長友佑都でも本田圭佑でも鈴木彩艶でもない…イタリアのサッカーファンが今も忘れない“2人の日本人選手”とは「彼のキックはエレガント。独特のヘアスタイルも好きだった」
「ホンダ? ナガトモ? すみません……誰ですか?」
【貴重写真】「独特のヘアスタイル」もイタリアで強烈な印象を残した当時の中村俊輔。ミュージアムに大々的に飾られたパルマの英雄も…
スタジアムの記者席で隣り合った若いイタリア人同業者に挨拶がてらセリエAでプレーした日本人選手について尋ねたら、思わぬ反応に面食らった。2022年の秋、イタリア中部の山間にあるカステル・ディ・サングロという町で行われたU-21日本代表と同イタリア代表の親善試合取材でのことだ。
ちなみに現在開催中の北中米W杯に出場するMF鈴木唯人(現フライブルク)も、ピッチに立っていた。

2022年秋のイタリア遠征でのU-21日本代表。鈴木唯人や鈴木彩艶も選ばれていた ©弓削高志
本田圭佑と長友佑都はともに代表で長く活躍し、ミランやインテルという欧州屈指の名門クラブでプレーした。日本サッカー界の顔ともいえる2人だが、彼らがイタリアでプレーしていた当時からは10年近くが経っている。
外国人選手が現れては消えていくイタリアで今も愛されている日本人
所属クラブのお膝元ミラノならいざ知らず、全国区の知名度を誇る外国人選手はセリエA全体でもほんの一握り。件の若手記者に詳しく聞くと、彼はナポリの大学を出たばかりで同地メディアでのインターン中。南部のナポリを地元とする20代中盤の若者であれば、ミラノのクラブにいた本田や長友を認識していなくても不思議はなかった。
セリエAでプレーする外国人選手はシーズンあたり延べ300人以上にのぼる。その中で国中に名を知られるようになるのは得点王かリーグの年間ベストイレブン級の活躍ができるほんの一握りだけ。
我々日本人にとってはオンリーワンの存在であっても、全国統一リーグの発足以来100年近いセリエAの歴史にあって、日本人選手は14人だけ。現在は昨季からパルマの正守護神としてプレーする日本代表GKの鈴木彩艶1人だが、外国人プレーヤーはとびきりの大活躍をしない限り、ワン・オブ・ゼムにならざるをえないのが現実だ。
ところが、10年どころか20年以上経ってもサッカー好きのイタリア人が今も愛して止まない日本人選手がいる。
「子供の頃のアイドルはシュンスケ・ナカムラだったよ! 彼のキックに憧れたなあ」
「ナカムラのキックは空手の回し蹴りみたいにエレガント。独特のヘアスタイルも好きだった」
DAZNイタリアのセリエA中継でピッチリポーターを務めるジョヴァンニ・バルソッティが一気にまくし立てる。声のトーンが仕事中より一段高い。
「2002年日韓W杯の後、彼がセリエAにやってきた。当時、小学生だった僕はレッジーナで10番つけてたナカムラに一目惚れさ。何が格好良かったかって、彼の左足のキックフォームだよ。いつの試合か忘れたけれど、1年目のホームゲームで左スミに突き刺したFKゴールが強烈だった。僕は昔から左利きの選手が好きなんだけど、ナカムラのキックはまるで空手の回し蹴りみたいにエレガントなんだよ。彼の独特のヘアスタイルも好きだったなあ」
00年代中盤の欧州サッカー界にはジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル)やアンドレア・ピルロ(イタリア)といったFKの名手たちがいた。バルソッティは職業柄、ミランでプレーした本田圭佑の名前も挙げたが「やっぱりシュンスケが一番」。
当時中村俊輔がプレーしていたのは、南イタリアの弱小地方クラブ・レッジーナだった。欧州には生まれ育った地元のサッカークラブを応援する文化が根付いているが、当時の中村のプレーには遠く離れた北イタリアの小学生だったバルソッティ少年を惹きつけるほどの魅力があったということだ。
「学校のクラスでシュンスケのすごさに気づいていたのは僕だけだったね。(セルティックへの移籍で)スコットランドに行った後、UEFAチャンピオンズリーグでも活躍して“僕の目は正しかった”って自慢したよ」と顔をほころばせた。
その中村は現在、北中米W杯の日本代表にコーチとして加わっている。残念なことにイタリア代表は同大会への出場は逃したが、日本代表で中村コーチが指導していることを知ったバルソッティは「それならW杯ではジャッポーネ(=日本)を応援するしかないね!」と声を弾ませた。
代表やサッカー界から距離を置いていても、今なおイタリア人の心を離さない元日本人プレーヤーはもう1人いる。
98年フランスW杯後、ペルージャに入団し鮮烈な印象を残した後、01年に強豪ローマでスクデット(※セリエA優勝の通称)を獲得した中田英寿だ。パルマ時代にはコッパ・イタリアも制覇し、ボローニャやフィオレンティーナでもプレーした。中田は今も日本人唯一のスクデット・プレーヤーであり、イタリア・メディアによる“あの選手は今”的な企画で扱われることも珍しくない。
「ヒデがいたときの熱狂はそりゃすごかったよ」
イタリア中部ペルージャに住むベテラン・カメラマンであるロベルト・セットンチェは、同地が中田フィーバーに沸いた98年夏の移籍からの1年半をふり返る。当時、彼は『スポーツニッポン』の契約カメラマンとして、セリエA時代の中田を追いかけ続けた。
「ナカタはいろいろな町やクラブでプレーしたけれど、最初に来たペルージャ時代が一番サッカーを楽しめたんじゃないかな。ASローマの選手は地元のスターだから持ち上げられる一方プレッシャーも大きい。パルマ時代には彼の他にも一流プレーヤーがいたから期待や注目を一身に浴びはしなかったにせよ、思うままプレーできたとはいえない。ストレスもあっただろうしね」
練習場にもどこにもいなかった中田がカメラマンを逆に待ち伏せ
イタリアといえばパパラッチが有名だが、プロカメラマンとして選手のプライバシーを尊重する矜持をもつセットンチェには中田も気を許したという。
「パルマに移籍後、ナカタの写真を撮りに練習場に行ったら、いるはずなのにどこにも姿がない。あちこち探し回った挙句、駐車場の自分の車に戻ったらナカタの方が私を待ち伏せしていて逆に驚かせられた(笑)。ヒデはそういう茶目っ気もある人間なんだよね」
中田の古巣であるペルージャは、今季をセリエC(3部リーグ)のグループBを14位で終えた。監督はかつての中田の同僚、ジョヴァンニ・テデスコだ。ホームスタジアム「レナト・クーリ」に隣接するクラブハウスにはミュージアムがあり、そこには中田の肖像画が最も目立つ位置に飾られている。クラブの黄金時代を象徴する選手の1人として、ナカタをスポイルすることは不可能なのだ。
永遠の都ローマを歩くと、こちらが日本人とわかれば今でも「フォルツァ・ナカタ!」の声が飛んでくる。鈴木彩艶がプレーするパルマのミュージアムにも、中田の偉業を称える展示がある。
時の流れに反して、色褪せない2人の日本人選手。イタリアは今でもナカタとナカムラを忘れていない。
(弓削 高志)
