一穂ミチさん、最新短編集『たぶん、恋しい』インタビュー「公言できない愛着って、実は誰しもあるんじゃないでしょうか」
【著者インタビュー】一穂ミチさん/『たぶん、恋しい』/新潮社/1870円
【本の内容】
合コンで知り合ったマリは「猫ファースト」の生活を送るが、彼女の家に行った僕は思いがけない事実を知る(「エンパイアライン」)。48歳の緋沙子は12歳年下の恋人に思いがけず結婚を申し込まれ、人生の新しい扉の前に立たされる(「月を経る」)。単身赴任から久しぶりに家に戻り、顔を突き合わせて暮らすことになった夫に、妻は違和感を覚える(「あなた」)。収められた6編すべてが、始まりからは想像できない場所に着地するが、そこで描かれる、名づけようのない、名づけられたことのない感情は、確かに身に覚えのあるものに思えるのが不思議だ。6月17日発売。
私は、ひとつ縛りがあるほうが書きやすいタイプ
2023年から2026年の間に雑誌「小説新潮」に発表した短編6編を収めた。イマジナリーな存在を心の拠り所にする「エンパイアライン」や、突然、転がり込んできた甥とアラサー男性、甥の母である姉との関係を描く「すげえ泣くじゃん」など、多彩な作品を読むことができる。
短編集のタイトルはなかなか決まらなかったそうだ。
「何しろそれぞれの作品の方向性がバラバラなので。編集者から『もうないものへの切なさとか思慕の気持ちが共通しているんじゃないか』と言っていただいて、なるほどと思い、キーワードとしては『恋しさ』という言葉が一番近いんじゃないかと。必ずしも恋愛感情を指すわけではないですけど。『たぶん』で、ちょっとのりしろを足す、みたいな感じでしょうか。悩んだ甲斐あって、今ではこれしかないなと思っています」
『たぶん、恋しい』というタイトルは、各短編をつなぐ役割も果たす。
ちなみに「月を経る」は「締切」、「わたしたちは平穏」は「食欲」、「すげえ泣くじゃん」は「涙」がそのときの雑誌の特集テーマで、「あなた」は「粘膜」だったそうだ。言われてみれば納得がいくが、このテーマでここまで自由に発想できるのかとも感嘆させられる。
「私は、ひとつ縛りがあるほうが書きやすくて、『自由に書いていい』と言われるとちょっと困ってしまいます。お題をいただいたら、その時頭にある書きたいこととかけ離れていても、なんとか絡めようと努力します。結果、かすっているだけだということもありますけど(笑い)、一応セーフでしょう、というところまでがんばって持っていきますね」
冒頭の「エンパイアライン」と「わたしたちは平穏」には、この世ならざるものが出てくる。
「この世ならざるものは、結構、ナチュラルに作品に出してしまいますね。誰にもわかってもらえない思い入れみたいなのが好きで、公言できない愛着って、実は誰しもあるんじゃないでしょうか。大人がぬいぐるみやアクスタとアフタヌーンティーをするとか、20年ぐらい前だったら『あなた大丈夫?』と言われたかもしれないけど、人を傷つけたり誰かに迷惑をかけなければ、そういうものを『心のお守り』にしてもいいんじゃないかと私は思います」
「すげえ泣くじゃん」は、昨年、和歌山県・白浜の「アドベンチャーワールド」にいたパンダ4頭がいなくなるというニュースを見たことがきっかけになったそうだ。
「私は関西に住んでいるので、結構ニュースで取り上げられていまして、そこで号泣している人がいたんです。その時の素直な感想がそのままタイトルになりました。主人公の姉は遁走癖がある人で、もしかしたら何か症例の名前がつくかもしれないですけど、自分にも多少はそういうところがある。出来上がったばかりのジグソーパズルをバーンとひっくり返したいような、後悔するけどスッキリするような、そういう気持ち。思い当たる人はいるんじゃないでしょうか」
書きやすかった1編と書きにくかった1編
まずテーマがあり、そこから構想していくまでは同じだとして、その中で書きやすかったり、書きにくかったり、ということはあるのだろうか。
「この中で書きやすかったのは『エンパイアライン』ですね。私自身が『エア猫』を飼っているから、ということもあって、割とするする書けました。『エア猫』って、みなさん飼わないんですか? 私はしんどいと、なんとなく架空の猫を撫でている時があります」
書きにくかったのは、最後の「たぶんそんな感じ」。
施設にいる大叔母が突然口笛で会話するようになり周囲を困惑させるという話で、大叔母の家に住み着いた見知らぬ男性と打ち解けていく過程を、できるだけ自然なものに描くことに苦労したという。
小説に出てくる、言葉のかわりに口笛で会話する民族というのは、一穂さんがたまたま雑誌で記事を見たことがあったそうだ。
「何か気になることがあれば、LINEのKeepメモに書き留めておきます。なんかネタがないぞと思ったらメモを遡るんですけど、自分でもなぜこれを書き留めたのかわからなくなっていることもあります。そういうことも含めて自分のメモを読み返すのは面白いですね」
6編それぞれ、スタイルや色合いが異なり、「私はこれが好き」と思う1編が、読む人ごとにたぶん違う。実際に、版元の担当者の間でも、「好きな1編」がバラバラに分かれたらしい。
「そうだとしたらうれしいですね。1人の人間が書いたもので、違う作品がそれぞれ刺さるというのは、作家の幅を見せられているということだと思うので」
性別や年齢などだいたいの設定を決めて小説を書き始めると、なんとなくその人物の人格が立ち上がる感覚が生まれるという。
「こうするのかなと自分が思ったところと違うところにいったり、思いがけないことを言ったりすると、物語としてちゃんと動いている気がします。決めているのは、登場人物に作者を代弁させないということぐらいで、他には何も決めていませんけど、自分が書いている人物が本当に何を考えているかわかっていないところはありますね」
夫婦は、恋人はこうあるべしと関係性を決めつけず、その組み合わせごとの向き合い方が細やかに描かれているのも魅力的だ。
【プロフィール】
一穂ミチ(いちほ・みち)/大阪府生まれ。2007年「雪よ林檎の香のごとく」でデビュー。2022年『スモールワールズ』で吉川英治文学新人賞、2024年『光のとこにいてね』で島清恋愛文学賞、『ツミデミック』で直木賞を受賞した。ほかに『うたかたモザイク』『恋とか愛とかやさしさなら』『アフター・ユー』など多数著作がある。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2026年6月25日号
