石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載記事、第22回目です。

※記事の内容は、2026年3月下旬から4月下旬のものです。

「まちのラジオ」ネットでも聞けるように

3/30午後、能登半島地震から復旧復興中の輪島市町野町周辺で放送中の災害FM「まちのラジオ」のサイマルラジオ放送が始まりました。

これまでは、町野町周辺と一部の地域でしか聴くことができなかった「まちのラジオが」、パソコンやスマートフォンがあれば、全国からリアルタイム聴けるようになったのです。

町野町に心を寄せる県外リスナーからメッセージ

このお知らせをきっかけに、かねてから、もとやスーパーさんでのアイスの差し入れや、ユニクロeギフトカードからの衣類支援にお力添えくださっている、兵庫県明石市の「丹波製餡所 本店」さんから、メッセージをいただきました。この機会に、ラジオ風にご紹介させてください。

丹波製餡所 本店さん「こんにちは。まちのラジオ、今初めてリアルタイムで聴きました。会話に知ってる地名や店名が出てきたりして、元気な放送が聞けて嬉しいです」

まちのラジオさん「もとやスーパーでも、アイスの差し入れ等でとてもお世話になった皆様ですね!その節は、町野町の皆さんもたくさん来て喜んでいました。本当にありがとうございます。さて、ラジオのサイマル放送をお店で流してくださっているとのことで、ありがとうございます!全国で聴けるようになって、リアルタイムの声をお届け出来るようになったのを改めて実感しました。

震災や豪雨後にふるさとを離れた方々や被災後お世話になった皆様にも同じ時間にラジオを聴いて、懐かしんだり、笑ったり、ホッコリしてもらえたら私達も嬉しいです。ご連絡ありがとうございました!!」

町野復興プロジェクト実行委員会と、一社)女川FMさんが運営している「まちのラジオ」の生放送「まちのWA」は、毎週月〜金のお昼12時〜13時30分の時間で放送しています。

全国からは、コミュニティFM向けのインターネット配信プラットフォーム「FM++(エフエムプラプラ)」 からお聴きいただけます

住民の歩みに寄り添うように咲くサクラ

4/4(日)、町野町粟蔵の粟倉医院敷地内にて、第3回桜フェスとなる、「桜フェス2026」が開催されました。

開催のお知らせの際にお伝えさせていただいた「町野復興プロジェクト実行委員会」さんのメッセージを、この場でもご紹介させてください。

町野復興プロジェクト実行委員会「この桜フェスは、令和6年能登半島地震のあと、『もう一度、人が集まり、顔を見て、言葉を交わせる場所をつくりたい』そんな願いから始まったイベントです。

あの時から、それぞれがいろんな想いを抱えながら過ごしてきたと思います。だからこそ、この日は少しだけ立ち止まって、誰かと笑ったり、話したり、同じ時間を過ごしてもらえたら嬉しいです。

毎年、この桜フェスのあと、町野町では桜がゆっくりと花開いていきます。まるで、私たちの歩みに寄り添うように。当日は一時雨の予報もありますが、天気も少しずつ良い方向へ向かっています。テントや足元の準備もしっかり整えていますので、どうぞ安心してお越しください。

ぜひ、大切な方と一緒に。皆さんのお越しを、心よりお待ちしています」

開催当日は、あいにくのお天気で途中で雨も降るなかではありましたが、それでもたくさんの方々が会場を訪れてくださり、会場は笑顔に包まれる温かなひとときとなりました。

当日は、地元の方々はもちろんのこと、久しぶりに町野町を訪れた方、初めて訪れた方など、たくさんの方々と、同じ時間・場所で過ごすことができました。

元気に走り回る子どもたち、何度も足を運んでくださる高齢者のみなさま。その足元は、雨対策で藁などが敷き詰められており、準備の段階からの優しい心遣いが窺えます。

地元有志のみなさまの出店、仮設商店街のサテライト出店はもちろんのこと、第1回から応援くださっているボランティアのみなさま、企業のみなさま、もとやスーパーさんを通じて遠方からお飲み物の応援をしてくださった方など、今年もたくさんの方々のご支援・お力添えをいただいて開催されました。

長かった冬が終わり、町野町にもいよいよあたたかな春がやってきます。

菜の花と桜のコラボ

桜フェスから1週間後の週末、春らしい陽気に誘われるように、町野町の桜が今年も満開の花を咲かせてくれました。

町野町桶戸地区では、今年も菜の花と桜の美しいコラボレーションが見られました。

満開の桜に続いて、「町野八重桜プロジェクト」の方々が2025年秋に植樹した八重桜も花を咲かせています。

元々は、歯科医院があった場所であったり、大切な自宅があった場所であったり、林業の事務所や倉庫、駐車場があった場所で、公費解体が終わったものの、土砂崩れなどの危険性が高いことから新たに建物を建てられない様々な場所に、桜の木は植樹されています。

