが、近隣住民は不在地主の使用人ではないのだから、草刈りだけの無償奉仕を強いられるいわれはない。冬場は未管理区画の枯れ草がボヤの発生源や延焼の原因にもなりかねない。自分の土地をまともに管理する意思がないのであれば、こちらで管理する他ない、との思いが住民にはある。
■不法投棄のターゲットになる
筆者宅の隣地所有者のように、苦情に耳を貸すこともなく、近隣にいくら迷惑をかけても意に介さない所有者も存在する中で、杓子定規的な法解釈だけでは解決できない問題が発生していることも事実なのだ。
しかし、菜園や駐車場程度であれば、仮に所有者が現れてその無断利用を見咎めたとしても、復帰や明け渡しは容易なのでまだ良いのだが、これが不法投棄のターゲットともなればそうはいかない。
筆者はこれまで数多くの限界分譲地・放棄分譲地を訪ね歩いてきたが、特に辟易させられたのが不法投棄のゴミの多さであった。

不法投棄が行われるのは分譲地に限った話ではないが、恒常的に車両が行き交う車道より奥まった位置に開発される分譲地は死角が多い。そのためゴミを投棄していても人目につきにくく、発覚も遅れがちである。所有地に足を運ぶこともない地主自身は、ゴミを投棄されたことすら知らないままだ。
そのためか、分譲地で見られる不法投棄は、繰り返し続けられているとしか思えないケースもある。ただ通りすがりにゴミを投棄したというより、明らかに都合の良いゴミの投棄場所として標的になっているのだ。
■道路を塞ぐゴミの山
ゴミの山で私道が完全に塞がれている場所も目にしたことがある。
例えば、千葉県茂原市弓渡の、家屋が1軒もないある放棄分譲地では、冷蔵庫などの生活家電の他、ベニヤ板などの建築資材、家具などが、人の背丈ほども積み上げられて路上に投棄されていた。

大量のゴミは今や道路の半分以上を塞いでおり、車両の通行もできないありさまだ。それはどう見ても一般の乗用車で運び込める量ではなく、おそらく業者のしわざによるものと思われる。当然、このゴミの山の向こう側にある区画にも所有者は存在する。
私道上に廃車が放置されている事例も同様である。近隣住民によるものなのか、どこかから運び込まれたものかはわからないが、千葉県九十九里町作田や千葉県富里市十倉の分譲地では、私道上に、ナンバーが外された廃車が放置されていた。車は朽ちはじめ、おそらく移動も困難だろう。


また、千葉県東金市滝沢の放棄分譲地を調査していた際、奥へ進んでいくと、なぜか唐突に道路が寸断され、突然小高い丘になっていた箇所があった。何者かによる残土の不法投棄によって私道と数区画が埋もれてしまっていたのだ。
すでに残土からは新たに竹の繁茂が始まっており、残土は周辺の地盤と一体化し、地形そのものが大きく変わってしまっている。しかし、そんな残土の中には、いまだ数区画分の個人の所有地が埋没しているはずである。

■私道上に小屋、崩壊するモラル
筆者がこれまで目にした事例で、最もひどいと思われるものは千葉県山武市板中新田の分譲地。共有部であるはずの私道上に、個人の小屋が建築されているケースだ。おそらく物置小屋として使用しているものと思われるが、周辺に隣家がなく、他に区画利用者がいないのをいいことに、敷地内ではなく、自宅の前面道路上に小屋を建てている。
さすがにこれは、他人の敷地の草刈りのような、住民側の「自己防衛」で正当化できる行為ではない。小屋所有者のモラルを疑うものであると言わざるをえないが、特にクレームが入ることもないためか、少なくとも筆者が知るかぎり、もう数年間にわたって小屋が建てられたまま現在に至っている。

当然、その小屋が存在することによって、小屋脇に残されたわずかな隙間を抜けて足を踏み入れるのがやっと、という区画が生じている。小屋によって進入路が塞がれた区画の登記簿を取得してみたが、その区画所有者は、昭和48年の分譲当初に所有権移転登記を行った県外在住者の名義のままであった。

相続登記が行われているかもわからない。いずれにせよ現在の所有者は、自らの区画の前に不法な小屋が建築されていることもいまだ知らないままであろう。

こうした不正常な実態が続くことのリスクとしては、住環境を含めた景観の破壊、土地利用における「モラルハザード」の拡大などへの懸念のほか、所有者自身にとっても、手放したくとも手放せない不良資産と化してしまうことが挙げられる。
不法投棄場として利用されていたり、ましてや何者かによって占有されていたりする土地は不人気だ。とりわけ市場価格が低く、過剰供給が常態化している千葉県北東部の売地市場において、わざわざそんなワケありの土地を選ぶ理由がない。
購入者本人はまだ「自己責任」と言わざるをえない面もあるのかもしれないが、不本意に相続してしまった方にしてみれば、到底是認できる話ではないだろう。
■放棄地が悪循環を生み出している
実需に基づいた「住宅用地」ではなく、投機商品であった限界分譲地では、もはや価格の回復の見込みもなくなった今では、地域社会とのしがらみもなければ、世間体も配慮することのない「不在地主」の放棄地が続出している。
そうした放棄地の増加は、地域社会にある種のモラルハザードを生み出す一方、再びその土地が市場に戻されて適切に使用される道をも閉ざしている。
土地の所有者にはそれぞれの思いはあるのかもしれないが、よほど合理的な理由でもない限り、利用するあてのない不動産を所有し続けることに対するリスクには、もう少し敏感であってもいい。これは昨今取り沙汰される空き家問題にも通じるものがあるはずだ。(続く)

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吉川 祐介(よしかわ・ゆうすけ)
ブロガー
1981年静岡市生まれ。千葉県横芝光町在住。「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」管理人。「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。9月に初の著書『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス)を出版予定。
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(ブロガー 吉川 祐介)
