「伝説のコレクター」息子が上海博物館を提訴、文革時の没収文化財返還で一香港メディア
古美術品の著名な収集家だった単賓氏の息子の単一心氏は、文化大革命時に没収された文化財の返還を巡り、上海博物館の重大な手落ちを指摘して同館を提訴した。単一心氏は、1000点に上る未返還品のリストや返還証明書の改ざんの痕跡を発見した。さらに、返還された絵には、掛け軸の布の部分だけが残されていて、中心部分の絵は切り取られていたものもあったという。香港誌の亜洲週刊が伝えた。
単賓氏は1909年生まれで1993年に死去した古美術品の著名な収集家だった。浙江省温州市を拠点に製薬会社や船運会社を興して実業家として大成功する一方で、生涯を骨董品の鑑定や収集と地方の文化財保護に捧げた。単賓氏は温州市博物館への寄贈の実績もあり、晩年には温州市文物管理委員会の顧問も務めた。
中華人民共和国の成立後、単賓氏は上海に居住するようになった。1960年代に文化大革命が発生すると、単賓氏は上海博物館の造反派(文革推進派)による家宅捜索を受け、所蔵していた4000点以上の文化財をすべて引き渡すことを余儀なくされた。その後、一家は温州へ移住した。上海市が1980年代になり没収した文化財を本来の持ち主に返す政策を実施した際、単家に返還されたのは1088点のみで、残りの3000点余りについては返還が拒否され続けた。
単家は長年にわたり、返還されていない文化財の全容を明らかにするため、上海の関連部門に没収目録のコピーを求めてきた。単一心氏らは上海市文化財局に対して目録の開示を繰り返し求めたが、同局は2025年5月20日に「申請された内容の目録は存在しない」と回答した。これに対して単一心氏は、同局が政府が求める情報公開の職責を履行していないとして、上海浦東新区裁判所に行政訴訟を提起した。
被告である上海市文旅局は裁判で、「返還された文化財の目録は見つからなかった。(本来の持ち主への)引き渡し証明だけがある」と主張した。しかし単一心氏らが提示された資料を確認したところ、単賓氏名義の未返還文化財計1000点余りを記録した、これまで見たことのない2枚の証明の原本を見つけた。これらには単家の署名記録がなく、実際に単家が受け取った事実もなかった。さらに、同局が出した1980年の返還証明書と10ページのリストには、2枚のリストをつなぎ合わせてコピーした形跡があり、番号の改ざんや文字の隠蔽など、偽造の明らかな痕跡があったという。
単賓氏
上海浦東新区裁判所は最終的に単一心氏の請求を退ける判決を言い渡した。亜洲週刊がこの件について上海市文化および旅遊局(文旅局)の博物館処(博物館課)に問い合わせたところ、博物館課は回答を拒否して文旅局の弁公室(事務室)に回した。弁公室の責任者は「業務課の責任であり、博物館課(が局弁公室が責任部署だと言ったこと)はでたらめだ」と述べるなどで、結局は組織内での責任のなすりつけ合いに終始した。
こうした博物館における寄贈あるいは没収文化財の行方不明や管理不備を巡る紛争は、中国各地で多発している。
象徴的な事件の一つとしては、著名な収集家である龐莱臣氏が南京博物院に無償で寄贈した貴重な古い絵画が博物館の所蔵庫から消えて、オークション市場に不正に流出していたことが発覚して大問題になったことがある。
この事件では、龐莱臣氏の遺族がオークションの出品に気づき、中央政府で文化財の管理を担当する国家文物局に通報したことで、江蘇省が調査に乗り出し、26年に調査結果が公表された。調査によると、1990年代に当時の南京博物院の常務副院長が違法にサインし、身内の関係者が関わる形でこれらの画をわずか数千元(数万円程度)の破格の安値で身内に買い取らせ、市場に転売していたことが分かった。なお、オークションは事態の急変を受けて中止されたが、それまでに8800万元(約20億円)の予想価格が示されていた。
また、民間収集家の崔鳳祥氏は国家博物館に寄贈した仏像の行方不明を告発した。収集家の呉瀛氏の遺族も1950年代に故宮博物院に寄贈した241点のうち60点に移動記録がないとして追跡を求めている。それ以外にも、民間収集家が博物館などに寄贈した文化財の「行方不明」は相次いでおり、今回の単賓氏に関連する一件は、国の文化財管理体制に対する不信感を改めて強めることになった。(翻訳・編集/如月隼人)