これらの植樹された桜の木が、いつか大きく育って、町野町の春を彩り、照らしてくれる日を心待ちにしています。

「心の復興をお手伝い」地元有志によるイベント

復旧復興が進み始めた町野町では、有志の方々が物資支援のフェーズから、ちょっと楽しくなるようなイベントの開催など、心の復興のお手伝いが出来るような支援活動に取り組まれています。

雪や荒天が心配される冬が終わり、4/11・4/12、かねてからのリクエストを受けて、町野町の有志の方々による「ハーバリウム作ろう会」が開催されました。

久しぶりとなるイベントの開催でしたが、両日合わせて30人ほどの方が集まってくださり、思い思いのハーバリウム作りを楽しまれました。

ボールペンタイプが特に人気で、日曜日の開催では、在庫切れで1時間で終了となったほどです。お子さまたちには、ミニボトルの方がビーズもお花もたくさん入れられて、楽しかったようです。

カラフルなお花や、キラキラしたビーズから思い思いにお好みのものを選ぶ時間も含め、とても素敵な時間を過ごすことができました。

今年も、町野町の有志のみなさまと地元のみなさまのニーズをお聞きしながら、ちょっと楽しくなること・嬉しくなることをお届け出来るよう、努めてまいります。

“ふるさとの今、地道に” 情報ボランティアの広がり

能登半島地震の発災から発信を続けている筆者(藤本)と同じように情報ボランティアとして能登の情報を伝え続けている人たちがいます。

筆者の大学時代の同期である鈴木達也さんも、その一人です。能登半島地震発生から2年3か月、鈴木さんに当時の状況や想いを伺いました。

鈴木達也さん「僕が能登の情報をSNSに載せ始めたのは、藤本さんとの関係性があるからです。震災発生の時にはもちろん心がざわめきましたし、その報道を見ながら苦しさを感じていましたけど、自分自身も東京で大きな揺れを体感し、その後に起きた様々なことに対する不安に比べると、受け止め方には差があったのは事実だと思います。

ですが、その最中に書かれていた投稿で、初めて藤本さんが町野の出身で、ご家族が甚大な被害を受けたことを知り、自分の中での距離感が一気に近くなりました。そして、間もなく情報を冷静にまとめて毎日発信を始めたのを見て、これは同じ立場だったら、まずできないことだと思いました。自分なら家族に対する心配で頭が一杯になり、全く身動きが取れなくなって、何も手につかなくなります。

仮に情報発信を思い立ったとしても、藤本さんが行われている本業、更に家庭内でやらなければいけないことの数々を考えると、並行してあのレベルでまとめあげていくのは、相当な覚悟がないとできないと感じました。

毎日投稿を目にしながら、これは自分も傍観者ではいられないと思いました。

ただ、僕には何かを大きく動かせるような力はなく、せめてこんなことでも、と考えたのが、毎朝、能登に関する記事を検索して、各SNSに載せることでした。

そこには外側の人への情報発信という想いもありますが、それを行うことによって、自分も毎日能登の記事を読み続けることができる、という理由にもなっていました。」(次のページに続く)

「読者の感情を煽るような見出しや表現を含む物は、見つけたとしても避ける」

鈴木達也さん「これは藤本さんにも通じるところなのですが、読者の感情を煽るような見出しや表現を含む物は、見つけたとしても避けていました。それを拡散することは、能登の方々にとっては悪影響になる可能性もあるかもしれないからです。

読みながら様々な想いを巡らせていますが、自分の意見は書かないようにはしています。余計な言葉の介入によって、読む人の記事の感じ方が変質するのは本意ではないですし、自分が主語になってしまうと、どこかでその文章に対する評価を欲する心が出かねない、そうなると活動の目的が歪んでしまうからです。気付けば2年以上経っていますが、僕はあくまでも単なる『記事の読者』でしかないとは思っています」

筆者(藤本)「発災から数週間ほどして、安否確認などが落ち着いた頃、鈴木さんが能登に関する記事を読み、発信してくださっていることに気がつきました。大学の同期で、能登に関係するのは私との繋がりのみ。それがわかっていただけに、自分ごとのようにこの災害に真摯に向き合ってくださっている優しさと頼もしさを、本当に有り難く思っていました。鈴木さんが発信を続ける能登の記事からは、災害からの復興の希望が多く見られるようになってきました。まだまだ大変なことはありますが、復興に向けての歩みが進んでいることを実感しています。私だけでは追い切れない膨大な情報を発災から2年3か月となる今でも、地道に誠実に発信を続けてくださっていることを、頼もしく本当に心強く感じております」

日々能登のニュースに目を通して続けて来た鈴木さんの目に、これからは能登の復興の道のりが映っていくことを頼もしく思っています。

震災の語り部として「悲しかった出来事で終わらせない」

年末年始やゴールデンウィーク、夏休みの期間におじいさまの住んでいる町野町に家族で帰省することが恒例となっていた、宮本さん(仮名)は、能登半島地震が発生した2024年の1月1日、能登町黒川の親戚の家での宴会中に地震の被害に遭いました。

