「営業したら除名」の厳命が下った飛田新地

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 大阪・西成に残る色街「飛田新地」が4月3日から全店休業を実施し、街から灯りが消えた。緊急事態宣言の発令に先立ち“自主的ロックダウン”を決断するまでの苦悩や葛藤を、ノンフィクションライター・柳川悠二氏が追った。

【写真】飛田の料理組合からの営業自粛を求める文書。「厳命」「緊急」という文字が並ぶ

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 安倍晋三首相による緊急事態宣言が間もなく発令されようとしていた4月7日午後4時、大阪市西成区は平時と変わらぬ時間が流れていた。

 地下鉄御堂筋線「動物園前駅」から続く飛田本通商店街は、激安スーパー「玉出」がパチンコ屋と見紛うほど派手な黄色い看板を掲げ、ホルモン屋から漂う脂身が焦げる匂いが鼻腔をくすぐる。

 まだ日が落ちる前だったが、男たちが小さなカウンターだけの店で酒をあおっていた。

 この地に近年急増した「一杯500円、一曲100円」の居酒屋カラオケ店の前に立つ初老男性が、女性スタッフと会話を交わす。

「コロナ、おるか?」
「おらんわ!」
「ほな、入るわ」

 飲食店はどこもそれなりに人で賑わい、“密閉・密集・密接”3密の宝庫であった。

 商店街を抜けて大門跡から東側に入った一帯が、街中の異境ともいえる「飛田新地」である。甲子園球場2つ分の広大なエリアに、古い木造2階建ての“料亭”がおよそ160店も軒を連ねる。

 大正時代から遊郭として栄えた飛田新地は、1958年の売春防止法の施行以後も、「料亭で働く女性と全国から訪れる男たちが“自由恋愛”から情事に発展していく場」という建前の元、いわゆる「ちょんの間」として存続してきた。

 艶やかな着物やドレスに身を包んだ女性が玄関の上がり框に座り(顔見世)、背後や両サイドから強い原色ライトを当てて妖艶さを醸し出す。「曳き子」と呼ばれるオバちゃんが通りを往来する男に声をかけ、笑みをたたえる女性と共に、男を招き入れていく。

 遊郭の情緒を残すこの地を訪れた者は、異世界か江戸時代の日本にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

 しかし、この日の飛田新地は、人通りがなく静けさに包まれ、周囲の風景に埋没していた。飛田新地はいま、全料亭が営業を停止しており、各料亭のシャッターには「飛田新地料理組合一同」と署名された一枚の紙が貼られている。

〈コロナウイルスの対策として緊急事態宣言発令時から解除されるまでの間、営業を自粛致します(中略)日本を沈没させてはいけません(中略)再会を心よりお待ち申しております〉

◆「感染者が出るまでは」

 料亭という形式もあり、各店は「飛田新地料理組合」への加盟を義務づけられている。同組合は新型コロナが日本でも流行の兆しを見せ始めた1月から、12ブロックに分かれている料亭の各ブロック長と感染防止策を練ってきた。組合幹部が話す。

「保健所に問い合わせるだけでなく、大阪府庁とも対応について相談してきましたが、“いつ収まるか判断がつかん”、“まだまだ広がる”といった話ばかりでね。営業を続けてよいのか、組合としてもなかなか方針を決められませんでした」

 飛田新地の料亭内で行なわれるのは、濃厚接触の極みたる“本番行為”だ。組合としてこれまでも性病を防ぐためにコンドームの着用を徹底し、衛生面には細心の注意を払っていたが、新型コロナへの“対策”も、早い段階から取り組んできた。

 感染が拡大していなかった1月下旬から、スタッフ入店時の消毒、室内に加湿器の設置、こまめな水分補給と十分な睡眠──などを指導してきた。組合幹部が続ける。

「我々としては、各店舗を守り、その従業員たちの命を守らなくてはならない。歓楽街いうのは、皆様の1日の疲れを癒やす場所。社会が安定してこそ売り上げがある。一丸となって対応しなければならんのです」

