この記事をまとめると

■1966年、アフリカから地中海に吹く風の名前を与えられたマセラティ・ギブリが誕生

■初代ギブリは流麗な2ドアのファストバックでランボルギーニ・ミウラのライバルだった

■4.7リッターV8をフロントに搭載していたことでミッドシップV12のミウラの後塵を拝することになる

ミストラルに続いて「風」の名前が与えられたギブリ

 今回は、マセラティ・ギブリの話をしようと思う。ちなみにこのギブリというネーミングは、アフリカ北部のリビアから地中海に向けて吹く風に由来するもの。日本ではあのスタジオ・ジブリの名前の由来となったことでも知られているが、マセラティはその歴史のなかでさまざまな「風」に由来する車名をプロダクションモデルに与えている。

 最初にそれが選ばれたのは1963年に誕生したミストラル、最近ではレヴァンテやグレカーレも、同じように風の名を採用したモデルだ。

 そのミストラルに続いて、マセラティから風の名を持つモデルが登場したのが、1966年に発表されたギブリにほかならなかった。

 現在では4ドアサルーンとして知られるギブリだが、この年のトリノショーで姿を現した初代ギブリは、流れるように美しく高級感のある2ドアのファストバックボディが与えられた高性能GT。

 デザイナーは当時ギアのチーフスタイリストだったジョルジョット・ジウジアーロで、それは半年ほど前にデビューを飾っていたランボルギーニ・ミウラの直接のライバルと語られるほどに魅力的で高性能なGT(グランツーリスモ)だった。

 創業時から高性能で高級感のあるGTを生産したいと考えていたランボルギーニのフェルッチオ・ランボルギーニにとって、このギブリがどのような存在に見えたのかは想像に難くないが、実際にそれはミウラ、あるいはフェラーリの365GTB/4(デイトナ)の強力なライバルとなり得た。

2ドアのギブリ復活を願う声も多い

 だが、マセラティにとって不利だったのは、ランボルギーニがミウラでV型12気筒エンジンのミッドシップを、またフェラーリはデイトナでフロント搭載ながらV型12気筒エンジンの採用を実現していたのに対し、ギブリは4.7リッターのV型8気筒エンジンをフロントに搭載するという技術的なハンデがあったことだった。

 しかしながら、1970年までの前期型では330馬力だった最高出力を、排気量を4.9リッターに拡大した後期型では335馬力へとチューニングを進め、最高速では最終的に280km/hを主張するに至ったのだ。参考までにミウラのファーストモデルである、P400に搭載された4リッター V型12気筒エンジンの最高出力は350馬力。両車は完全なライバル関係にあったこともこの数字は証明している。

 ギブリには1969年にオープンモデルのスパイダーも追加設定された。

 こちらも1970年には排気量が4.9リッターの高性能エンジンの搭載が実現している。

 ギブリの生産台数は、クーペが1966年から1973年までの間に1149台。やはりカロッツェリア・ギアの手によってボディが作られたスパイダーは、1968年から1973年までに125台という数字だ。いずれのボディでも5速MTと3速ATの選択ができたこと、そして何より高級高性能GTとしての走りが高く評価されたことが、この数字を達成できた理由にほかならなかった。

 古くからのスーパーカーのファンとしては、再びギブリの名が、4ドアセダンではなく流麗な2ドアモデルのそれとして戻ってきてほしいという気持ちも大きいに違いない。