有賀美雪さん

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世界で初めて、“動物と交わる”を銘打ったストリップショーを行い、興行を成功裏に終えた伝説の踊り子・浜みゆきさん。その娘で、幼少期より母に随行して昭和のストリップ劇場を転々と暮らした有賀美雪さんもまた、ストリッパーだ。劇場の楽屋での暮らしを振り返り、「人間のクズの集まり」と唾棄する彼女の、語りに耳を傾けた。
◆学校はほとんど行っていなかった

――伝説のストリッパー・浜みゆきさんの娘として、全国津々浦々を移動されたと聞きました。

有賀美雪:そうですね。今はもうストリップ劇場はほとんどなくなっていますが、私が幼いころは全国に400程度あったのではないでしょうか。期間は興行に合わせて、10日程度で移動をするんです。

――学校は……。

有賀美雪:学歴は中卒です。といっても、ほとんど学校には通っていません。小1は行っていたはずですが、2年生以降は飛び飛びに行くくらいで。私が8歳くらいのとき、母が自分の劇場を経営するようになってからも、学校はほとんど行かなかったですね。中学も卒業はしましたが、年間15日くらいしか出席していなくて。「内申書を書くのに必要なだけの出席日数がない」と担任に言われました。

◆麻雀で漢字を、花札で算数を学んだ

――有賀さんは過去、雑誌にコラムなどのご執筆もされていました。数字にもお強いとか。どこで勉強したのでしょう。

有賀美雪:不思議なことに、国語と音楽と家庭科の成績は5だったんですよね。たぶん、大人の世界にずっといて、要らない話を聞くからじゃないかなぁ……。

 ストリップの世界って、演者やその家族以外にも、いろんな有象無象がいるんですよ。薬物中毒とか、前科持ちとか、ストリップ嬢のヒモみたいなやつとか。普通の社会に居場所がない奴らの、掃き溜めっていうか。
 
 一緒に旅をするなかに、日本国籍じゃない人もちらほら混じっていて……漢字はそういう人に教えてもらったりしましたね。もう少し大きくなると、大人たちが麻雀やるのを見て漢字覚えたりね。算数は、花札で覚えた気がします。チンチロとかも、みんなやってましたから。

――その「ヒモみたいなやつ」に虐待されたりもしたとか。

有賀美雪:幼いときですね。私が騒ぐのが気に食わないとかで。ヒモみたいな男に、階段から突き落とされて3日ほど意識が戻らなかったことがあります。倫理観とか常識なんてものはない世界なんですよ。当時は刑務所帰りの麻薬中毒者みたいな男が楽屋に入り浸っていて、小さい私は殴られるなどの虐待を日常的に受けていました。母は私を警察署に預けてくれて、そのおかげで私は生き延びることができました。

◆母親はショーも人生も規格外

――“動物を交わる”ショーが非常に好評を博したとのことですが、当時、有賀さんはお母様のアシスタントみたいなことをしていた。

有賀美雪:ショーで使う犬を出し入れするのは、当時3〜4歳だった私の仕事でしたね。もちろん、当時は何をやっているのかわかってみていたわけではありません。だから迷子になると、交番で「おまわりさん、ママがショーをやってるから見に来てね」なんて言ったりして。でも7歳くらいになれば、だんだんいろんなことがわかってきますよね。銭湯に行けば母の刺青をみんなが見ているし、母は小指の先がないしね。

――その後、お母様は犬以外にもチンパンジー、馬とのショーを展開して成功を収めていく。

用賀美雪:そうですね。母は発想がダイナミックで、普通のストリッパーには考えつかないようなことをやるんですよね。覚えているのは、「ハイセイコーの種が入ってる子がいいんだよな」なんて言いながら、JRAに電話して譲ってもらえないか交渉して、先方から怒られてましたね(笑)。結局、競走馬だと楽屋にも入り切らないので、北海道の牧場からポニーを譲り受けてショーをやっていたんですよね。それでもかなり大きかった気がします。