なぜ球審に「バット直撃」の悲劇が相次ぐのか…バットが「折れやすくなった」「スイング後に手から離れる」のには理由があった
4月16日、NPBのヤクルト対DeNA戦の8回裏、川上拓斗球審の頭に打者・オスナの手を離れたバットが直撃し昏倒。救急搬送され、緊急手術を受ける事故が起きた。川上球審は集中治療室(ICU)で治療を受けていると報じられた。21日現在詳細な経過は伝えられていない。手術後の容態が案じられる。
実は、その前日に当たる4月15日のロッテ対日本ハム戦でも、ロッテ・寺地が二塁ゴロを打った際、折れたバットが深谷篤球審の右腕に当たり、途中退場する事故が起きたばかりだった。【小林信也(作家・スポーツライター)】
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バットの軽量化が折れやすさの原因か
深谷球審の場合は「折れたバット」、川上球審の場合は「手を離れたバット」が直撃した。

バットが折れて選手や審判を直撃する事故は増えている。これは、バットの軽量化が影響している。「スイングスピードと飛距離が比例する」との説が有力となり、プロの打者はかつて使われた900グラム以上でなく、800グラム台のバットを使うようになった。その分、折れやすい。
川上球審を襲ったのは、打者の手から抜けたバットだ。29年間にわたってパ・リーグ審判員を務め、引退後もNPBで審判技術指導員などを歴任した山崎夏生さんが教えてくれた。
「日本人選手は両手を握ったままバットを振り切る打者が多いのですが、外国人選手の中には、インパクトの後は脱力し、片手を離す打者が多い傾向が見られます」
今回も、ファウルした直後に握る力を抜いたのか、バットが手を離れる結果となった。バットはくるくる横に回転しながら後方に飛び、球審の頭を直撃した。
「スイングの途中でバットを離してはいけないというルールはないんです。だから、途中で片手を離す打者に対して、審判が注意を与えることはできません。それは打者の技術にも関わることです。『自分はこの方法で最高の打撃を追求している』と言われたら、審判の立ち入れる範囲ではないからです。ルールでは規制できません。マナーの部分です。ただし、明らかに相手を傷つける目的で、例えばバットをわざと手離して投手の身体を狙うとか、そういう場合はラフプレーで退場を宣告することもできます。また折れていないバットが野手の守備を妨げたならば守備妨害となります」
「狭き門」
川上球審の事故を受けてNPBはすぐ18日から「球審はヘルメット着用するよう」通達した。これまでも一部の球審は自主的にヘルメットをかぶっていたが、大半の審判は帽子にマスクをつけるだけの姿で捕手の後ろに立っていた。
「球審の防具は、昔に比べたらずいぶん強度が上がりました。胸につけるプロテクターも頑丈になりましたし、脛にはレガースを付け、シューズも球審は安全靴のような鉄板の入った重いシューズを履いています。全身で5-6kgくらいの装備はつけていると思います。ただ、キレのいいジャッジをするために右腕には何もつけないなど、カバーしきれない場所があるのも確かです」
深谷球審の場合、その無防備な右腕に折れたバットが直撃した。
「審判用のヘルメットは市販されていません。だからキャッチャー用ヘルメットを使う審判が多いと思います。後頭部も覆う形であることは重要です」
川上球審は4月15日に30歳になったばかり。これが「夢にまで見た」NPB一軍戦での球審デビューだった。プロ野球審判への道は、ある意味、プロ野球選手になるより大変な「狭き門」かもしれない。山崎さんが教えてくれた。
「2013年にNPBアンパイア・スクールが開設されました。いまはこの学校に入ることがプロ野球審判への第一歩です。毎年150人前後の応募者がありますが、その中で仮採用されるのは4人から6人程度です。彼らはまず“準育成審判”として独立リーグ(四国アイランドリーグかBCリーグ)に派遣されて実戦経験を積みます。年間100試合程度でしょうか。その後、秋のフェニックスリーグで18試合、うち球審を6試合経験し、認められた審判だけが採用されます。準育成審判になっても、NPBに採用されない審判も残念ながらたくさんいます。
