その後、私は刑法学者の道を歩むことになったのですが、この観念は私の学者としての研究態度にも表れました。つまり、多くの学者が信ずる「通説」にも、どこか疑わしいところがあるはずなので、その点を注意しようということになったのです。これは私に終戦体験があったからでしょうね。現に私の刑法学は通説批判から形成されていきました。

 ─ 西原さんは1960年代、70年代にわたってドイツに留学しましたね。ドイツも日本と同じ敗戦国。ドイツの学者で西原さんと同じような考え方を持つ人はいたのですか。

 西原 いいえ、あまり感じませんでした。戦前、ドイツ人はみんながナチズムでした。そのナチスがひどいことをしたのだから、それだけ罪を償い、謝罪しなければいけないという意識は日本人よりはるかに深かったように思います。だからこそドイツは戦後、平和国家として生き返れたのです。

 ただドイツと日本の比較についてよく聞く話があります。「日本は『ドイツに比べて』謝罪が足りないので国際社会から認められていない」という指摘ですね。私も確かに反省が十分外に表れていないという面はあると思っています。「村山談話」や「河野談話」という形でしか出しておらず、何となく迫力がないなという感じはしています。

 ただそれをドイツとの比較で言われることには違和感があります。ナチスはユダヤ人大虐殺という、とてつもないことをしでかしました。第2次世界大戦を引き起こしたのもナチスですから、ドイツとしては目立つユダヤ人大虐殺を謝罪すれば、大戦そのものへの謝罪も済んでしまうという側面があります。

 本来であれば、ナチスのポーランド侵攻やロシア進軍、フランス侵入といった行動を生んだ「帝国主義自体」を反省して謝罪しなければならない。しかしそれには長い歴史などが絡むので、一概にやりにくい。これに反し、ユダヤ人大虐殺はナチス独特の価値観から出てきたもので、批判しやすい。

 ですからドイツの首相がやったのは、ことごとくユダヤ人大虐殺への謝罪なのです。しかしそれをやることによってドイツは第二次世界大戦全体についての謝罪が終わったとみられるようになった。

 ─ 日本に求められている謝罪の形とは一線を画しますね。

 西原 その通りです。日本軍も戦場における大規模殺人は犯しました。しかし、民族謀殺という性格を持つユダヤ人大虐殺のようなものはありませんでした。したがって、日本の場合は、戦争全体について謝罪したわけではないのに謝罪が済んだと思われるようなことがドイツに比べてなかったことは事実です。ドイツとは事情が違うのです。

 もちろん、ドイツが戦争全体に対する謝罪を十分していないから日本もしなくて良いと言っているわけでは全くありません。私個人としては不十分だと感じています。ただドイツと日本を比較した場合に、そういった指摘が出てくることには違和感があるということです。



台湾進攻の懸念がある中で ─ その中で中国による台湾進攻が懸念されています。

 西原 おそらく習近平国家主席は、もし台湾が独立を指向するようであれば武力行使も辞さないという考えを持っていると思われます。つまり台湾問題を武力で解決するという道も否定していないのです。ところがその一方で、習近平国家主席は「世界から敬愛される国になろう」という号令もかけているのです(2021年5月)。武力行使をしながら世界から敬愛されることなどあり得ませんから、両者はある意味で矛盾に見えます。

 しかし、中国からすれば矛盾とは考えていないのです。両方とも本気だと思います。私は矛盾であってもその一方を重視すべきだという考えを持っています。「中国人が世界から敬愛されるためには、武力行使や覇権など絶対に避けてください。あなた方の国は立派な国になる素地を持っているのですから」と言い続けたいと考えています。