「高校を辞めてフリーターになる!」―反発と万能感がピークに達した「あのころの記憶」【『親友は山に消えた』】

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描いているうちに形を変えた「親友の物語」

親友・平賀淳をアラスカの高峰で失った作家の小林元喜は、3年後、その最期の場所を自ら訪ねた。小林がこのほど上梓した『親友は山に消えた』(小学館)の核心にあたる出来事だ。

第1回『懺悔から救済へ――嫉妬にさいなまれた作家が、親友の死に直面して知った「書くことの意味」』につづき、著者の小林元喜に話を聞いていく。

この本は、当初から今の形をしていたわけではない。初稿には、親友の死に向き合いきれなかった自分への後ろめたさや、長年抱えてきた嫉妬、そして「親友らしく振る舞えなかった」という懺悔が色濃くにじんでいた。仮題が『親友失格』だったことは、そのことを端的に示している。

だが、小林は平賀の一周忌を過ぎたころから精神的な不調に襲われ、「喪の作業」を自分なりに引き受けなければならないと感じるようになる。平賀の人生を描くことは、単なる追悼ではなく、自らの傷と向き合う営みでもあった。

高校をやめちゃうなんて…

藤岡雅 本作品で描かれる主人公、平賀淳という人はなかなか得がたい友人ですね。

小林元喜 ええ、作中で平賀の保育園からの幼馴染が語ったように、「スクールカーストのどこにも属さない」、それでいて誰とでも付き合っていける人間でした。芯のある男でしたね。平賀のお母さんが取材で言っていて、本にも書きましたけど、とにかく自分だけ良くなろうとしちゃダメなんだと。みんながみんなで良くならなきゃいけない、というようなことをずっと言っていたそうです。僕の前ではそうは言わなかったんですが。

藤岡 その平賀さんは、社会人になってからずっと小林さんを引っ張ってきた。というよりも、小林さんの「やりたいこと」を叶えてあげようと導いてきたという関係です。

小林 その通りです。

藤岡 ただ、たしかにそうですが、一方で、本書では小林さんもまた、平賀さんを奮い立たせていたということが明らかになっていきます。今回は、二人の関係の始まる中学や高校時代のことから聞いていきたいと思います。

二人とも、山梨県北巨摩郡双葉町(現甲斐市)のご出身で、中学時代からの友人。高校2年生のころに、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。神戸にボランティアに行こうと計画したり、同じ山梨県の上九一色村にあった第7サティアンに潜入しようとしたりする。どこか危うさをはらんだ青春ですよね。

小林 神戸では都市が壊れ、オウムには高学歴の若者が次々と入信していた。どちらも時代が大きく変わる、パラダイムシフトを感じさせる事件で、私たちのその後の人生を暗示しているような気がしました。

藤岡 そのどちらも平賀さんが先頭に立って「行ってみよう」というわけです。何かやらないと気が済まない、そこに小林さんも引き寄せられていく。

小林 取材して気づいたのですが、誰に対してもそうだったんですね。昔から周りを巻き込んでいくタイプで、僕もその一人だったんです。

藤岡 一方で、小林さんに平賀さんが触発されたこともある。小林さんが大学時代のことですが、スピーチコンテスト「NHK青春メッセージ」のエピソードは面白かった。

まず、最初に小林さんは全国大会に出場をはたした。そして、NHKホールでのスピーチは生中継で全国放送されます。

小林 あのころから、物書きになりたいと思っていて、その思いが初めて現実になるんじゃないかという体験でした。かなり自信になりましたね。

藤岡 面白いのは、翌年に平賀さんもスピーチコンテストに出場することです。しかも、小林さんに内緒で(笑)。

小林 あれは面白かったですね。そのことについては、平賀と生前、話したことはありません。大人になってからも、彼は言わなかったですね(笑)。

藤岡 小林さんは、平賀さんの奮起を願うのではなく、実は「決勝に行かないでくれ」と願っていたことを赤裸々に描いています。『さよなら、野口健』でもそうでしたが、小林さんは心の揺れをすべて正直に書いてしまいます。

小林 必死にやって決勝まで行ったのに、平賀が軽々と同じことをやるのは許せませんからね(笑)。結果的に平賀は決勝には進みませんでしたが。

藤岡 逆に言えば、平賀さんも小林さんを強く意識していたということです。

小林 取材して、お互いを強烈に意識したライバルだったということを痛感しました。いつからそうなったのか正確には分からないけど、おそらく、僕が最初の高校を辞めたころ。平賀が僕のことを心配して電話をくれたときに始まったんだと思います。

藤岡 小林さんが最初に通ったのが“ガリ勉高校”。ここを1年も経たずに辞めるんですよね。その行動力もすごい。あの時代の高校は、進学校とはいえ体罰と抑圧を受けるために行っているようなものでしたものね。それで、僕らの中にはそんなクズ教師たちに反発しないとカッコ悪いみたいな感覚があった。逆に、反抗しないことは強烈に恥ずかしいことだと思っていました。

