ガリガリ体型がトレードマークの芸人、カラテカの矢部太郎さん。

彼が大家のおばあさんとのちょっと変わった「二人暮らし」の日常を描いたフィクションマンガ『大家さんと僕』(新潮社)は、79万部を超える大ベストセラーになりました。7月に発売された最新作『大家さんと僕 これから』では、ついにそんな大家さんとの別れが描かれています。

人見知りで引っ込み思案な矢部さんは、どうやって大家さんやまわりの人たちと打ち解けて仲良くなったのでしょうか?

取材を通して見えてきたのは、優しさに満ちた矢部さんならではの「勝ち負けをつけたくない」という人生哲学でした。

〈聞き手=ラリー遠田〉


【矢部太郎(やべ・たろう)】1977年生まれ。1997年にお笑いコンビ「カラテカ」を結成。2017年に上梓したコミック『大家さんと僕』(新潮社)がベストセラーになるなど、お笑い界以外でも活躍を見せている

ラリー:
矢部さんってあんまりご自分から誰かに声かけたりするタイプには見えないんですけど、大家さんや先輩芸人やお友達に囲まれて、豊かな人間関係を築いているように見えます。

矢部さんはどうやって人と仲良くなるんでしょうか?

矢部さん:
どうですかね…。僕が聞きたいくらいです。なんでだろう?



ラリー:
飲み会に参加していても途中でスッと抜けて帰っちゃうと聞いたんですが…

矢部さん:
そうです。

打ち上げも苦手で「どうしたら打ち上げに行かなくて済むかな」って考えてます。

ラリー:
どういうところが苦手なんですか?

矢部さん:
僕はあんまりお酒が飲めないんです…。行ったら楽しいときもあるんですけど、「疲れそう」っていうイメージがあって。

お酒を飲まない人、たとえば板尾(創路)さんとご飯を食べて、その後に喫茶店で午前3時とか4時くらいまでずっとしゃべってたりするんですけど。それは大丈夫です。


ずっと恐縮そうな矢部さん…

「売れたい!」という考えだと、絶対どこかでパンクする

ラリー:
たとえば、相方の入江(慎也)さんは矢部さんとは正反対の性格だと思うんですけど、どうやって長く付き合ってこられたんでしょうか?

矢部さん:
いえ、僕は入江くんのそういう性格に助けられてるんですよ。打ち上げとかも率先して行ってくれるし、僕にない行動力がある。

そもそも入江くんに誘われてなかったら、お笑いをやろうとは思っていなかったと思います。

僕はだいたいそういう感じなんです。漫画も人に勧められて描きはじめてるし。自分から何かやったことがないです。ライブを企画したりとか。

ラリー:
それもないんですか!?

矢部さん:
ないです。「この仕事をやりたい」と言ったこともないです

ラリー:
何もしてない…。それって欲がないということですか?

「有名になりたい」とか「芸人として売れたい」みたいなことは?

矢部さん:
みんなに比べたらすごく弱いと思う。

ラリー:
芸能界では自分からガツガツ行かないとダメだ、っていう風潮があるじゃないですか。どんどん高い家賃のところに住んで自分を追い込め、とか。

矢部さん:
僕、そういうの全然思ってないんですよ。そういう考えだとどこかで絶対パンクするじゃないですか。怖いです。

ラリー:
『大家さんと僕』はシリーズ累計で100万部以上売れていて、印税もいっぱい入っていると思うんですが、ぜいたくはしていないんですか?

矢部さん:
ないですね。

最近「宝くじに当たった人のその後」をまとめたサイトを読んでるんですけど、だいたい身の丈に合わないお金の使い方をして不幸になる、っていうオチなんですよ

お金を使うのが怖くなっちゃって。


(ベストセラーを出したときに何もそんなサイトを見なくても…)

「自分が勝っても、ほかの誰かが負けるとうれしくない」

ラリー:
でも、そんな弱肉強食の芸能界で、矢部さんのような人が今まで生き残ってこられたのはどうしてなんでしょうか?


なんか追い詰めてるみたいで…すみません…

矢部さん:
弱肉強食の「弱」だから、戦わないようにしてるんです。戦うと負けるから。

ラリー:
「戦う」っていうのは、「『M-1』に出て優勝するぞ!」とか、「『アメトーーク!』に出るためにエピソードトークのネタを考えるぞ!」みたいなことですか?

矢部さん:
そうですね。そういうことをすると、本当の実力がバレちゃうので。

そういうコンテストみたいなものの当日に「行くのやめようよ」って言って、入江くんに怒られたこともあります。



矢部さん:
僕、ちっちゃいころから「戦いたくない」ってすごく思ってました。「ここで僕が勝ったら、誰かが負ける。苦しいな」って。

だからスポーツとかあんまり好きじゃないんですよね。

たとえオセロでも、自分が勝つと相手の人が負けてるから、嫌なんですよ

ラリー:
オセロでも!

