「年寄りの冷や水」はすでに死語か

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 第1回【「肌ツヤツヤ」「試合は血が躍る」70歳でエベレスト、80歳のボディービルダー…“60歳”以降に挑戦した人たちの充実人生】を読む

 2013年5月23日、三浦雄一郎さんが80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した。世界と日本を驚かせたこの快挙を受け、当時の「週刊新潮」は新たな挑戦を始めたシニア世代に注目。登山やボディービル、合気道などのフィジカル系から、演技や音楽、シナリオなどの文系まで、挑戦を通じて充実の日々を送る人々にご登場いただいた。彼らのストーリーは今読んでも刺激的で色あせない。

(全2回の第2回:以下「週刊新潮」2013年6月6日号「エベレストには登れなくても 60歳から十分にできること一覧」を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

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人生初のものすごい達成感で号泣

 当初はメタボ解消のために始めたジョギングだったが、4年後にはフルマラソンを完走するまでになったのは、千葉の西田好美さん(66)。

「年寄りの冷や水」はすでに死語か

「60歳前後の定期検診で医者から少し体重を減らした方がいいと注意を受けました。近くで駅伝・マラソン解説者の金哲彦さんが主宰する『ニッポンランナーズ』の集まりがあるという告知があり、出かけてみました。走ってみると、300メートルで息が上がってしまい愕然。その場で入会を決めました。時間をかけて歩くことやストレッチを教えられ、最初の半年で3キロぐらいを早足で歩けるようになりました」

 そのうちに3キロ走り、10キロ、20キロと距離を延ばしていった。そして昨年暮れホノルルマラソンの42.195キロに挑戦した。

「自信満々で走り始めたのですが、夜が明けてジリジリと暑くなってくるし、目の前にダイヤモンドヘッドが見えてきた時、あんな坂を走って登るのかと絶望的になりました。でも、綺麗なハワイの海に元気づけられ、完走することができました。ゴールには大勢の仲間がいて、『よく頑張ったわね』と言われた時は『私も頑張ったんだ』という思いが込み上げてきて、人生初のものすごい達成感で涙がポロポロこぼれました」

倫理の先生が上京して芝居の勉強

 60歳過ぎでトライするのはスポーツだけとは限らない。高校の教員を退職した後、シナリオ講座に通い、見事に自作の脚本が映画化されたのは、三重の谷口晃さん(72)である。

「高校では倫理を教えていました。教師になって5年目、なり手がいないので演劇部の顧問になりました。僕自身は学生時代に芝居をやっていたわけではないし、顧問になってからもあまり芝居を見なかった。退職5年前になってようやく、顧問としてこれではいけない。キチンと学ばなければ、勉強しなくてはと芝居を見るようになったのです。65歳まで非常勤講師の口がありましたが、芝居の勉強のために上京しようと決めていたので、断りました」

 東京ではシナリオ講座を受講。早大などで聴講生として演劇の勉強をした。

「芝居の脚本の講座はなくて、テレビや映画の脚本のものならたくさんありました。そこで入ったのがシナリオ作家協会の講座です。家賃7万円のアパートに住み、2年間勉強しました」

 その後、三重に戻り、シナリオコンクールに応募を続けたが鳴かず飛ばず。

「一次で落ちてしんどかった。そんな時、2006年に月刊『シナリオ』主催のピンク系の映画シナリオコンクールに応募したのです。トップ入選すると映画化されるということでした。そういうシーンを4回入れるのが常道ということで、老人の性をテーマにした脚本を書きました。多分通らないだろうと思って出しましたが、トップ入選。いまおかしんじ監督で『たそがれ』というタイトルで2008年に公開されました。秋田の映画祭に出品された時は見に行きましたが、終了後、客席から拍手が起きたことが記憶に残っています。周囲の反応はどうかといえば、僕が倫理の教師だったので言いにくいのか、女房は何も言わない」