地震の被害で孤立集落となった能登町黒川から、同じく孤立集落となった町野町に戻ることは出来ず、1/5に孤立集落が解消するまで、その日からビニールハウスと車中泊で過ごしました。孤立集落が解消した後も、大きな被害を受けて崩落した道などをひたすら迂回し、14時間かけて大阪に帰ることとなりました。

その後、町野町も孤立集落が解消し、高齢者を対象とした二次避難が進みましたが、おじいさまは体調を崩して急逝。発災から4か月後の5月のことでした。家族を喪い、落ち込む様子を見て、高校3年当時の担任の先生は、宮本さんに関西大学社会安全学部の受験を勧めます。

日本で最初に社会安全学の理念を打ち出した最高学府である、関西大学社会安全学部で学び、自らの体験を活かすことで、宮本さんは、「地震の思い出を『悲しかった出来事』で終わらせない」でいられるのではないかと考え、同校を受験、見事に合格します。

大学1年生となり、授業の一環で神戸市の「人と防災未来センター」で研修を受けていた宮本さんは、係の方と意気投合し「神戸の小学校で語り部をしてみないか?」と、声をかけられ、「能登半島地震の語り部」として、12月に神戸市立湊小学校の4年生4クラスを対象とした出前授業で講演を行いました。

講演では、「あの日能登でおきたこと」、「あの日の能登から学んだこと」、「避難生活で大変だったこと」、「いま、未来にむかって頑張る能登の姿」を自分の体験を言葉にして伝え、生徒のみなさんには、「周りの人を大切にすること」「大きくなったら能登に遊びに来てね」とふたつの約束をお願いしました。

復興姉妹校として手を取り合って

出前授業のことを、宮本さんは次のように振り返ります。

宮本さん「出前授業では、涙を流し能登に思いをはせてくれる児童もいました。『俺のママが能登にボランティアいってたでー!』、『私のパパが仕事で復興のお手伝いに行っててんでー!』、『ばあちゃんが能登のお菓子かってたでー!』といろんなことを教えてくれました。

“阪神淡路”から31年。阪神淡路の日に私たちはこの世に生まれていませんが、あの日起きたこと、多くの尊い命が失われたこと、手を取り合って復興してきたことを知っています。

なぜなら、“阪神淡路の日”を知っている人々が毎年私たちに語ってくださったからです。

小学生の頃、毎年1月には『阪神淡路のお話』が時間割にありました。1.17の日には『阪神淡路音楽朝会』がありました。追悼のために、あの日を忘れないために、いつか来る南海トラフに備えるために、『しあわせ運べるように』を歌いました。その記憶が関西人の防災意識につながっています」

また、能登で頑張っている人たちにエールをおくりたいと湊小学校よりご相談をいただき、「自分の大好きな町野町に届ける方法はないか」と考えて、町野町の町野小学校(新年度からは東陽中学校)と継続的に交流が出来るように、繋がりを持たせていただきました。3月の年度末という時期でのご紹介でしたが、町野小学校さんも、新年度からの交流に期待を寄せられていらっしゃいました。

校長先生(当時)「湊小学校さん、宮本さんからのメッセージ、とても有り難く、いい縁をいただきました。この先、自分たちの町が復興に向かって行くなかで、かつての災害から30年かけて復興した町のお話を聴けることがいい体験になるだろうと、感じています」

宮本さん「湊小学校と町野小学校の取り組みが、『阪神淡路大震災と能登半島地震の記憶を未来につないでいけるものになりますように』と願っています。

一度、同じ大きな傷を負った仲間同士、復興姉妹校として、手を取り合ってともに復興していけますように。私自身も、関西から『31年前は助けに来てくれてほんまおおきに!一緒に復興頑張ろうや!』と思いを込めて活動していきたいです」

町野町との縁を大切に、語り部としての活動を続ける宮本さんの取り組みは、まだはじまったばかりです。

MRO北陸放送では、被災地の声を集め続ける藤本さんが見つめる被災地の現状をNEWS DIGで、毎月掲載します。

藤本透

シナリオライター。アプリゲーム『ノラネコと恋の錬金術』メインシナリオライター。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2』のシナリオ執筆に携わるほか、様々なジャンルでの執筆を手がける。石川県輪島市町野町出身で、石川県を舞台に描かれたアニメ「花咲くいろは」の小説版を執筆。2024年1月1日の能登半島地震発生以降、SNSを通じてふるさとの情報を日々きめ細かく発信している。

輪島市町野町は輪島市の東側にあり、能登半島地震の震源地である珠洲市と隣り合っている。1956年に編入されるまでは町野町として単独の町だった。