【70時間燃やせますか】いい炎上に必要なのは「秘伝のタレ」 山本一郎・中川淳一郎が語るネット炎上論 - 土屋礼央の「ざっくり聞くと」(第16回)
土屋: 土屋礼央の「ざっくり聞くと」、今回のテーマは「ネット炎上」です。ブロガーで投資家、イレギュラーズアンドパートナーズ株式会社代表取締役の山本一郎さん、そして著作 『ネットのバカ』などで知られるネットメディア編集者・中川淳一郎さんをお迎えしてお送りします。

中川:よろしくお願いします。山本さんがまだ到着していませんが、始めちゃいましょうか(笑)

土屋:よろしくお願いします。中川さん、僕はネットにあまり書き込みはしない、いわば「書き込み童貞」なんですが、常にネットで生活させてもらってはいます。ネットニュースの世界は、ビジネスとしてどのように変わってきていますか。

中川:ネットニュースのもともとの部分を話すと、まず1990年代中〜後半に、新聞社とか通信社が「ネットでも記事を配信しなくちゃ」という圧力を感じて自社サイトを立ち上げまくったんですよね。ところが新聞社は自社サイトを見てもらえないから、Yahoo!を筆頭としたポータルサイトに記事に配信してリンクを貼ってもらうようになりました。一方Yahoo!は配信された記事のページにバナー広告などを設置して利益を出してきたんです。

土屋:最初は、たとえば日刊スポーツだったら「日刊スポーツ」という媒体の名前を知ってもらおうという感じでしょうか?記事を配信することで収入を得ようということではなかったんですか?

中川:初期は、「やっぱ新聞社って新しいことやらなくちゃいけないんじゃない?」みたいな感じだと思います。「The Wall Street Journalとか、The New York Timesもがんがんやってるじゃない、だからウチもやらなくちゃな」って感じなんです。ネットの業務って会社の「新しモノ大好きおじさん」みたいな人が「最近はネット対応しなくちゃ生き残れんらしいなぁ」なんて部下にムチャ振りして始まる。当時、たぶん儲かってなかったと思います。

土屋:ネットだとタダで記事が読めますよね。だから逆にスポーツ紙が売れなくなった。

中川:そう、だからやめたくて仕方ないんだけど、やる流れになっちゃったから撤退できない。そうこうしてるうちに、「インターネットっていくらでも記事書けるじゃん」って話になって、誰もが参入してくるわけです。だから、2000年代中盤から後半にかけて日本中に編集長が増えまくった。「お前、編集なんかしたことないだろ」ってやつがバンバン記事を量産してくるんです。それに加担してたのが俺だったりもするんですが(笑)。

土屋:それは、ビジネスとして旨みがあると思った人が増えたってことなんですか。

中川:PVさえあれば広告で儲かるということと、あとはステマなど編集タイアップを含め、“メディアを作ればそこに金がついてくる”という認識が生まれたんです。それで、訴訟リスクも考えない、校閲もないようなメディアがどんどん出てきて、「儲かるからやっちゃえ」という感じになったんですね。この数年くらいのステマ騒動で、ようやくみんなが「やばいな」とビビり始めてる感じですね。

土屋:ここで山本一郎さん、到着しました(笑)。

山本:みなさんお早いご到着で。よろしくお願いします。

中川:「山本さん、44分遅れて登場」って書いておいてくださいよ(笑)。