(※写真はイメージです/PIXTA)

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高齢ドライバーによる事故が社会問題として繰り返し報じられるなか、家族にとって悩ましいのが「免許返納」をどう切り出すか。運転をやめてほしい気持ちはあっても、本人の生活や尊厳に関わる問題だけに簡単ではありません。東京都に住む女性も、78歳の父親との間で同じ葛藤を抱えていました。強い拒絶の末に起きた出来事は、老後資金の計画さえ大きく狂わせるものでした。高齢ドライバー問題の現実を、一つの家族の事例からみていきます。

78歳父「まだ運転できる」

「お父さん、そろそろ車やめたら?」

東京都多摩地域に住む中村由美さん(52歳・仮名)がそう口にしたのは、父の中村和雄さん(78歳・仮名)が自宅の車庫入れで何度か壁に車体を擦ったことがきっかけでした。

和雄さんは元設備会社勤務。妻に先立たれ、現在は一人暮らしです。収入は基礎年金と厚生年金で月16万円ほど。預貯金は約1,500万円あり、住宅ローンもありません。老後資金としては比較的余裕がある部類です。

しかし由美さんは以前から不安を感じていました。信号待ちでブレーキを踏むタイミングが遅い。スーパーの駐車場で切り返しの回数が増えた。何より本人が変化を認めようとしません。

「事故なんか起こしてないだろ」

「俺から自由を奪う気か!」

話題を出すたびに和雄さんは声を荒らげました。地方ほどではないとはいえ、和雄さんの生活は車中心でした。病院まで車で15分。趣味の釣りも車が欠かせません。

警察庁によると、日本の高齢者における運転免許証の自主返納率は全国平均1.85%。都道府県別にみると、神奈川3.24%をはじめ、大都市圏は高い傾向にありますが、車が日常的に欠かせない地域ほど、返納率は低くなる傾向にあります。

また家族が返納を勧めても本人が強く反発するケースは少なくありません。それは運転技術の問題だけではありません。車は本人にとって「自立の象徴」。だからこそ、由美さんも無理に取り上げることはできなかったのです。

父から震える声の着信

数ヵ月後の平日昼。仕事中だった由美さんのスマートフォンが鳴りました。和雄さんからでした。

「由美か……」

声が震えていました。

「やっちまった」

和雄さんは自宅近くの交差点で自損事故を起こしたというのです。幸い大きなけがはありませんでした。しかし車両の損傷は予想以上。和雄さんの車は全損。廃車処分となりました。

「まさかこんなことになるとはな……」

事故後、和雄さんは急速に気力を失っていきました。そして「もう車は乗らない」と宣言。由美さんも少し安心しました。しかし本当の問題はそこから始まったのです。

車を失った後の2つの大問題

車を手放した翌月。和雄さんの生活費は目に見えて変わりました。

病院への往復はタクシー。

買い物もタクシー。

釣り仲間との集まりに行くにもタクシー。

月額の交通費は、それまでのガソリン代や維持費を大きく上回る約3万5,000円になりました。年金16万円から、食費4万円、光熱費1万8,000円、通信費8,000円、医療費1万5,000円を差し引くと残りは多くありません。そこへ交通費が加わります。

さらに事故後の精神的な落ち込みから外食が増え、支出管理も甘くなりました。

「車があったころのほうが金はかからなかった」

和雄さんはそう漏らしました。しかし、遅かれ早かれ、こうなったと由美さんは思っています。

由美さんは地域包括支援センターに相談しました。そこで初めて、自治体の移動支援サービスや高齢者向け送迎制度の存在を知ります。通院支援や乗合交通など、利用できる仕組みはいくつもありました。

家計への負担は幾分減ることが期待されます。しかし、運転をしていたころと比べて和雄さんは気力を失い、年齢以上に年老いた気がします。足元がおぼつかなくなり、以前よりも歩幅が狭くなったように感じます。

「免許を返せというだけでは、いけなかった」

由美さんは悔やみました。免許返納の話をするとき、車を失った後の代替手段まで具体的に示せていなかったからです。「危ないからやめて」だけでは、和雄さんは納得しなかったでしょう。運転を続ける理由は、自尊心そのものだったからです。

高齢ドライバー問題は、事故そのものだけがリスクではありません。

まずお金の面。事故後の修理費、買い替え費用、生活手段の再構築、増え続ける移動コスト。そうした支出が老後資金を削っていきます。

そして老化・認知症。国立長寿医療研究センターの調査によると、運転を中止した高齢者は、運転を継続していた高齢者と比較して、要介護状態になる危険性が約8倍に上昇することが明らかになったといいます。

車を失った後、どう暮らしていくのか。その準備まで含めて考えなければならない現実があります。