吉田松陰も犠牲になった「嘘の自白調書」の歴史…19世紀半ばのやり方が、なぜ21世紀の今でも続いているのか

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約1分の勾留質問で164日間勾留、検事の作文で作られる供述調書、証拠改竄や捏造……。

おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』(村木厚子 著)では、冤罪に巻き込まれた著者がみた驚愕の刑事司法の実態が明かされています。

本記事では、〈20年近く経っても変わらない…なぜ日本は「調書依存の裁判」から抜け出せないのか〉に引き続き、吉田松陰も犠牲になった「嘘の自白調書」の歴史について詳しく見ていきます。

(※本記事は村木厚子『おどろきの刑事司法』より抜粋・編集したものです)

吉田松陰も「調書裁判」の犠牲になった

平成19(2007)年に、最高検察庁が各庁の検事長・検事正宛てに通達した「検察官調書作成要領(指針)」では、「調書の文書の形式は、物語式を原則とし、事案や供述内容に応じて問答式を適宜活用する。」とされています。「物語式」とは一人称独白(モノローグ)形式のことで、たとえば次のように書かれます。

「私は、令和7年1月10日午後8時頃、東京都文京区××○丁目にある飲食店△で、隣席にいた客のXとトラブルになり、咄嗟に相手の胸ぐらを掴んで押し倒した結果、Xに全治1ヵ月の怪我を負わせました。その日のことをお話しします。」

といった具合で、以下、事件当時の状況(同行者や飲酒の有無、トラブルになったいきさつ、相手に怪我をさせた時の状況など)が、「私」という一人称で具体的に語られます。

実際に調書を作成する「主体」は取調官なのに、あたかも被疑者が主体的にすらすらと「物語っている」かのような印象を与える供述調書が作られていくわけです。その文面からは、取調官の質問のしかたが適法、適正だったのか否かがわかりません。供述時の、被疑者の感情の揺れ動き──ためらい、自白を強要された場合の恐怖や憤りなど──を読み取ることも不可能です。

こうした一人称独白形式の供述調書は、なんと、江戸時代から作られていました。

江戸時代に運用されていたのは、基本的に中国の刑罰法でした。当時の中国の刑事手続は、有罪の認定は被疑者本人の自白に基づかなければならない、というのが原則です。

日本でも、現在の刑事裁判にほぼ相当する「吟味筋」は、「自白がないと有罪にできない」という原則の下、奉行所の吏員が被疑者・被告人をひたすら糾問し、拷問をしてでも自白させ、その内容を「吟味詰り之口書」(以下、「口書」)という書面にしていました。

「口書」に指印させれば取調べ(吟味)は完了し、奉行の面前で「口書」の確認を行い、刑を定めて手続は終了します。取調べ中心主義、何がなんでも自白を取るという自白偏重は、今に始まったことではなく、江戸時代から続く日本の刑事司法の“伝統”なのです。これを支えていたツールが「口書」、つまり供述調書でした。

かの吉田松陰も、まさにこうしたやり方で「口書」を取られています。

安政6(1859)年、幕府老中の暗殺を企てたとして裁きを受けることになった松陰は、自身の行動の動機が高邁な思想に基づくものであると奉行の前で論じました。

しかし、奉行たちにはその弁明がおよそ理解できず、自分たちが考えられる範囲の動機(つまり、真実ではなくフィクション)を基に、松陰自らが語ったものとして一人称独白形式の「口書」を作文し、署名せよと迫ります。そこには、松陰が懸命に説明した「墨使応接(亜墨利加(アメリカ)使節との折衝)」や「航海雄略論」などはひとことも記されておらず、「数ヵ所を開港して、国力が充実したあとで外国を打ち払うのがよい」とする通俗的な論が書かれていました。

松陰の遺書となった『留魂録』には、「吾が心にも非ざる迂腐の論(自分が考えたこともない、どうしようもない愚論)」を勝手に作文されて憤ったこと、しかし結局、「こんな輩といくら話しても無駄だ。もう、いい」と「口書」に署名をしたことが記されています。その11日後の朝、松陰は斬首刑を言い渡され、その日のうちに処刑されました。

否認している被疑者から一人称独白形式の自白調書を取り、そこに署名させれば有罪で「一丁上がり」というやり方の、松陰は犠牲者の一人です。奉行たち(取調訴追官・裁判官の役割を兼任)は、それで事件の全容を理解したつもりになっていました。

松陰が嘘の自白調書を取られて処刑されたのは、19世紀半ばのことです。それと同じようなことが、21世紀の今も続いているのです。

さらに〈誠実な公務員だったのに突然の逮捕…村木厚子氏が驚き、怒り、絶望した日本刑事司法の「暗部」〉では、村木氏が逮捕された経緯を詳しくみていきます。

●特に言及のない限り、登場人物の所属・肩書、法律や制度の名称・内容は、すべて当時のものである

【つづきを読む】誠実な公務員だったのに突然の逮捕…村木厚子氏が驚き、怒り、絶望した日本刑事司法の「暗部」