長寿クイズ番組「アタック25」は何がすごいのか。「競技クイズ界最強の男」の異名を持つクイズプレイヤー・徳久倫康さんは「50年にわたり視聴者参加型を維持する『アタック25』の長寿の秘訣は、緻密なスタッフワークとお茶の間への深い洞察にある」という――。

※本稿は、徳久倫康『クイズの戦後史』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。出典はウェブ用に最小限にとどめています。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

■「アタック25」はなぜ愛されるのか

放送開始から半世紀以上を経てなお放送を続けている視聴者参加型番組の巨塔に、「パネルクイズアタック25」があります。

放送が始まったのは1975年4月6日です。直前まで1年間放送されていた「東リクイズ イエス・ノー」(以降「イエス・ノー」)と、司会の児玉清、構成の堤章三、スポンサーの東リといった共通点が多く、実質的な後継番組のような位置づけでした。

ただし事態が複雑なのは、「イエス・ノー」は毎日放送、「アタック25」は朝日放送と、それぞれ別のテレビ局が制作を担当している点です。

1960年代〜70年代の民放テレビでは、テレビ局の資本関係と放送上の連携がねじれる、いわゆる「腸捻転」という事態が発生していました。

毎日放送(毎日新聞資本)が朝日新聞系列のANN傘下に、朝日放送(朝日新聞資本)が毎日新聞系列のJNN傘下にあったといえば、事態の異常性がおわかりいただけるでしょうか。

これはテレビ局が開設された順序や、行政方針が途中で変わったことなどに起因しています。

■いびつな事情から生まれた「アタック25」

事態を解消するため、1975年3月31日にネットチェンジ(放送局の系列を変更すること)が行われ、この「腸捻転」は解消されました。日付に注目すると、「アタック25」がネットチェンジ直後にスタートしたことがわかります。

「イエス・ノー」は毎日放送制作のもとANN系列で放送されており、本来そのまま放送を続けていれば、毎日放送制作・JNN系列での放送に転換されたはずでした。

ただ、スポンサーである東リはそれまでと同じ日曜昼の放送を希望したものの事情によりかなわず、では制作局を朝日放送に変更しよう、ということになったようです。

さすがに完全に同じ番組をほかの会社で作るわけにはいかず、新たに一から構想されたのが「アタック25」でした。

■カラーテレビの登場で色分けができた

近い経緯で生まれた番組に、「戦隊」シリーズがあります。

いま述べたネットチェンジにより、当時人気だった「仮面ライダー」シリーズをネットできなくなったテレビ朝日の懸念から、新たな少年向けのヒーロー番組として立ち上げられたのが「戦隊」シリーズ第1作の「秘密戦隊ゴレンジャー」でした。

ともに1975年に始まった「アタック25」と「ゴレンジャー」はいずれも、当時普及が進んでいたカラーテレビを意識し、「色のついたパネルを取り合う」「色分けされたヒーローが戦う」という新たな試みを取り入れています。

よくカラーテレビ普及のきっかけとして1964年の東京オリンピックが言及されますが、当時の普及率は1%以下でした。

一般家庭に浸透したのは1970年に入って大量生産による価格の低下が起きてからで、1973年には白黒テレビを逆転し、1975年の普及率は90%を超えました。

とはいえ、カラーテレビでないと戦況が把握しにくい「アタック25」は相当な冒険で、企画段階ではスポンサーから難色が示されたといいます。

白黒テレビでも判別できるよう、パネルにマークを描くなどの要望があったそうですが、制作陣はこれを撥ね除け、カラーテレビでこそ映える最先端の番組を作り上げました。

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■クイズ力に加え、人柄も重視される

カラーテレビの浸透と同時に始まった「アタック25」は、オセロをもとにした戦略性豊かなゲーム性を軸に長寿番組として親しまれました。

視聴者参加型の番組がほとんど絶滅して以降も一貫して、各回4人の視聴者を迎え、表情豊なクイズ対決を映し続けていることは特筆に値します。

参加する一般視聴者をコントロールするのは大きな労力が必要ですが、「アタック25」では丁寧なスタッフワークにより、それを実現してきました。

予選ではクイズ力に加え、面接で事細かに人柄を見て参加者が選ばれます。

■単なる難しいクイズでは視聴者に嫌われる

構成を手がけた高見孔二は、番組の目指すところを以下のように表現しています。

【高見】この「アタック25」という番組は、例えばお父さんと小学校4年生の男の子が一緒に観ていて(中略)、「あっ、お父ちゃんすごい! よう知ってんなあ」というくらいでいいと思うんです。(中略)で、その中で1問でもいいから子供も知ってて「おっ、お前もすごいやないか」とお父ちゃんに言われる。これくらいが一番いいんですよ。(中略)

――まさにお茶の間ですよね。

【高見】逆にクイズがすごい強い人が出てきて、難しいことを答えて、「すごいけど、こんな問題はようわからんわ」というのは、あんまりオモロないと思うんですよ。

出典:「[インタビュー]高見孔二・儀賀保秀」(『パネルクイズ アタック25』特集)『QUIZ JAPAN』vol.14、44-53頁

また、スタッフは参加予定者と事前に30分〜1時間ほど電話で話し、パネルの取り方を指導したり、得意ジャンルを聞き出したりと、入念な準備をしていました。

徳久倫康『クイズの戦後史』(平凡社新書)

たんに視聴者を集めるだけでドラマが生まれるなら簡単ですが、実際はプロの下準備があったからこそ、長くお茶の間に親しまれるコンテンツになりえたことがよくわかります。

逆に言えばこのコストを支払えない番組は、視聴者参加のスタイルを取るのは難しいということでしょう。

「アタック25」は2021年9月に一旦最終回となったものの、翌年春にはこの年開局したばかりのBSJapanext(現在のBS10)に舞台を移し、以降現在まで放送が続いています。

2025年には番組開始50年を迎え、「日本で最も長く続いているクイズ番組」に認定されました。

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徳久 倫康(とくひさ・のりやす)
クイズプレイヤー
1988年生まれ。早稲田大学文化構想学部を卒業後、株式会社ゲンロンに入社し、事業統括、取締役を歴任。現在は株式会社batonでQuizKnockのメディア運営やブランド管理に携わっている。趣味のクイズでは100以上の大会で優勝し、「競技クイズ界最強の男」の異名で「くりぃむVS林修! 超クイズサバイバー」などのテレビ番組にも出演。著書に『クイズ用語辞典』(共著、朝日新聞出版)がある。
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(クイズプレイヤー 徳久 倫康)