日本の裏社会や世界のスラム街を取材する「危険地帯ジャーナリスト」の丸山ゴンザレス。最新刊『ナルコトラフィコ』(講談社)は、TBS系「クレイジージャーニー」における取材の総決算として、コカインを中心とした麻薬ビジネスの実態に迫った一冊だ。

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 2018年、丸山はテレビクルーと共に、世界最大級のコカ合法栽培地を有する南米ボリビアを訪れた。しかし、コカイン取材の合間に立ち寄った町で、命の危険にさらされる“緊急事態”に直面することとなる――。

 いったい何が起きたのか。本書より一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/つづきを読む)


丸山ゴンザレス ©佐藤亘/文藝春秋

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テレビクルーを遠巻きに見ていた男たち

 寄りたかったのは、エル・アルトにある泥棒市場だった。南米に限らず盗品やガラクタを扱う市場というのは珍しくもないが、街の中心部から程近いところで堂々と開催しているのが珍しくて立ち寄ったのだ。道路にそってテーブルや路面に敷かれた布の上にさまざまなものが売られていた。中古家電、古い携帯、旅行用のカバンなどなど。

 観光客が普通に見てまわる分にはなんら問題のない場所。同行Dの存在もあってわかりやすくこの場所の面白さを伝えようと思った。その結果、露店の主人たちに「ここは盗品とか扱っているのか?」とストレートな聞き方をしてしまったのだ。

 4〜5人声をかけるものの、当然のことながら自分の商品を盗品であると認める者はいない。さすがに不躾(ぶしつけ)が過ぎると思い、「廃棄されているもの」と言い換えてさらに何人か聞いてみる。そのあたりから雲行きが怪しくなってきた。

 遠巻きに見ていた男たち。その数が一人、また一人と増えていったのだ。しかも私たちに向ける視線が険しくなっている。強盗のような獲物を見る目ではない。どちらかというと警官が犯罪者を見る目。観察眼とでもいうのであろうか。それにしてはやや違和感が残る。

 思考を重ね、どうするか考えているといつの間にか、私たちのチームは男たちに完全に取り囲まれだした。おかしいと思う間もないタイミングだった。

「囲まれます! リンチ起きます」

無傷では逃げられなかった

 通訳のTさんが叫んだ。私が最初の一歩目を踏み出すと同時ぐらいだった。坂道の低い方へと下っていた。この頃の私はチームの安全よりも自分のことを優先する傾向にあった。そのため違和感に気づいたことをみんなに伝えるよりも先に体が動いたのだ。もちろん、取材陣の中で私が動けばみんなついてくるということも考えてはいた。後から事情を説明すればいいとも思っていた。それぐらいの違和感だったのだ。ところがTさんが口にしたリンチという単語が状況の不味(まず)さが差し迫っているのだと改めて突きつけてきたのだ。

 私たちのチームは一気に坂道を下った。始まりかけのリンチが大きな動きになることはなく切り抜けることができた。多少残った膝の痛さは、この取材を甘くみた自分への戒めとして受け入れることにした。誤解なきように言っておくと、私の取材スタンスが雑だったために市場の人たちの警戒心を煽(あお)っただけのこと。本来のリンチとは少々異なる。

 そう--、ボリビアではリンチが生きている。

根強く残る“伝統的に許される暴力”の風習

 ここ、エル・アルトでも目に見える形でリンチを知ることができる。自分たちがリンチにかけられる危機を回避して町内を散策していると、それはすぐに目に入った。

 電信柱に吊(つ)るされた実物大の人形だった。一瞬、本物の人間が吊るされているのかと錯覚するほどのサイズ感。そこには「泥棒はリンチする」と書かれた紙がセットになっていた。

 ボリビアのアンデス山脈の奥深く、標高の高い村々では、いまだに古くからのリンチの風習が根強く残っている。法律が及びにくいこれらの地域では、村人たちが自らの手で正義を実行する。この風習は「コミュナリオス」と呼ばれ、村社会の秩序を保つための自警活動と位置付けられている。

