韓国経由でしか竹島には行けない

「百聞は一見に如かず」ということわざがあるが、これは真理である。私は8年前右翼だった。周囲の保守系言論人は皆、韓国を徹頭徹尾批判し、韓国警備兵による竹島「不法占拠」をけしからんと言ってはばからなかった。しかし竹島に行ったことのある人間は一人もいなかった。天文学者がベテルギウスや木星に行くことができず、その研究を望遠鏡や探査機の写真に頼るのは致し方ない。しかし竹島は行政区分上島根県で、行こうと思えば割と簡単に行くことができる。だから私は、韓国の竹島占拠を批判する分際で、竹島に行かないのは物書きとして大変不誠実だと考え、2012年に竹島上陸を挙行した。

竹島への航路は、島根県の隠岐群島から海を泳いでいけば何とかならないこともないが、超人でない限り現実的には不可能である。どうしても韓国側からのアプローチが必要である。要するにパスポートを持って韓国側から竹島に上陸するほかに道はない。外務省はこの行為を、「竹島の韓国主権を追認する行為になるので渡航は控えて」と注意しているが、あくまで要請であって強制力はなく、韓国側から日本の民間人が竹島に上陸したとしても罰則はない。

写真=筆者提供
竹島にて - 写真=筆者提供

韓国警察の取り調べを受ける

竹島上陸ルートは実に単純である。まず釜山(プサン)まで行き、竹島への海上定期便が発着する日本海の孤島・鬱陵島への2ルートいずれかを採る。つまり韓国本土から鬱陵島へは、日本海に面する浦項市(ポハン・釜山からバスで2時間弱)か、ソウルの東側にある東海市まで行き、鬱陵島へのフェリーチケットを購入することである。ちなみに鬱陵島には飛行場は無い(造る計画はあるようである)。ここで第1関門。まず浦項、東海いずれから鬱陵島に渡るルートを採用しても、必ず韓国警察の取り調べを受ける。

竹島への唯一の航路が鬱陵島を経由することだ。竹島に上陸して日章旗を掲げるなどの不埒な日本人が居るとあちらとしては警察の責任問題になるので、鬱陵島に渡る時点で日本人は全員、フェリー乗り場の別室にある韓国警察の駐在所に連れていかれ、「鬱陵島への渡航目的は?」と念入りに聞かれる。私を取り調べた韓国警察は日本語に堪能であったので、会話はすべて日本語。「もちろんあなたも知っているでしょうが、鬱陵島からは独島(韓国側呼称)へ行くことができますが、行く予定はないですよね? まさかないですよね?」などと、なおも執拗に訊いてくる。パスポートは当然のこと、荷物は全部チェックされ、パスポートの複写と韓国語で書いた人定調査書をFAXで鬱陵島韓国警察に事前から送信されてようやくOKがでる。

ここでの私の受け答えは「私はアマチュアカメラマンなので、鬱陵島の山や自然を撮影することが目的です」と適当に欺瞞(ぎまん)していれば何ら問題はない。

■鬱陵島に到着

さて韓国本土から鬱陵島は大型フェリーで約3時間強というところ。鬱陵島は、あまり知られていないが李氏朝鮮時代に海賊が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)したので「空島政策」という無人島政策を李朝が採用した隙に、江戸時代に日本人が入植してプチ開拓した事実がある。朝鮮を侵略した秀吉政権とは違い、徳川幕府は平和路線を重視したので、李朝からの抗議により鬱陵島の領有を放棄した(このことを竹島一件と呼ぶ=江戸期の鬱陵島の呼称は竹島であった)。

鬱陵島は小さな島でこれといった観光資源もない漁業(主にイカ)の地域であるが、日本で言う小笠原諸島のような海からしか行けない場所ゆえに秘境感があり、ソウル方面からの観光客が訪れる場合が多い。勿論、鬱陵島に着いた段階で日本人と思われる観光客は私以外に皆無だったが、もの好きの欧米人もちらほらと居た。異国の地で事前にホテルを予約することが嫌いな私は、街を適当にほっつき歩いて1泊7000円くらいの中堅ホテルに3泊することになった。

筆者作成
竹島を巡る歴史 鬱陵島問題から竹島へ - 筆者作成

韓国人も竹島行きの発着場がわからない

さて、翌日はいよいよこの鬱陵島から竹島行きの定期フェリーに乗ることになるのだが、当然のこと『地球の歩き方』に「竹島への渡航方法」など一切書いていないから、地元の人に直接、フェリーの発着場のありかを聞き込みするところから始める。鬱陵島に着いて雑貨店で買い求めた地図には、竹島への航路が点線で示された地点があり、まずここで間違いないと思いタクシーで向かうと、ただの漁村だった。地図が間違っていたのだ。

