公益社団法人・日本空手協会が、労働組合の執行委員長で空手指導員の男性を不当に解雇し、さらに最高裁で解雇無効の判決が出たにもかかわらず、男性を復職させていないことがプレジデントオンラインの取材で分かった。空手協会は「コメントは控えたい」として取材に応じていない。男性の悲痛な訴えをリポートする――。
撮影=プレジデントオンライン編集部
東京都文京区にある日本空手協会総本部道場 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「協会を中傷した」として突然解雇された

空手の指導員として空手協会に勤務している尾方弘二さん(50)は、協会の指導員らでつくる労働組合「総本部指導員会」の執行委員長として、職員の労働環境の見直しを協会にたびたび求めていた。ちょうど同じ時期に幹部の人事権を持つ「代議員」たちが協会の運営体制に反発していたこともあり、その活動をサポートするかたわら、自身も待遇改善のための要望活動を行っていた。

その最中だった4年前の2015年2月、尾方さんは突然解雇された。職場に出勤した際にA4用紙1枚の「懲戒解雇通知書」が手渡され、そこには、解雇理由として以下のように記されていた。

・日本空手協会の運営に関する各種の誹謗(ひぼう)中傷行為
・協会の正常な運営を阻害しようとする行為
・尾方氏による後輩へのパワーハラスメント行為
尾方さんに届いた空手協会からの懲戒解雇通知書

尾方さんは空手四大流派の一つ、「松濤館(しょうとうかん)流」で数々の成績を収めた、日本を代表する空手家だ。

尾方さんは1968年京都府生まれ、8歳のときに日本空手協会宇治支部で本格的に空手を習い始めた。京都外語大学付属西高等学校時代はインターハイに出場し優勝。強豪の東洋大学空手道部を卒業した後は、1993年に全日本空手道連盟(全空連)主催の全国空手道選手権大会で優勝。1995年に日本空手協会の総本部指導員(三段)となり、協会の正規職員となった。

2004年には第9回松濤杯争奪世界空手道選手権大会で「組手優勝」、翌05年の第48回全国空手道選手権大会でも組手優勝の実績を持つ。ちなみに、一本勝負とする空手協会主催の大会と、ポイント先取制を採用する全空連主催の大会の両方を制した選手は、尾方さんを最後に出ていない。

小学生のころから尾方さんと親交があり、自身も総本部指導員を務める谷山卓也さんは、尾方さんのことを「自分の意志をしっかり持っており、白黒ハッキリしている。少し頑固なところもあるが、曲がったことが嫌いなタイプ」と評する。

撮影=プレジデントオンライン編集部
プレジデントオンライン編集部の取材に答える尾方弘二さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■労働環境の改善を求めて組合を結成

この総本部指導員とは、協会が公認する「松濤館流」を正式に指導・継承することを職務とする協会の従業員である。

全国に散らばる約1000支部に所属する協会員3万7000人のうち、総本部指導員に名を連ねるのはたった30人ほど。いずれも、全国大会で輝かしい成績を残している有段者たちだ。

空手選手のキャリアコースは、一定の昇段を経ると独立し、自分の道場を開いて弟子の指導に当たるケースが一般的だ。しかし道場で開く空手教室の月謝料などで生計を立てるのは難しく、多くは会社員として一般企業に勤めながら指導に当たっているという。これは、限られた実力者だけが選ばれる総本部指導員も同様だ。

総本部指導員は協会が直接雇用する正規職員とはいえ、給与は諸手当を含め、月30万円を超える程度。一般の指導員と同じく、自身の空手教室や他道場への指導料などでやりくりをしており、経済状況は決して楽ではない。

2014年5月、尾方さんをはじめとする総本部指導員9人は、労働環境の改善などを求めて、労働組合を結成した。代表者である執行委員長には尾方さんが就任。同時に、結成通知書や団体交渉申し入れ書などを協会の森俊博専務理事(当時)に提出した。

各資料は、いずれも労働組合名と共に「執行委員長 尾方弘二」の名前だけが書かれており、そのほかの組合員の名前はなかった。連名にしなかったのは尾方さん本人の希望で、「他の総本部指導員に協会幹部からの圧力がかけられるのを避けたかった」という思いがあったからだ。

■「見せしめ」の懲戒解雇処分

これに対し、協会の反応は冷ややかだった。尾方さんたちは、総本部指導員の過去10年分の給与明細や、賞与額の根拠を開示するように要望したが、協会側からの応答は一切なかった。

この組合の動きとは別に、協会の運営体制を刷新するべく活動を続けてきた代議員の有志団体は、2015年1月に「臨時社員総会」の開催に踏み切った。代議員は全国の支部から選挙で選ばれ、幹部交代などの人事権を持つ特別な立場。総会で中原氏と森氏の解任動議を提出し、尾方さんら組合員も会場の外で行方を見守っていた。

しかし、幹部らは代議員の動きを事前に察知していたため、当日の解任動議は反対多数で否決された。数日後、協会は懲罰委員会を開き、尾方さんが解任を主導した張本人と断定。その日のうちに懲戒解雇処分を決めたという。

