日本の対台湾窓口機関職員の女性、祖父が生まれ育った住所探し出す(淡水戸政事務所提供)

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(新北中央社)日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所に勤務する日本人女性が、新北市淡水戸政事務所や市民の協力を得て、祖父が生まれ育った住所にたどり着いた。淡水戸政事務所は「戸籍資料の効用を発揮できただけでなく、最高の国民外交になった」と喜びを示した。

市民政局が7日、報道資料で明らかにした。同局によれば、ルーツ探しをしていたのは、日本台湾交流協会台北事務所の村嶋郁代新聞文化部長。村嶋さんの祖父は日本統治時代の1915年に淡水「烽火街32番」で生まれ、23年に台湾を離れたという。20年前に亡くなった。台湾に赴任して2年後、ルーツ探しをしたいとの考えが芽生えた村嶋さんは「台湾百年歴史地図」で1910年の烽火街を調べることにした。だが地図上に30番と33番はあったものの、32番は見当たらなかった。

村嶋さんからの協力依頼を受けた淡水戸政事務所は、村嶋さんの曽祖父と祖父の戸籍資料を調べたが、当時の番地と現在の住所は大きく異なるため、淡水地政事務所にも協力を要請。土地登記簿や土地台帳、日本統治時代の手描き地図などから、祖父の生家があったのは観光名所「小白宮」や新北市政府警察局淡水分局がある一帯だと目星が付いた。村嶋さんは協力者からの助言を受け、過去の淡水について語り合うフェイスブックグループに祖父の生家の古写真などを投稿。情報提供を呼び掛けた。

すると1日も経たず、かつてその家に住んでいたという女性から村嶋さんに連絡があり、祖父の生家の住所を見つけ出すことができた。村嶋さんのフェイスブックによると、生家は2011年に老朽化で取り壊されたものの、生家の住所を訪れた際、女性や近隣住民から、かつてあった日本式家屋の大まかな姿について話を聞かせてもらったという。

淡水戸政事務所の張義偉主任は「日本統治時代は台湾の特別な歴史」だとし、その時代背景には多くの物語があり、当時の戸口調査簿はその「素晴らしい証明」だとコメントした。

(王鴻国/編集:名切千絵)