婚姻も懐妊も認めず、肉食は厳禁、私有財産も不可。「死の戒律」を実践する異端カタリ派に、なぜ人々は熱狂したのか? その意外な理由。
中世キリスト教最大の異端として知られる「カタリ派」。特に12-13世紀の南フランスで拡大し、ローマ教会が差し向けた「十字軍」に制圧されたこの異端運動は、恐ろしいほど厳格な戒律を保持していた。なぜ当時の人々はこの教えを熱狂的に支持したのだろうか。講談社学術文庫の新刊『カタリ派とアルビジョア十字軍――中世ヨーロッパの異端運動』(渡邊昌美著)は、「宗教」というものの奥深さと意外な側面を教えてくれる。
死せるがごとくに生きる「絶望の教理」
カタリ派が、南フランスに浸透し始め、信者を組織して独自の教義を樹立したのは、1160年代のことだった。その教義は、東方のマニ教などの影響を受けたともいわれる。
カタリ派の教義の出発点は二神論である。彼らはまず、善き神の支配下にある彼岸=霊的世界と、悪しき神に支配された現世=物的世界という平行する二つの世界を想定する。
〈ともあれ、現存するいっさいのもの――単に在り方でなく、存在すること自体、むろん己れ自身の存在をも含めて――が悪なのだ。これがカタリ派の出発点だ。絶望の教理といわれるゆえんである。〉(『カタリ派とアルビジョア十字軍』p.115)
まず「旧約聖書」が退けられ、「新約」のみが信じられる。彼らの理解する創世記では、旧約の造物主は悪魔であり、旧約は悪魔の書だった。ノアの洪水をはじめ、アブラハムの解放、ソドムの破壊など、旧約が神の業(わざ)としているところは、ことごとく悪神の業であり、アブラハム、イサクなどはすべて「殺人者」であって悪霊(デモン)にすぎない。
そして、物でできた「不浄の世界」との接触をできる限り避け、いわば「死せるがごとくに生きる」ことが、戒律の根幹となる。どんな宗教にも多少なりとも禁欲的な性格があるものだが、カタリ派の場合は、「欲望が修行する心を乱すから」という理由ではなく、原理として欲望を排撃するのである。
〈戒律の筆頭にくるのは終生の貞潔である。子孫を生むことは、彼らにとって、積極的に悪魔の手段として働くこと、さまよえる霊のための獄舎を今一つ作ることにほかならない。己れのうちに肉欲を感ずるとすれば、それは悪神の呪縛を示すにすぎない。(中略)肉欲の形態は婚姻であろうと私通であろうと、問題ない。むしろ教会が秘蹟として祝福し、制度化されているだけに、婚姻の方が罪が深い。〉(同書p.135)
異端者たちは、異性と同じ食卓につくことも、また祭儀のためであっても、素手で物品を異性に手渡すことをもさけたというから、徹底している。
妊娠中の女性は「呪いがかかっている」とみなされた。が、かといって、カタリ派が女性を嫌ったり、卑しめたりした形跡はまったくない。本来、霊には性別はなかったのだから、救済に達する資格は男女まったく同等なのだ。
また、交尾によって生産された食物で、霊が汚染されることを恐れ、殺生によらなくてもいっさいの肉食を禁じた。チーズや卵も同様である。旅先では、かならず小鍋を携行していた。宿の調理具に肉を煮た前科があるかもしれないからである。しかし――、
〈このように神経質に肉食を避けながら、魚類は例外だった。(中略)中世では魚は水中に自然に湧くと考えられ、温かい血をした動物と同列に扱わないのが普通だった〉(同書p.135)
こうして彼らは厳重な菜食主義者として、少量のパンと水で命をつなぎ、総じてほとんど餓死しない程度の食料しか口にしていなかったのである。しかも――、
〈私有権も認められない。商業や手工業、農業など、物的な財貨の生産や交換も、ということはいっさいの日常業務は霊魂の救いのために有害である。悪しき神たる造物主の世界との関係を恒常化するような、いかなる態度もよろしくないのである〉(同書p.141)
これほど厳しく、現世にまったく背を向けた狂信的にさえ見える集団に、一地方社会の広範囲にわたる階層の人々が、長い期間にわたって従ったのである。いったいなぜだろうか。
カタリ派に入信するためには、明確な意思をもっていなければならない。幼児や、意識の混濁した重病人には、その資格はない。そして、苛酷な苦行生活に耐えられるかどうかの試練に合格する必要もあった。そのうえで、信者が主宰する祭式「救慰礼(コンソラメントゥム)」を受けて入信が認められるのだ。
入信の制限は厳格で、希望者をみな受け入れるような寛容さはなかった。それというのも、一度救慰礼をうけた後に、あの過酷な禁戒にふれたならば、永遠に救済される余地がなくなるからだった。
救済を得るための「裏ワザ」
しかし、実は、いとも簡単に入信が認められる方法がこの他にあった。教理的には例外的だったが、実はこのケースが圧倒的に多かったらしい。それは、死期の迫ったことが誰の目にも明らかな、しかし、まだ意識を失わない重病人や重傷者に対する救慰礼である。
〈この場合には、回復の見込みのないことが入念に確かめられる。理由は、さきに見たとおりで、生きのびた場合に苛烈な戒律を守り抜いて恩寵を失わない資質は、まず常人には期待できなかったからである。(中略)病床で信者となったものが積極的に自殺を求めたり、また異端者が殺人的な断食を課したりする理由も、おそらくそのあたりにあったであろう。死を覚悟して救慰礼を受けたのち、不幸にして(!)回復した悲劇も、むろん、ないではない。〉(『カタリ派とアルビジョア十字軍』p.159)
しかし、臨終の床でにわかに入信を思い立っても、許されるわけではない。生前、長く異端者と接触してその教説に深く帰依し、支持した実績のある者だけが入信できた。この狭義の異端者と支持者、すなわち、「完徳者」と「帰依者」の区別は歴然としており、精鋭たる完徳者の周辺に群がる膨大な帰依者の存在が、南フランスでの大きな社会的な問題だったのだ。
しかもカタリ派は、自らにほとんど自殺的な戒律を課しながら、帰依者に対してはきわめて寛大だった。妻帯肉食は無論のこと、戦闘で敵を殺傷する兵士も、高利貸しも屠畜業者も、普通の日常生活が許された。それだけではなく、いわゆる不倫や、情人との同棲も、関係が固定されていない分、結婚よりも罪が軽いと考えられていたふしがある。放埒な生活を送る帰依者のもとに、完徳者が宿を借り、保護を受けていた例も多いという。
〈完徳者と帰依者との関係は、聖職者と平信徒のそれではない。あくまでも、信者と未信者の関係と見るべきである。とすれば、完徳者が帰依者の生活態度に対して寛容だったのも、至極当然のことだ。いや、それを寛容というのは誤りかもしれない。むしろ無関心と見るべきであろう。〉(同書p.167)
つまり、現世を否定する信者たちが厳しい戒律を実践するいっぽう、信者未満の者たちは現実の生活をそのまま認められ、教義に深く帰依し支援してきた実績があれば、死期が迫ったときに秘蹟を与えられて救済への道が開ける――というわけだ。
こうして領主から農民まで、広い階層の人々の支持を得たカタリ派は、ローマ・カトリック教会という権威にとっては脅威であり、「異端」として激しく弾圧されたのである。
※カタリ派弾圧の凄惨な戦いについては、関連記事〈ヨーロッパ内部に向けられた十字軍の惨劇! ローマ教会が恐れた中世キリスト教最大の異端「カタリ派」とは。〉をぜひお読みください。