会長らの退任を求めていた代議員ではなく、なぜ組合執行委員長の尾方さんだけが解雇されたのか。協会内には、以前も幹部の交代を求めて当時の総本部指導員が会長を退任に追い込んだ騒動があり、尾方さんを解雇することで早期の幕引きを図ろうとしたとみる向きもある。

尾方さんは当時のことについて、「トップの退陣を支持していたので何らかの処分は覚悟していましたが、まさか解雇されるとは思っていませんでした」と振り返る。1人だけ解雇されたことはまるで見せしめのような処分だった。組合は処分を不服として団体交渉を要求したが、協会側はこれにも応じなかった。

そして同年8月、尾方さんは空手協会に対し、解雇の無効と地位確認を求めて、東京地裁に訴えを起こす。

■“解雇無効”の判決が出るも復職させず

裁判で、協会側は「協会への誹謗中傷や、運営に対する妨害行為があった」と主張。尾方さんを「従業員の立場でありながら組織の主導権を握ろうとしている」と批判した。裁判の被告は空手協会のみとなっているが、実際に指揮したのは中原伸之前会長だとみられている。

中原氏とは、どんな人物なのか。

中原氏は1934年生まれ。東京大学経済学部卒業後、59年に東亜燃料工業(現在のJXTGエネルギー)に入社。86年に社長、94年に名誉会長となっている。98年〜2002年には日本銀行政策委員会審議委員を務め、02年から05年には金融庁顧問を務めている。

写真=時事通信フォト
インタビューに答える中原伸之・元日本銀行審議委員=2012年11月27日、東京都港区 - 写真=時事通信フォト

空手協会の会長に就任したのは、東燃の社長になった86年で、2015年10月に交代するまで在任期間は30年に上る。協会の関係者によると「空手の経験は一切ない」という。

裁判では、2017年の一審判決、翌年のニ審判決はいずれも協会側の主張を退け、懲戒解雇は無効とされた。19年2月8日には最高裁が協会側の上告を棄却し、判決が確定。尾方さんは総本部指導員として職務に復帰できるはずだった。

しかし、8月5日時点で、尾方さんはまだ復職できていない。協会からは、最高裁の判決を受け「出勤命令が出るまで自宅待機するように」という書面が届いたが、それ以降何も指示されず、約半年が過ぎたことになる。

プレジデントオンライン編集部は、空手協会に対し、尾方さんを復職させていない理由について問い合わせたが、小倉靖典専務理事は「回答を控えたい」と述べるにとどまり、明確な回答は得られなかった。

■家賃、娘の学費のため借金生活

多くの総本部指導員と同じように、尾方さんも2003年に自身の道場を開き、現在50人の弟子を抱えている。しかし、4年前の解雇と同時に指導員資格が停止されたままで、稽古の指導に当たることができずにいる。協会直轄の道場での指導が禁止されている指導員は、尾方さんただ一人だ。

最高裁が協会に支払いを命じた未払い賃金は支給されているが、その額は月22万円程度。尾方さんは娘と2人暮らしだが、家賃のほか、専門学校に通う娘の学費を1人で支払うにはとても足りず、支援者や親族に借金をして工面している。

「総本部指導員として働いていた時は、基本給に加えて賞与や指導手当といった複数の手当てがありましたが、今はそれが一部しかもらえていない。生活がままならない状況です」(尾方さん)

一方、会長をはじめとする協会の幹部は、相当の報酬を得ているとみられている。

空手協会はウェブサイトで「正味財産増減計算書」を公開している。それによると、直近の2018年度の役員報酬額は「972万3160円」。空手協会には20人の理事がいるが、そのうち有給の理事が何人いるか聞いたところ、小倉専務理事は「お答えできない」との回答だった。

編集部は重ねて質問したが、「理由も何も、これ以上はお答えできない。詳細は公表していないので」と繰り返すだけだった。

■「異論を持つ者を排除しようとしている」

なお、中原氏は高級住宅地で知られる東京都世田谷区尾山台に一戸建てを構えており、文京区の協会総本部までは、運転手付きの黒塗りの乗用車で出勤しているという。プレジデントオンライン編集部が入手した「役員報酬規定 別表」(2012年)には、会長が月100万円、専務理事は同70万円の報酬額が明記されている。

プレジデントオンライン編集部が入手した「役員報酬規定 別表」(2012年)

空手協会には3万人を超える会員がいるが、そのうち理事、代議員ら約100人が協会の運営に関わっている。尾方さんは、自分と同じように協会幹部へ不信感を持っている会員は数多くいると断言する。

「残念ながらいまの協会は、中原氏の意向をくんだ人たちが中心になっており、空手に取り組む人たちのことを中心に考えているのか疑問を感じます。異論を持つ者を力で排除しようとし、それが裁判所で違法とされても正そうとしない」
「これでは会員や職員も保身を考えて動けないでしょう。協会の上層部はまったく潔くない。子どもに道徳を説く武道に関わる者としてどうなのかという思いです。悪いことは悪いと認め、責任をとってほしい」

空手は20年東京五輪で正式種目になることが決まっている。世界から注目が集まるなか、大きな役割を果たすべき空手協会で、組織のあり方が根本から問われている。

(プレジデントオンライン編集部 内藤 慧)