矢部さん:
なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう、って思います。そう思いませんか?


ええ…

ラリー:
どうなんだろう…普通の人は単に「勝ちたい」って思ってるだけじゃないかな…

でも、お笑いも世の中の仕事も、「他人と戦わなきゃいけない場面」って多いじゃないですか?

矢部さん:
戦わないためには、他人とは違うことをしなきゃいけないと思っています。

ラリー:
確かに、矢部さんは漫画以外にも、気象予報士の資格を取ったり、似顔絵を練習したり、自分からいろいろなことに挑戦されてますよね。

矢部さん:
そうですね。僕にとって絵や漫画って、「勝ち負けをつけずに、みんなを楽しませられる」ものなんです。

誰が最高、って決めなくても「みんないい」ってなる可能性がありますからね。

だからいいなと思います。実際、どんな絵や漫画もいいと思うし



どうしたら優しくなれる? どうしたら優しい世界になる?

ラリー:
今、世間は「他人に優しくできない」人が増えてるような気がするんです。

どうしたら、みんな矢部さんのように優しくなれるんでしょうか?

矢部さん:
僕は僕のことが、すごく大事なんです

みんながそんなふうに、自分のことを大事に思ったらいいんじゃないですかね。

相手も自分と同じだと思ったら、自然と優しくなりますよね。



ラリー:
なるほど! それって、矢部さんが傷付きやすいからこそ他人のことも傷付けたくない、っていうところもあるんですかね?

矢部さん:
あると思います。人を傷付けるようなものを見るのもかかわるのも嫌なんです。

そんなのきれいごとで駄目だとは思うんですけど、どうしたらいいんですかね? どうしたらそんな世界が来るんですかね?


深い問いです…

矢部さん:
…僕、スーパーとかに行って、自転車を停めるときにカギをかけないんです。

ラリー:
えー!?

矢部さん:
それで、戻ってきて盗まれてなかったら、「ああ、いい世界だ」って思うんです。

それがすごく好きなんです。

ラリー:
矢部さんはこの世界がいい世界であることを信じたいんですね。でも、盗まれちゃうこともありますよね?

矢部さん:
あります。

ラリー:
そういうときにはどう思うんですか?

矢部さん:
「チクショー!」って思います。カギかければよかった!って


それは思うんだ

「面白いものって疲れちゃう」から、強いオチはいらない

ラリー:
お話をうかがっていて、矢部さんの漫画ってまさにそういう優しい世界を描いているんだな、と思いました。

矢部さん:
そうですね。あんまり勝負しない。

『大家さんと僕』は8コマ漫画なんですけど、編集者の方に「8コマのほうが4コマよりも鋭いオチが必要ないから矢部さんに向いてると思いますよ」って言われてそうしたんです。

ラリー:
それも矢部さんっぽいですよね。鋭いオチじゃなくて優しいオチの漫画。

8コマ目でビシッとオチが来るっていうより、余韻がありますよね。

矢部さん:
「ウケた」とか「スベった」とかの勝ち負けがないところに行きたかったんです。

最後にきっちりオチがあるものが続くと疲れちゃうんです。

人間って走り終わってもすぐに止まらないでちょっと歩いたりするじゃないですか。そういう感じを作っているのかもしれないです。



ラリー:
それも読み手に疲れさせたくないっていう優しさですよね。

あんまり疲れたくないですか?

矢部さん:
うん、面白いものって疲れちゃいますもんね

ラリー:
すごいこと言った!

流される人生も悪くない。遠くまで行ける。

ラリー:
今後はどんな活動をする予定なんでしょうか?

矢部さん:
アイディアはそんなにないです。割と流されるスタイルというか、流されるのが好きなんですよね。

歩いて行くのは大変だけど、流されていると思うと遠くまで行けるような…どうですかね、今の?


急にちょっと名言っぽいことを…!

ラリー:
歩くと自分の体力を使うけど、流されていれば知らず知らずのうちに遠くまで行ける可能性がある、ということですかね。

矢部さん:
はい、気持ちの上でも「あの人が言ったから、信じて頑張ろう」みたいなことにもなると思うんで。

ラリー:
ビジネスの世界では「自分の意志を貫いてやりたいことをやれ!」みたいな風潮が強いと思うんですが、矢部さんとしては「流されるのもそんなに悪くないよ」っていう考えがあるんですかね。

矢部さん:
そうですね。流されてますけど、なんだかんだ自分で選んでここまで来たわけですからね。


照れ屋で、ずっと下を向いていた矢部さん…。ありがとうございました!!

〈取材・文=ラリー遠田(@owawriter)/編集=天野俊吉(@amanop)/撮影=長谷英史(@hasehidephoto)〉

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