そこから私は、鬱陵島の郵便局、役場、そのあたりの飲食店などに片っ端からつたない英語で竹島行きフェリーの発着場を聞いて回ったが、驚くことに鬱陵島住民ですらも竹島に行ったことがある人は皆無で、皆ほとんどその存在を知らない。宿としたホテルの若い従業員にも竹島行きのフェリーはどこから出るのかと聞いたが、逆に「なぜ行きたいのか?」と聞かれた。写真を撮りたいのだ、と答えると「インターネットで買えばいいだろう」の一言で取り付く島もない。鬱陵島での1日目はこうして徒労に終わった。

いよいよ焦燥感に駆られ始めた私は2日目、再度徹底的な聞き込みを行うや、あるタクシー運転手が「知っているから連れて行ってあげる」という。半信半疑で乗り込んだタクシーはものの20分で竹島行きフェリーの発着場(サドン港)に着いた。目的地は目と鼻の先にあったのである。

■日本人へのチケット販売は禁止

ここで第2関門。竹島行きフェリーの発着場は近代的な施設で、1日に2往復、鬱陵島と竹島を往復するものであった。ごった返すそのロビーのほとんどが韓国人高齢者の団体客ばかりである。実のところ、このフェリーを運航する船会社は日本人に対してのフェリーチケットの販売を禁止する旨、事前に情報をつかんでおり、もしパスポートを提示要求されて断られると一巻の終わりであった。いよいよ列に並び私のチケット購入の出番である。私は無言で人差し指を立てる。大人1枚の意味である。するとカウンター嬢は私を日本人と思わなかったのか、あっさりチケットを販売してくれた。まさに天の加護のおかげとはこのことをいう。いやただ運がよかっただけであろうが。

ここから、竹島まで高速船で行くわけであるが、空が晴れ渡る日本海にもかかわらず、高速船の上下運動の凄まじいこと凄惨である。出発時はチャミスル(焼酎の一種)を飲んではしゃいでいた韓国人高齢者の団体客も、ものの15分と経たぬうちに沈黙し、吐瀉吐瀉また吐瀉の連続。海面が上下に何千回も移動し、船内は吐瀉物で瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。逆にこの混乱が、私が日本人であることを隠した理由の一つだったかもしれない。私も行き道4回吐瀉し、帰り道は1回吐瀉した。

筆者撮影
竹島高速船 - 筆者撮影

この地獄が竹島に着くまで2時間半続く。途中で帰ろうと思ったがもう遅い。いよいよ竹島に着いた時には、もう息も絶え絶えである。1970年代から着々と実効支配の強化が続けられてきた竹島には、警備兵が常駐し、自給自足体制を貫徹するべく警備兵宿舎を筆頭に、ヘリポート、太陽光パネル、浄水ろ過装置、ロープウェー、山頂までの階段、そしてフェリーが接岸可能な中規模の埠頭(ふとう)が完備されている。

■奇岩「竹島」実効支配の実態

乗船客はその埠頭に降ろされるわけだが、韓国人乗船客の少なくない部分はあまりの船酔いの激しさに腰を下ろしてグロッキーとなり、十分な竹島観光などできないご様子である。とはいえ刹那の竹島観光といっても、単にフェリーから埠頭に接岸して、そのコンクリ護岸を50分ほど散策するだけのコースで、島の頂上に置かれた施設を見学することはできない(ただし、観光客向けに埠頭に設置された実効支配を主張するモニュメントは見学できる)。

竹島の第一印象は「奇岩」である。日本海の絶海に、2つの奇妙な、そそり立つ岩が唐突に海面から突き出しているといった様子で、不気味にすら感じる。テレビのニュース映像や報道写真で、上空から俯瞰して見る竹島はただのちっぽけな2つの島だが、いざ上陸して仰ぎ見ると想像以上に巨大で、恐ろしさすら覚える岩の塊である。

そこには樹木の1本も生えておらず、わずかに急峻な岩の斜面に雑草のようなものがへばりついているだけである。この急峻な崖の天辺に、韓国は実効支配を誇示する前掲各種施設を、まるで所狭しと設置している。どうやって造ったのだろう。並大抵の熱意では、こんな奇岩の頂上部分に人が定住できる構造物や循環施設を作ろうとは思わないだろう。

