小学校中学年で塾に入ったものの、勉強する気は一切なく、ノートは落書きばかり。成績も無残な結果だったという河野ゆかりさんはその後、東大理科IIIに合格する。なぜ急成長できたのか。まずは、小中学生編をお届けしよう――。(前編/全2回)

※河野ゆかり『東大医学部卒河野ゆかりの 「仕組み化」勉強法 意志力に頼らない学習自走化メソッド』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■まさかの「偏差値マイナス」の小学校時代

おでこにドデカばんそうこうを貼って

ここからは、私のこれまで歩んできた道のりを振り返ってみたいと思います。東大理科三類、そしてスイスのジュネーブ大学大学院というと、一見華やかな経歴に感じられるかもしれませんが、その裏側にはいくつもの失敗や悩みもありました。

これからお話しする私の経験が、目標に向かって進むみなさんのなにかのヒントになれば、これほどうれしいことはありません。

幼少期、「物覚えが早い子だ」と言われていました。言葉を話し始めたのも早く、2歳で50音表を読み、5歳の時にはパソコンでタイピングなどもしていたとか。一方、口から出る言葉には「ところどころにおバカな感じがにじみ出ていた」と母は言います。

5歳の時、ピアノの先生から小学校受験をすすめられたのがきっかけで受験しましたが、本番直前期に、公園の鉄棒で頭を強くぶつけ、ドデカいばんそうこうをおでこに貼って試験会場へ向かう羽目に。

写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

面接で「いつも家を出る時、お母さんから何と声をかけられますか?」と問われた私。普通に考えたら、「いってらっしゃい」とか、そういうことですよね。よっぽど頭をぶつけたのが衝撃だったのか、ばんそうこうを指差し、「『鉄棒に頭をぶつけないように気をつけなさい』と言われます」と答えたそうです……。幸いにもご縁をいただき、追手門学院小学校と神戸海星女子学院小学校に合格することができました。

■幼馴染の家にお呼ばれしたくて塾へ

神戸海星女子学院小学校への入学で、私の環境は一変しました。一貫校のため大学まで受験がなく、低学年時の学校の成績は「中の上」程度。宿題以外で机に向かうことは、ほぼありませんでした。

塾へ通い始めたのは小学校3年生か4年生の時です。幼馴染が進学塾として有名な浜学園に通うことになり、幼馴染のお母さんから、

「ゆかりちゃんも浜学園通うなら、そのあとうちで遊んで帰りなよ」

と誘われ、幼馴染の家に行きたいという一心で、浜学園に通い始めました。

勉強する気は一切ないので、当時のノートは落書きばかりでまともに開いた形跡はありません。当然成績も無残でした。月に一度の学力テストで偏差値マイナスを記録した時は、母も膝から崩れ落ちていましたね。本当にひどかったです。

そんな私も、ついに目覚めの時が訪れます。きっかけは6年生の秋、(系列の中学校へ進学せず)外部受験に向けて猛勉強していた同級生が放ったひと言でした。

「ゆかり、アホすぎやろ」

普段はのんびりした性格の私ですが、このときばかりは

「アホちゃうし!」

と猛烈な悔しさが込み上げ、人生で初めて自発的に勉強を始めました。多少は伸びたと思うのですが、外部受験の同級生にはちょっとやそっとでは追いつけるものではなく、そのまま小学校時代は終了しました。

■一気に模試1位へ! 覚醒する中学校時代

道ばたで鉄緑会のティッシュを貰い、入塾

「あ〜賢くなりたいなぁ」と思っていた矢先、駅前で配られていた塾のティッシュを受け取ります。それが東大受験で圧倒的実績を誇る塾・鉄緑会との出会いでした。調べてみるとかなりハードな塾だとわかりました。それでも中学からは真剣に勉強しようと決めていたので、母から「大変らしいけれど、入ってみる?」と聞かれ、迷わず「やる!」と即答。ここで鉄緑会への入塾が決まりました。