 司法はどうしているのかといえば、黙認している。山岳地帯が多いボリビアでは各地へのアクセスが困難なため法の支配を徹底させることができない。警官の数が圧倒的に足りていないのだ。そのため犯罪が発生しても迅速な対応が難しく、人々は自らの手で治安を守る必要に迫られた。結果としてコミュナリオスは、伝統的に許される暴力であると同時に司法的な役割を果たしている。

 リンチの対象となるのは、主に泥棒や暴力犯罪者である。財産を奪ったり、危害を加えたりした者は、そのエリア全員の前で裁かれることになる。広場に集められた犯人は、証拠や証言を元に即席の裁判を受け有罪となれば直ちに罰=リンチが下される。または裁判すらなしでリンチに処されることもあるという。ここ数年の出来事をいくつか集めてみたので紹介しておこう。

◆2013年、ベニ県リベラルタ市で、地域住民が麻薬密売の容疑でマリオ・ゴンザレス(Mario Gonzales)をリンチにかけた。彼は無罪を主張したが、群衆は彼を激しく殴打したうえで焼き殺した。

◆2015年、タリハ県で、ペドロ・ファルコン(Pedro Falcon)が強盗の容疑で地域住民にリンチにかけられた。彼は重傷を負い、その後病院で死亡した。

◆2018年、ポトシ県のある小さな村で、家畜泥棒が捕まった。村人たちは犯人を村の広場に引きずり出し、彼に対する裁判を行った。証言によれば、犯人は何度も同じ村で家畜を盗んでいたという。村長が裁判官を務め、村人たちの前で犯行の詳細が語られた。犯人は罪を認め、許しを乞うたが、村人たちは許す気はなかった。

 裁判の後、犯人は村人たちによって縛り上げられ、鞭打ちの刑に処せられた。鞭打ちは数時間に及び、犯人が意識を失うまで続けられた。その後、村のはずれに放置されたが、奇跡的に命を取り留めた。その後、二度とその村に戻ることはなかったという。

あとから冤罪だとわかったケース

 このように列挙すればきりがないのだが、全てのリンチが司法の代行というわけではない。

◆2019年、オルーロ県で、アレハンドロ・アパリシオ・サンチェス(Alejandro Aparicio Sanchez)が盗難の容疑で逮捕された。そして、逮捕直後に地域住民によるリンチで死亡したのだが、実際には無実であることがわかった。このような冤罪(えんざい)リンチ事件も起きている。リンチの当事者たちは「我々のやり方」として正当な手段であると主張し続けている。 

 これらの事例は、ボリビアにおける法の支配の脆弱さと、地域社会の暴力的な正義感がいかに制御不能であるかを示している。政治背景と地域住民の自警行動が交錯する中で、多くの無実の人々が犠牲となっている。

 政府とてわかっているが、警官を増員し、法の遵守を強化する方針を打ち出すに留まっていて、実際に改善する兆しは見えていない。そんな負の連鎖が相まって、地元の住民たちは「警察は信用できない」「自分たちの手で正義を実行する」といった考えを持ち続けており、リンチの風習が根絶される目処(めど)は立っていない。

 現代の法治国家においては異質であり衝撃的である。ここには自分が引き起こしかけたという自戒の念もこめておきたいところだ。それはともかく特殊な事情は、伝統と現実的な事情が合わさって生まれたのだ。その意味ではコカインの作付面積がこの国だけは拡大しているのもうなずける。証拠や統計ではない、あくまで取材者としての私の感覚ではあるが。

「昨日のタコスはうまかったか?」その言葉は麻薬カルテル流の“警告”だった…丸山ゴンザレスが“取材中止”を決断した「戦慄の理由」とは〉へ続く

(丸山 ゴンザレス/Webオリジナル(外部転載))