福建省の世界遺産・土楼(筆者撮影)

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中国における非婚化問題について深掘りする連載の第3回。前回の記事では婚活市場において女性が多く、男性が少なくなっている実態を紹介したが、これにはもう一つの側面がある。

それは「都市に向かう女性、農村に残る男性」という現象だ。下のグラフは都市と町、農村の30歳以上の男女未婚率を示している。

このグラフからは都市部では女性の未婚率が男性を大幅に上回っていることが分かる。

そして、その一方で、農村部では男性の未婚率が女性の2倍以上に達しており、地方における結婚難の深刻さと、女性たちが都市部へ流出・移動している背景を裏付ける形となっている。

男性と女性、お互いに向かう先が異なる列車に乗っているため、マッチングが起こりにくい現象が生じているのだ。なぜ、女性は都市に向かい、男性は農村に残るのか。その原因には農村部に残る深刻な男尊女卑がある。

「嫁に出した娘はまいた水と同じ」

中国の広大な国土の多くを占める農村地帯には、数千年の歳月をかけて編み上げられた男尊女卑が今なお強固に存在している。それは単なる文化的意義以上に、個人の運命を支配する社会構造である。

農村部における女性軽視を象徴する言葉もある。

「嫁に出した娘はまいた水と同じ(嫁出去的女儿,泼出去的水)」という言葉だ。

伝統的な農耕社会において男性が重要視され、女性は結婚すれば他家の人間となり、実家の財産や供養とは無関係な、まいた水として扱われる。この文化が今の中国社会にも根強く残っているのだ。

なぜ現代中国の農村部に、いまだに男尊女卑が残っているのだろうか。

村社会での面子、老後の保障、氏姓の継承

まず一つ目の理由は、逃れられない社会的なプレッシャーである。

農村は顔見知りばかりの濃密な社会であり、どこの家で何が起きたかは瞬く間に知れ渡る。そこでは面子(メンツ)が何よりも重んじられ、周囲の目が生活を規定する。

もし娘しかいない家庭であれば、周囲から軽んじられ、時には「跡継ぎのいない家(絶戸頭)」とあざけりの対象にさえなる。この面子文化という重い足かせが、多くの家庭にとって息子を授かるための過酷な道へと駆り立てるのだ。

先祖の霊や神霊を祀るための祖庙(そびょう)に祀られているのは主に男性(筆者撮影)

二つ目の理由は、数千年にわたって深く根付いてきた「老後のために息子を育てる」という観念だ。農村において老後の保障は切実な問題だ。年金制度が十分ではなく、社会保障の恩恵も限定的な環境では、老後の生活は必然的に子どもの扶養に頼ることになる。

この価値観の下では、息子がいない家庭は跡継ぎのいない家と蔑まれ、村社会での面子を失うだけでなく、老後の保障さえも危うくなるという恐怖に晒される。

この恐怖が、女性たちへの無関心や冷遇を生み、結婚後も跡継ぎの男子を産むことを強いられる、という執念を生んでいる。

三つ目の理由は、氏姓の継承という文化的な要因だ。

中国において姓を継ぐ文化は数千年続いており、これが男尊女卑を支える大きな柱となっている。農村の結婚はいまだに女性が男性の家に入る形が一般的であり、生まれる子どもも夫の姓を名乗る。

つまり、男性の後継者がいて初めて一族の宗族が存続すると見なされるのだ。「嫁に出した娘はまいた水と同じ」という言葉が示す通り、娘しかいないことは一族の断絶を意味する。

家系という長い歴史の鎖をつなぐ役割を男性が担わされている以上、息子がいない家庭はその血脈が自分の代で途絶え、一族が消えてしまうという、恐怖に近い焦燥感を抱くことになるのだ。

そして、高学歴化が進み、専門スキルを手にした現代の女性にとって、旧態依然とした農村の家父長制は、自己実現を阻む巨大な壁でしかない。

結果として、男性は古くからの因習に縛られ農村から離れられない一方、女性は自由を求めて都市に逃れる。このすれ違いも中国における深刻な非婚化の要因である。

文/下川英馬 内外タイムス