周りが見えて気が利く
川上審判員は、2017年にアンパイア・スクールを修了し、2018年にBCリーグで研修。2019年からNPBの審判員になりました。私が退任したのが2018年ですから、ちょうど入れ替わりです。川上君は同じ新潟県の出身ですから、研修時代からずっとその成長を楽しみに応援していました」
高田高校野球部出身の山崎さんは新潟県出身のNPB審判第一号。そして中越高校野球部出身の川上審判員は二人目なのだ。
「川上君は新潟県出身者らしく、コツコツと真面目に努力するタイプ。派手なことはやらない。いまの時代の審判員に必要な資質を持った人材だと私は思っています」
そう言って、興味深い「プロ野球界の変化」を話してくれた。
「ビデオ判定が導入された功罪はいろいろありますが、“功”の部分で言えば、昔のようにいきなり血相を変えて飛び出してくる監督はいなくなりました。ビデオ判定がありますから、冷静な話し合いができる。ハッタリや“顔”が効く時代じゃなくなったのです。だから審判にも、正確な技術と丁寧な対応力が求められるようになっていると思います。川上君は、そういう新しい時代に求められる人間性を兼ね備えています」
川上審判員が審判に興味を抱いたのは高校2年のころからだと、ニュース報道の中で報じられていた。そこで、出身校である中越高校野球部の本田仁哉監督に話を聞かせてもらった。
「2年生のころ、ノックの打球に飛び込んでケガをして、しばらく投げられない時期があった。その時、裏方の仕事をする中で、紅白戦の審判もやってもらった。川上は左投げ左打ちの投手兼一塁手。戦力として頼りになる存在でしたが、それ以上にチームを束ねる気配りが飛び抜けていました。周りが見えて、気が利く。そういう人間だから、紅白戦で審判をやってもらった時、『上手いな』と思った記憶が鮮やかに残っています」
BCリーグの育成審判員に志願
それがプロ野球の審判に興味を持ったきっかけだと、後に川上審判も述懐している。高校生活最後の打席は、高3の夏(2014年)、準々決勝の対日本文理戦だ。相手投手は、後にDeNAに入る飯塚悟史。2対3で1点を追う最終回、先頭打者に代えて本田監督は川上を代打に送った。結果は空振りの三振。「思い切りのいいスイングだった」と本田監督が回想する。
「最後に打ち取られた飯塚と、将来は同じプロ野球の舞台に立つ」
決意して川上は卒業後すぐ、BCリーグの育成審判員に志願した。
「無給ですし、NPB審判になる道は簡単じゃありません。最初は考え直すように厳しく言ったのですが、川上は『それでもやりたい!』と。それで私は、『川上の強みを生かして頑張れば、道は開かれるかもしれない』と、背中を押しました」(本田監督)
BCリーグ時代は、地元のスポーツ店でアルバイトをしながら経験を重ねた。それから11年後の昨年4月26日、川上審判員は西武対オリックス戦で3塁塁審として一軍デビューを果たした。そしてついに球審のチャンスを与えられたのが、4月16日の神宮球場だった。
本田監督は、“球審デビュー”の知らせを川上本人から受けていた。
「川上の晴れ姿を見たくて、実はあの日、神宮球場に応援に行っていたのです」
1日も早い回復を
新幹線で神宮球場に駆け付けた。本田監督にとっても、教え子が夢をかなえた感慨深い舞台。
「輝いて見えました。立派になったなあ……。夢をあきらめず、ようやくたどり着いた球審。緊張もしているだろうけど溌溂として、いい試合を進行するぞという強い意思もみなぎって見えました」
感激に包まれ、本田監督は後ろ髪を引かれながらも試合途中で神宮球場を後にした。長岡に帰る最終の新幹線に乗るためだ。新幹線の中から、川上にLINEを送った。
「最後まで見られなかったけど、素晴らしい雄姿を見せてくれてありがとう。頼もしかった」
関係者からアクシデントの知らせを受けたのはその後だった。本田監督の送ったメッセージは、まだ既読になっていない。いまも川上審判はケガと闘っている。一日も早い回復を心から祈る。
スポーツライター・小林信也
デイリー新潮編集部