鉄緑会は成績順でクラスが分かれる塾ですが、私は当然、下のBクラスからのスタート。入塾後は「宿題だけは絶対に欠かさない」と決め、ひとつひとつ丁寧にこなす中で、じわじわと自己管理力が芽生えてゆきます。

すると、半年後のクラス分けテストで上のAクラスへ上がることができました。さらにその後、学校で受けた模試で、全国1位に。確か30万人ほど受けた模試だったので、「いけるやん!」とテンションが上がりました。

そのまま上位をキープしたい一心で、この頃から「試験で結果を出すために、いつまでに何をすべきか」という自分なりの復習計画を、意識的に立てるようになりました。

■憧れの最上位、SAクラスでの日々

2年になると、鉄緑会にはAクラスのさらに上位、SAクラスが設置されます。

河野ゆかり『東大医学部卒河野ゆかりの 「仕組み化」勉強法 意志力に頼らない学習自走化メソッド』(KADOKAWA)

「かっこいいな、いつか入りたい」と憧れていたのですが、2年の最初の段階から入ることができました。「私、やればできる子!」と調子に乗ると同時に、「絶対にこのクラスから落ちたくない」という一種の強迫観念も生まれました。宿題さぼらない、テスト直しは完璧にする、模試の前には必ず復習する。当たり前のことを誰よりも徹底して行う「SAクラス死守フェーズ」への突入です。

小学校時代の塾では、成績優秀者の常連として名前を眺めるだけだった「雲の上の存在」たちが、今や同じ教室で机を並べている。彼らと競い合い、時には勝つこともできるようになったことがたまらなくうれしくて、「やっぱり天才かも」とはしゃぎ散らかしていました。調子に乗っていますね。

■「理三」という目標との出会い

3年のある日、鉄緑会の壁に貼り出された合格実績の中に「理科三類60名」という文字を見つけました。当時の私は「理三」の意味すら知らず、そこで調べて初めて、理三=日本最高峰の東京大学医学部だと認識。元々医療に興味もあったので、「今の順位を維持できれば、可能性があるかも?」と、この時から「東大理三」が具体的な目標として現実味を帯びていきました。

写真=iStock.com/ranmaru_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ranmaru_

ちなみに、鉄緑会のカリキュラムは学校とは比較にならないほど速く、中3の終わりには数学IIBまでの全範囲が終了するほど。このスピードに食らいつくべく、日々の「タスク化」が始まりました。一方、学校の試験や宿題は復習として活用していました。

■クラス落ちの焦りから生まれた「計画術」

高校1年の時点で、1時間単位で「何をすべきか」を決めるスタイルが定着。生徒会活動との両立のためにも、効率の良い勉強を追究していました。

順調だった道のりに挫折が訪れたのは、2年の半ばでした。半年に一度のクラス分け試験で失敗し、物理と化学でクラス落ちしました。3年時のクラスは、年の最後のクラス分け試験で決定します。ここで戻れなければ、理三への道も遠のいてしまう……。そこからの追い上げは、今振り返っても「人生で一番頭を使った」と断言できるほどです。

ただし、頭を使ったのは「問題を解くフェーズ」より、むしろ「どのように勉強するか」の計画でした。

「塾のカリキュラムに従うだけではもうダメだ」と学習計画も見直しました。長期・中期・短期の3段階で作成する「計画力」を発揮し、物理は思い切ってゼロから学び直すことで、理解し損ねていた基礎の論理をつかみ直す方向に舵を切りました。

結果、2年最後の鉄緑会のクラス分けテストでは化学1位、物理も上位を獲得し、無事一番上のクラスに返り咲くことができました。

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河野 ゆかり(こうの・ゆかり)
医師、ジュネーブ大学大学院在籍中
2000年、兵庫県生まれ。2025年東京大学医学部医学科卒業。医師国家試験合格。ジュネーブ大学大学院に在籍中。2021年〜2024年放送のTBS系「東大王」に出演。「東大王」出演や医師国家試験の傍ら、J.S.A.ワインエキスパートも取得する徹底的な自己管理力がYouTube等で話題となっている。
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(医師、ジュネーブ大学大学院在籍中 河野 ゆかり)