こんにちは、神戸市上海事務所の張文芝です。今回は、中国に渡って30余年の「中国ビジネスの鉄人」、華鐘コンサルタントグループ董事長の古林恒雄さんに、神戸市との縁や経営コンサルタントのお仕事についてお話を伺いました。

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【張文芝の国際人探訪】

 こんにちは、神戸市上海事務所の張文芝です。今回は、中国に渡って30余年の「中国ビジネスの鉄人」、華鐘コンサルタントグループ董事長の古林恒雄さんに、神戸市との縁や経営コンサルタントのお仕事についてお話を伺いました。

「中国ビジネスの鉄人」の原点

 張文芝: 日本で発売された書籍「中国ビジネスは俺にまかせろ―上海の鉄人28号 古林恒雄」(朝日新聞出版)が、大変好評と聞いています。漫画『鉄人28号』は神戸市長田生まれの漫画家、横山光輝の代表作で、神戸には全長15メートルの『28号』像があるんです。巨大な28号と、本日初めてお会いする古林先生を重ね合わせ、どんな方かとドキドキしながらお伺いいたしました(笑)。

古林恒雄さん: この本は、人物モノを得意とするライターの山田清機さんが、私の中国ビジネスの経験を中心にまとめたルポルタージュです。山田さんの取材に協力し、書かれた内容について事実関係の修正などのお手伝いはしましたが、基本的には山田さん個人の「作品」です。2月に日本で発売されてから、東京の大手書店などで平積みされ、販売が順調だと聞いています。

――古林先生は改革開放前の1975年から鐘紡の技術者として中国に渡り、日本では山崎豊子さんの小説『大地の子』で知られる上海宝山製鉄所と並ぶ、当時の2大国家プロジェクトである上海金山ポリエステル工場の受注と建設に従事しました。あの頃の中国は発展が遅れ、不便な生活を強いられたと思います。中国へ来ることに躊躇はなかったのでしょうか?

 それはまったくありませんでしたね。当時の日本人にとって仕事は絶対、命を賭けるに値するものでした。与えられた使命をやり抜いて完成させる、それだけを考え、中国に渡りました。始まってみると、現場には「造反有理」の考えが色濃く残っているなど、日本とはかなり勝手が違い、戸惑うこともありました。今から考えるとかなりひどい環境下でしたが、日本と中国の技術者たちが一緒になって汗水を流し、時には怒鳴り合いながらも、最後まで一致団結してプロジェクトを大成功させました。この経験は、現在までの30数年の私の中国ビジネスの原点になっています。

神戸市との深い縁

――ところで、古林先生は神戸市とずいぶん縁がありますね。

 私は岡山で育ちましたが、生まれたのは神戸で、2歳まで灘区で過ごしました。父親が死んで岡山県北部に引上げて以降は、神戸と繋がりがありませんでしたが、80年代に天津港の改革に尽力した神戸市の港湾局長(当時)の鳥居幸雄さんの手伝いをするようになってから、神戸に頻繁に足を運びました。鳥居さんに頼まれ、日本海事新聞に「中国の今」という題でコラムを連載したり、神戸日中友好協会で講演をしたりと、神戸の日中関係とはいろいろ縁がありました。

――私は天津出身ですが、鳥居さんはいまでも天津の港湾関係者に尊敬される“大人物”です。

 当時の中国の港は、2、3カ月の沖待ち(船舶が港に入れないときに沖合で待機すること)が当たり前というひどい状況でした。そこで、天津港最高顧問に就任した鳥居さんが神戸港のノウハウを移植する形で改革に取り組まれた結果、2、3年もすると港のモノがスムーズに動くようになった。これは大変な貢献でした。天津港のみならず、上海や青島、広州の港でも、天津港をモデルに改革を行い、大きな成果を収めました。

――1973年、天津と神戸、それから上海と横浜の間で、日中で初めて友好都市締結が行われました。鳥居さんが天津港の改革にかかわったのも、こうした背景があります。その後も神戸市と中国との深い関係は続き、現在は天津事務所、南京事務所、上海事務所を置いています。中国に3つの事務所を設置している日本の自治体は、神戸市だけではないかと思います。

経営コンサルタントの仕事とは

――古林先生は80年代後半から90年代にかけ、カネボウの中国代表として20社以上の日中合弁会社を設立しました。94年には上海市と合弁で華鐘コンサルタントを設立し、05年のカネボウ破綻に際してMBO(management‐buy‐out)により独立、華鐘コンサルタントグループの代表に就任します。現在、華鐘コンサルタントの会員企業数は、900社近いと聞いています。コンサルティグのお仕事では、これまでの30余年の中国ビジネスのノウハウや広範な人脈が生かされているのですね。

 コンサルタントは、企業にとって大きな影響を持つとても大事な仕事です。コンサルタントが間違ったアドバイスをすれば、企業は道を誤り、その命運に大きく影響します。華鐘コンサルタントは金儲けを目的にするのではなく、お客様の役に立ち、社会貢献していく企業を目指しています。社員には皆の給料はお客様からいただいているのだから、お客様の利益のために必死で働こうと常日頃から話しています。

――これまで、経営コンサルタントのお仕事について、よく分かっていませんでしたが、古林先生と話していると、5年、10年と先を見据えながら、コンサルタント自身の経験、知識を生かし、最適なアドバイスをする、そういうお仕事であることが理解できました。

 そうですね。コンサルタントの仕事は知識、経験、ノウハウの提供だけでなく、ものをどう考え、どう行動するかを示唆することが大切だと考えています。

――古林先生は、金山ポリエステル工場の建設から一貫して、仕事を通じ中国に貢献されてきていると思います。最後に、今後ますます重要になる日中関係についてのご意見をお聞かせください。

 日中関係はいろいろ難しい問題もありますが、中国で働く、あるいは学ぶ日本人が、中国において中国のためにもがんばる、それから日本で働く、学ぶ中国人が、日本において日本のためにもがんばる、それしかないんです。民間人である私たちこそが日中両国の関係を大事にし、それぞれができることをしていく、そうすれば将来も日中の友好関係は保持されていく、そう考えています。(2011/05/02)(情報提供:ウェネバー/ビズチャイナ/ビズプレッソ 取材担当:岩下祐一 編集担当:水野陽子)

==================================================================プロフィール:古林恒雄(こばやし・つねお)

1942年神戸生まれ。65年東京大学工学部卒業、鐘紡(当時)に入社。78年から上海石化総廠ポリエステル工場の設計、建設、操業引渡しに従事。94年上海華鐘コンサルタントサービスを設立して副董事長・総経理、05年カネボウ破綻により華鐘コンサルティングを設立して代表取締役に就任。03年上海市外国投資促進中心顧問、06年上海市外商投資企業協会副会長、07年上海市白玉蘭栄誉奨、09年中国永住権取得。