 3月に入り、感染者が急増すると、いよいよ「一斉休業」を視野に入れた理事会が頻繁に開かれるようになった。会合場所は飛田新地の一角に建つ「飛田会館」。大正12年築の建物の1階事務室に、各ブロック長が集った。

「侃々諤々の議論が続きました。一案として全店休業の話を切り出したんですが、『休業したら女の子らはどうするんや』と反対する者もおったし、当然ながら『潰れてしまうやろ』という声もあった。意見がまとまらんで、一堂が黙り込んでしまうこともあってね。ほとんど毎日のように会合を開いておりました」(同前)

 休業への反対意見は料亭だけでなく飛田本通商店街からも届いた。飛田帰りに一杯引っかけていく観光客が減ってしまうという懸念があったのだ。

「なかには『感染者が出るまでやるべきや』という声もありました。みんなそれぞれ立場があるので、暴論とは片付けられなかった」(同前)

◆「売り上げが8割減」

 組合幹部によれば、飛田新地の近年の利用客の内訳は3割が地元の人で、出張族などを中心とする府外の人がおよそ5割。残りの2割はインバウンドの中国人観光客だった。

 今年の春節(1月25日)あたりから中国からの観光需要が見込めなくなるなどして、売り上げが半減。3月に入ると8割減という壊滅的な状況にまで落ち込んでいた。3月末の時点で、およそ3分の1の店舗が経営難で自主的に休業していたという。

 そして3月31日、組合は飛田会館で緊急会合を開催。ここで、政府が緊急事態宣言を発令したら全料亭の営業を休止することを決めた。

「会合で訴えたのは、私らは“絶滅危惧種”だということ。小さな街の一角で、建物も古い木造建物。ひとたび地震や火事が起きれば壊滅する。それはコロナでも同じ。ひとりでも感染者が出れば終わりです。一度客が離れたら、飛田はもう復活できない。通常の歓楽街と私らは違うんやということを、組合長も何度も伝えて説得しました。

 実際、みんな分かっとったんです。街そのものがギリギリで生き永らえておるということを。抵抗していたブロック長たちも最後は分かってくれた」(別の組合幹部)

 4月に入り、大阪府知事の声明や医師会による緊急事態宣言の提案に耳を傾けた結果、政府の決断よりも早い4月3日に全店舗休業を前倒しで決行することに。ただし、緊急事態宣言前での休業実施だったこともあり、強引に営業を続ける構えの店もあったという。そこで組合は全店に「厳命」と題した文書を通達した。

〈明日、4月4日(土)に営業されている店舗は組合から除名処分と致します。最後のお願いです〉

 組合関係者が話す。

「文面にはきつい言葉が並んでいますが、組合としての強い意思表示の結果、そういう言葉を使いました。この通知以降、全店舗が休業に賛同してくださいました」

◆「どうぞ写真に収めてください」

 一斉の自主休業は、100年を超える飛田の歴史でこれまで2度あった。最初は昭和天皇の崩御の際で、大喪の礼の日に半日だけ営業を停止。2度目は大阪でG20(20か国・地域首脳会議)が開催された昨年6月。2日間の休業に加え、G20の開催前後の計8日間は、女性が玄関先に並ぶ顔見世を禁止し、店内の様子を隠すために暖簾をかけて営業した。

 飛田を訪れると、見慣れぬ風景をつい写真に収めたくなるものだ。しかし、各経営者や曳き子のオバちゃんは働く女性のプライバシー保護を理由に、カメラを構える観光客には厳しい態度で接してきた。だが、ロックダウン状態の今は違う。飛田会館を出ようとした時、関係者が私に告げた。

「どうぞ町並みを写真に収めて帰ってください」

 緊急事態宣言が発令された4月7日は、月が地球に接近し、いつもより輝きが増して見える「スーパームーン」の夜だった。本来であれば飛田新地が最も賑わいをみせる夜8時に再び同地を訪れると、いつもなら軒先に吊るされているはずの赤提灯も撤去されていた。

 日本最後の色街からは完全に色が失われ、漆黒の一帯をわずかな街灯と月明かりが照らしていた。

※週刊ポスト2020年4月24日号