小林 おっしゃる通り。僕も完全にそう思っていました。生来の僕の気質とも関係していると思うけど、やっぱり時代の空気感は当然ありましたよね。当時、僕はフリーターこそが、立派な生き方だという感覚があったんです。高校を辞めてフリーターとして東京に出るぞと。それがロックでカッコいい、みたいな。自分の気質と時代の空気がしっかりマッチして、高校中退ということになったんです。

藤岡 自分の気持ちに正直に生きる小林さんに、平賀さんは強く引きつけられた。

小林 おそらく。平賀が僕に興味を持ったのは、高校を辞めたから。彼のなかにも同じ感覚があって、「おいおい元喜、本当に辞めるのかよ」と。そこから関係が深まりましたから。

藤岡 「高校をあっさりと辞めちゃうのかよ〜、かっこいいじゃん!」となったんですね。

小林 高校を辞めたとき、彼は毎日電話してきたんです。そうそう、思い出しましたが、僕が高校を辞めたと聞いて、平賀はこう言ったんです。「オレは『こいつには勝てないかもしれない』と思った」と。だから、最初からライバルだったんだと思います。

藤岡 強権的な奴に隷属したり、迎合するような奴らがカッコ悪いと平賀さんも思っていた。そんなふうにはなりたくない。そう思っていたときに、小林さんが先に高校を辞めてしまった。

小林 あり得ますね。ということは、平賀の方から先に、僕にライバル関係を持ちかけてきたということですね。

藤岡 きっとそうですよね。「こいつには勝てないかもしれない」というのは、平賀さんの偽らざる気持ちだったのではないですか。

小林 その後は、こいつに負けたとか、勝ったとか、そういうことを感じながらやっていくことになります。高校を辞めたことで平賀に火がついて、関係が始まったんですね、やっぱり。

権威への反発はなぜ生まれたのか?

藤岡 ところで、あの当時僕らは、権力、つまり先生に反発することを、なぜカッコいいと思っていたのでしょうか。自分に酔っていただけなのかもしれないけど、奇妙な万能感があったような気もします。何だってできちゃう、みたいな。そして、小林さんは東京に行ってフリーターになってやると。いま考えたらとても無謀なことをやろうとしてしまう。あの感覚はどこから来たものなんでしょうね。

小林 いや、それは難しい質問ですね。どっから来たんだろう……。

でも、本作を読んでいただいた方々のなかには、あの時代の空気に対して反応してくださる方がけっこういるんですよね。それこそ、ロスジェネ世代を象徴的に表現している作品なんじゃないのかと。

尾崎豊が亡くなったのが、僕が中2の時でしたが、当時の若者の大人への反抗を象徴していたシンガーソングライターでした。あれだけ人の心を捉えたのですから、世代を超えた普遍性があったのだと思います。

藤岡 現実に、そもそも学校の先生が信用ならない大人ばかりだった。当時は暴力教師ばかりでね。奴らに思い切り殴られる理不尽な時代でした。

小林 今だったらありえない。でも当時は、先生が手を上げるのは当たり前でしたから。

藤岡 高校に入ったばかりのころ、習字の時間の最初の授業で隣に座っていたクラスメイトが生意気だっていう理由で、思いっきり殴られていた。そいつは鼻血を紙に垂らしながら習字をやってたんですから。新一年生を教師が鼻血が出るまでぶん殴るって……、いまでもゾッとする体験です。

小林 僕は中学校時代の記憶が鮮明で、目をつけられやすかったので、何度も教師に殴られました。今でも非常に腹立たしい記憶として強烈に残っています。権力関係がはっきりしすぎていて、あんなふうに実力行使されるのは納得がいかなかったですね。

藤岡 僕も後ろからいきなり後頭部をぶん殴られた。頸椎が折れたんじゃないかと思うほどにね。まあ、こちらもタバコを吸っていたとか悪いことをしていたのですが。逆にひ弱な先生は生徒からバカにされて授業にすらならない、なんてことも日常的にありました。だから、高校の担任は宿題をやっていかないだけで、「貴様、この野郎」といきなり生徒を蹴り倒したりしていた。そうでもしないと統制がとれないというのがあったのでしょう。

小林 それでも、あの頃を思い出して「今となっては、いい思い出だよね」とは全然ならない。「冗談じゃないぞ」と思いますね。そういうものがエネルギーになって、未だに戦いを続けているような感じがあるんですよ。

何しろ、僕の中学校では全員坊主でしたから。強制ですよ。強制で坊主って、囚人の世界ですから。僕は、なぜ坊主なんだと抵抗したんですが、結局それも殴られて終わりでした。

中学生なんて10代前半の子どもですよ。子どもに権力が手を上げるって、どういうことなんですか。

藤岡 平賀さんとは、そういう話はしたことはある?

小林 そこは、あまりしたことはないですね。ただ、僕の方が強烈に反発を感じるタイプで、平賀はどちらかというと、もう少しうまくやる方ではあった。だから、強烈に反発する僕に興味を持ったのだと思いますね。

藤岡 きっと、そこからすべてが始まったのでしょうね。

―――

そんな小林と平賀の関係は、社会人になると徐々に変化が現れる。

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