筆者撮影

鬱陵島には韓国国内で最初にできた「独島記念館」があり、そこの展示ではいかに竹島固有の天然自然が多いかが喧伝されていたが、実際には海鳥の一羽、魚にすら出合うことなく、文字通り何もない「奇岩」以外の何物でもない。船酔いの悪感から半ば回復していない私だったが、使命感から「写真を撮らねば」の思いで、手にしたデジタルカメラで1000枚弱、竹島を撮影した。

■ソウル市内には「独島ミュージアム」

さらには韓国人旅行客に頼んで竹島をバックに記念ポーズを取ってもらったりした。2時間半の高速船の地獄を経験した戦友、もはやここで日本人と判明しても強制送還されるような雰囲気ではない。実は鬱陵島の山頂にも「独島展望台」というのがあり、私は竹島上陸前、上陸が失敗した際の保険としてここに登頂したが、山頂で知り合った韓国人夫婦に日本人と打ち明けると、アイスクリームを奢ってもらったうえに、3人で記念写真まで撮ってくれた。実によき隣人である。

こうしてわずか1時間に満たない竹島上陸は終わった。帰路は、「頭を床につけるとだいぶ楽である」という韓国人客の助言で、床に寝た状態で耐えたが、確かに幾分はマシになった。鬱陵島から今度は東海市まで船で帰り、そこからバスでソウル市へ向かう。ソウル市内には韓国国内で2番目にできた近代的な「独島ミュージアム」というものがあり、こちらは先端技術が駆使され、アニメーションや3Dを使った懇切丁寧な説明があった。小学生と思しき団体客が見学していたが、この中で実際に竹島に行ったことがあるのは私だけではないかと思うと、何やら韓国人より「独島愛」を涵養した気分である。

■現況を考えると竹島が韓国領土であることを疑う余地はない

日本人と同じく、ほとんどの韓国人は竹島に行ったことがない。その割合は日本人よりははるかに多いはずであるが、目下のところ移動手段が船だけ、という現実を考えると致し方ないであろう。しかし韓国本土では、地下鉄の駅に「独島」の模型が展示され、子供でも『独島は我が領土』の歌をアカペラで歌うことができる。韓国のテレビには、常に「独島」の天気予報――。つまり気温、湿度、降水確率、風速が別枠で表示される。この並々ならぬ実効支配への意気込みは、韓国本土に行けばすぐにわかる。

日本には全然そういう機運がない。日本では竹島問題を啓発する展示室は島根県にほぼ丸投げされ、東京には領土記念館のひとつもない。毎年2月の竹島の日式典は、2012年に自民党が政権を奪取する前まで「政府主催で開催する」とされたが、自民党が実際に政権をとるや否やその公約は反故にされた。

そして、やる気と運さえあれば行くことのできる「日本固有の領土・竹島」に実際に行ったことのあるタカ派や保守系言論人はほとんどゼロである。事情を知らない第三者からすれば、現在の状況だけを考えると竹島が韓国領土であることを疑う余地はないのではないか――とすら思うだろう。韓国郵政局は「独島切手」を何種類も発行しているが、日本郵便はただの一度も「竹島切手」を発行していない(北方領土関係はある)。この1点においても、日本政府の領土に対するやる気のなさがおわかりいただけたと思う。

筆者撮影
展示「竹島から日本人を追い出す」 - 筆者撮影

■日本人の嫌韓、領土への叫びは実行を伴わぬ愚行

第2次安倍政権は保守だとか、外交の安倍だとか喧伝しているが、私からするとどこが保守なのか、どこが外交の安倍なのかよくわからない。「我が国の領土・領海を守る!(キリッ)」などという自民党の保守系議員も、てんで竹島のことなどニュースでしか知らないのだ。そもそも、在日米軍に我が国の領土や領空を好き勝手に使われても何も疑問に持ちえない議員のどこが保守なのか、愛国者なのだろうか。

どだい、韓国国民の領土に対する気概からして日本はすでに完全敗北している。ここまでくると、竹島は日本の領土などとは空寒い空疎空論で、韓国側の営々と積み上げてきた実効支配の根拠に日本側は何も太刀打ちできないだろう。百聞は一見に如かず。私の言葉や写真を疑うなら、一度竹島に行ってみればよろしい。その圧倒的な実力行使に、私たちは「竹島は日本固有の領土」というあまりにもか弱いスローガンに言葉を失い、そして日本人の威勢のよい嫌韓とか領土への叫びがいかに実行を伴わない愚行であるか、存分に気がつくはずである。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。
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(文筆家 古谷 経衡)