狩俣倫太郎さん(かりまた・りんたろう 琉球放送アナウンサー、執行役員コンテンツ本部アナウンス室長。2023年の脳梗塞・失語症発症を経て、現在は職務に復帰。ラジオ『MUSICSHOWERPlus+』内のコーナー「倫くんの大冒険」(木曜)に出演中。)

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 その日は友人と楽しくお酒を酌み交わした。帰宅後、シャワーを浴びて浴室を出た後、不意に意識を失い、その場に崩れ落ちた。沖縄の放送局・琉球放送で、軽妙な語り口でお茶の間での人気を博してきたアナウンサー、狩俣倫太郎さん(52)。2023年9月、彼を襲ったのは、何の前触れもない脳梗塞だった。

【写真】脳細胞が損傷…入院2日後に撮影されたMRI画像

充実した日々のすべてが一変した夜

 緊急手術によって一命を取りとめたが、目を覚ました狩俣さんを待っていたのは、あまりにも残酷な現実だった。

「目が覚めたら病院のような景色が見えました。でも、しゃべれなかった。自分の名前すらわからず、相手が何を言っているのかも全く理解できない。意味がわからない……ということも言葉にできない状態でした」

 診断は、最重度の「失語症」。言葉を司る脳の左側が損傷を受け、検査画像では広い範囲にダメージが確認された。振り返れば、体調の異変はあったのかもしれない。もともと、血圧が140前後と高めだったため、同居するパートナーからは「お酒を飲んだらシャワーは浴びないほうがいい」と常々、言われていたのだとか。

「パートナーの忠告を聞かずに、あの日友人とお酒を飲んで、シャワーを浴びてしまった。もしあの時、シャワーを浴びていなかったら……と考えることも」

「孤独な日々でした」涙、涙のリハビリ生活

 アナウンサーという「言葉のプロ」にとって、言葉を失うことはアイデンティティーを失うことに等しい。

「相手の言葉もわからない。話そうにも『あー』とか『うー』という声しか出せず、何も伝えられない。本当に孤独でした。

 コミュニケーションは取れないし、自分の人生はどうなってしまうのだろうと、毎日泣いてばかりいました。脳梗塞による脳の損傷のため、感情をうまくコントロールできず、泣くのを抑えられなくなってしまったんです」

 失語症によって、言葉がうまくしゃべれないだけでなく、文字や概念そのものが抜け落ち、読み書きすらできなくなった。意識が戻った翌日からは、リハビリが始まる。ひらがな、カタカナ、自分の名前を書く、あるいは九九を唱える。幼稚園児や小学生が取り組むようなドリルを一からやり直す日々。

「直後は1日2時間から始めて、転院してからは毎日5時間、地道に続けました。5時間もリハビリする人はいないよって言われるほど、必死でした」

 脳に損傷を受け、右半身に麻痺が残る状態での訓練の大変さは想像に難くない。

「リハビリは脳にも肉体にもハードでした。当初は右側の口や身体の動きも悪かったので、本当に疲れました。文字を書くにも、もともと右利きのところを、最初は慣れない左手で書いていたのも大変で。でも今では右手でも書けるようになり、ついに両利きになったんですよ(笑)」

 過酷な状況を乗り越えたのは、少しでも以前の状態に戻りたいという熱意だった。

「自分がアナウンサーだったことは、覚えていたんです。自分の名前は思い出せないのに、『しゃべる人』だったという記憶だけはあったんです。元に戻りたい、ただその一心でした」

 リハビリ生活では、言語聴覚士の存在が大きな支えとなったという。

「彼女は本当に真剣に向き合ってくれました。普通は読めなくて詰まっていると答えを教えてくれるものですが、彼女は絶対に教えずに、僕が言葉をひねり出すまでずーっと待ってくれるんです。

 入院した直後に『以前のように元に戻ることはありません』と言われたことがありました。その後、『間違っていましたね』、とおっしゃってくださったことが、自分にとっては努力の積み重ねが認められたようで、本当にうれしく感じました」

 周囲から「上手だね」と褒められることが、何よりのモチベーションになったと語る。しかし、「しゃべれるようになってきた」という実感が持てるまでには、月日がかかった。

「よんなー、よんなー」リスナーがくれた勇気

 リハビリを始めて1年6か月後、狩俣さんは職務復帰を果たす。失語症を患った方の職場復帰率は約10〜15%といわれるほど、その壁は高く険しい。ましてや、正確に言葉を操り、人々に伝える「アナウンサー」という職業への復帰となれば、いかに奇跡的なことかがわかる。

 復帰後、彼の背中を押したのは地元・沖縄のリスナーだった。番組に届くたくさんのメールには、温かな言葉が並んでいたという。

「みんなが『よんなー、よんなーよ』って言ってくれるんです。沖縄の言葉で『ゆっくりでいいよ、のんびりでいいよ』という意味。本当に勇気づけられました。届いたメールはプリントして今も大切に持っています」

 意味がわからない言葉に出合うと、スマホのカメラで写して検索したり、当たりをつけて文字起こしをして調べる。そんな地道な作業を繰り返しながら、少しずつ、言葉を取り戻していった。倒れてから約2年がたった去年の夏ごろ、狩俣さんは「しゃべれるようになってきた」という確かな自覚を持った。

「自分としては、今はまだ小学生くらいかな(笑)。日によってしゃべれたり理解できなかったりすることもありますが、昔に比べたら大進歩です。『もうダメ』と、くじけそうになったときもあったけれど、心の中のもう一人の自分と『自分でやっていかないとどうにもならないよ』と励まし合いながら、一歩一歩進んで今があります」

 現在は、日々学びながら働く生活を送っているが、その過酷さは想像以上。

「正直、本当に大変です。最近も祭りの現場に朝から出て、翌日は立っていられないほど体調を崩したこともありました。でも仕事があるからこそ、それが励みや刺激になっています。職場やスタッフが待っていてくれたことが本当にありがたいですね」

 自身の体験を伝える講演活動にも、強い使命感を持って取り組んでいる。

「失語症のことをもっと知ってほしいし、同じ病気の人たちやそのご家族に『頑張ろう』と思ってもらいたい。でも、『努力はしていこうね、自分にしかできないからね』とも伝えています。努力すれば、ちょっとずつでも良くなっていく。それを自分でも示してお伝えしていきたいです」

 彼の次なる目標は、自著の出版に、来年開催される「世界のウチナーンチュ大会」での閉会式の司会。かつて務めた大役の舞台に、再び立つことを目指しているそう。

 取材中も、言葉を思い出そうと立ち止まる場面や、言葉に詰まる場面が幾度かあった。一つひとつの言葉を、正しく、丁寧に届けようとするその真摯な姿には、不屈の決意がにじんでいた。

かりまた・りんたろう 琉球放送アナウンサー、執行役員コンテンツ本部アナウンス室長。2023年の脳梗塞・失語症発症を経て、現在は職務に復帰。ラジオ『MUSIC SHOWER Plus+』内のコーナー「倫くんの大冒険」(木曜)に出演中。

<取材・文/荒木睦美>