 その後も、シナリオを書き続けているが、なかなか映画化、テレビドラマ化は実現しない。それでも、「東京で勉強した2年間は充実していた」と語る。

ガランとした部屋に布団1枚

 谷口さんと同じように、止むに止まれぬ思いから上京。役者の世界に飛び込んだのは、愛知の藤澤知子さんだ。前出の人達よりもちょっと若い58歳だが、2年前に俳優養成学校、明治座アカデミーのオーディションに合格した。

「ずっと主婦と子育てをしていましたが、子供が大学生になった時、『これからは私の人生だ。し残したことは何だろう』と考えて芝居をやりたいと思った。高校時代自分で演劇部を立ち上げたぐらいで、芝居への気持ちが残っていたのだと思います」

 オーディションでは着物姿で尾崎豊の曲をアカペラで熱唱した。

「合格してから1年半は週に1回レッスンを受けるため新幹線で通っていましたが、卒業後は東京に引っ越し、明治座のすぐ傍に住んでいます。ガランとした部屋に布団1枚。『私、何だか若者みたい』と思ったこともあります」

 現在、若い役者たちに交じり、様々な舞台で活躍している。

「明治座で殺陣や日舞、ボイストレーニングなどを学びながら、プロデュース公演などに出演しています。この前は、明治座以外の芝居に出て、メイド頭の役で舞台に立ちました。若い人からエネルギーをばんばん貰いましたよ」

ライブハウスで受けた衝撃

 長野の73歳のシンガーソングライター・丸山俊治さんも週1回のライブハウスの出演を楽しみにしている。

「60歳で定年になりました。音楽は若いころにクラシックギターをかじったぐらい。曲を作るキッカケは、2006年に行ったライブハウスでのことでした。30、40代の人が聴いたこともない歌をみんなで歌っていました。聞けば、自分で曲を作っているという。私もやってみたいと思いました。

 すぐに人から譲り受けたギターを片手に色々なフレーズを弾いて作曲しました。詞は日常生活の細々としたことです。2011年には『70歳になったのだ』という曲を作りました。私が住む市では70歳になると100円でバスに乗れる。年寄りも満更ではないなと思いまして、物忘れや身の回りの些細なことを面白おかしく曲にちりばめました」

 現在まで約50曲を作曲した。そのうちの11曲を選んでレコーディング。CD1000枚を制作して県内のCDショップで発売中だという。

弁護士からミステリー作家に

 一方、60歳まで弁護士を続け、その後、ミステリー作家になった女性もいる。東京の深木章子さん(65)である。

「父が裁判官で私も同じ職に就くつもりでした。ところが、東大の同期生で同じオーケストラ部にいた今の夫と知り合い、彼がサラリーマンになったので、転勤の伴う裁判官は厳しいなと思い弁護士になりました」

 現役時代は主に民事を扱ったという。

「本格ミステリー作家ということで、刑事事件が多かったと思われますが、たまに国選で刑事を引き受けることもあるくらいで、金銭貸借や離婚、相続、そんな仕事がほとんどです」

 ミステリーを書くきっかけは体調の悪化だった。

「実は私は40代にリウマチが発症し、次第に病気が悪化したのです。仕事を続けることが難しくなり、60歳になる年の3月に事務所を閉じました。2、3カ月ぶらぶらしているうち、ちょっと書いてみようかなと思いました。私のやりたいのは本格ミステリー。これはトリックの面白さですね。9カ月ぐらいかけて第一作を書き上げ、新人賞に応募しましたがダメでした」

 その後、いくつかの文学賞に応募するものの落選が続くが、4作目「鬼畜の家」で賞を獲得した。

「『ばらのまち福山 ミステリー文学新人賞』は大好きな本格ミステリー作家の島田荘司さんが1人で選考委員をなさっていますが、この賞を頂いたのです」

 同作で作家デビュー。これまでに3冊の本格ミステリー作品を発表している。

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 人生初のものすごい達成感で涙がポロポロこぼれました――。第1回【「肌ツヤツヤ」「試合は血が躍る」70歳でエベレスト、80歳のボディービルダー…“60歳”以降に挑戦した人たちの充実人生】では、登山やボディービル、マラソンなどに挑戦をした人々が登場している。

デイリー新潮編集部