選手たちから胴上げを受ける神村学園の有村監督。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 万感の想いだった。

 8月2日、福島県のJヴィレッジスタジアムで行なわれたインターハイの決勝戦。神村学園(鹿児島)が同じ九州勢の大津(熊本)を2−2(7PK6)で下し、頂点に輝いた。

 神村学園にとって、選手権も含めて初めての全国優勝。鹿児島県勢にとしても初の夏の日本一となった。

 2014年度からチームを率いる有村圭一郎監督は鹿児島実出身。95年度には平瀬智行(元鹿島ほか)や久永辰徳(元福岡ほか)らと選手権制覇を経験しているなか、日頃から、再び「鹿児島に大旗を持ち帰りたい」という言葉を口にしていた。

 長年抱いてきた日本一への想い。それは今回のインターハイで結実する。シードで2回戦からの登場となったチームは安定した試合運びだけではなく、勝負強さも発揮。山梨学院との準々決勝では、1−1で突入したPK戦を4−2で制し、尚志との準決勝では、ラストプレーで逆転して2−1の劇的な勝利を挙げた。

 大津との決勝でも試合終了間際に追い付き、勝負の行方はPK戦へ。これを勝ち切り、九州のライバルを下した。

 ホイッスルが鳴った瞬間、スタッフと抱き合った指揮官。胴上げでは弾けんばかりの笑顔で選手たちから祝福を受けた。
 
 思い返せば、日本一になるまでの道のりは想像以上に険しく、茨の道だった。

 鹿児島実から福岡教育大に進み、卒業後に指導者の道へ。神村学園高等部の女子サッカー部を経て、02年から中等部の男子サッカー部監督となり、14年からは竹元真樹前監督(現総監督)からバトンを受けて高等部の男子サッカー部を託された。

 指揮官となった時点で、チームは竹元前監督時代に全国舞台で結果を残しており、選手権では06年度にベスト4入り。インターハイでも07年度に4強入りを果たすなど、鹿児島県を牽引する存在だった。

 そのなかで有村監督は、テクニカルなサッカーでボールを動かすスタイルを追求し、多くのJリーガーを輩出。就任直後に指導に携わった橘田健人(MF/川崎フロンターレ)や高橋大悟(MF/ギラヴァンツ北九州)といったプレーヤーが、プロの世界で活躍している。

 しかし、指揮官となった直後はスタッフも少なく、発展途上のチームだったのも事実。就任2年目の遠征で有村監督は「スタッフが3人しかいないから、各チームに1人しか帯同できない」と苦笑いを浮かべ、チームマネジメントの難しさを口にしていた。
 
 そのなかで、全国大会に継続して出場しながら優勝は遠く、結果を残せない。

「本当に勝つというところに目を向けたら、全然勝てない要素があった。そういう大会の挑み方をしていたと思う」(有村監督)

 巧いけど勝てない――。そうした流れを変えるべく、有村監督は19年にフィジカルの強化に乗り出す。東輝明氏の招聘だった。

 ふたりは旧知の仲で、東氏が1歳上で小学校時代からの付き合い。なんでも言い合える間柄だったのもプラスに働き、チームの強化に大きな影響を与えた。

 選手を大きく変えたのは、東氏のトレーニング。14年度にインターハイで東福岡の日本一に貢献、退任後はザスパクサツ群馬や鹿児島ユナイテッドでフィジカルコーチを歴任した東氏は、まさに身体作りのスペシャリストだ。選手の肉体強化は進み、FW福田師王(ボルシアMG)は尻周りの筋肉を強化したことで競り負けるシーンが減り、ほかの多くの選手もその効果を実感した。

 福田が卒業した23年度から、フィジカル系のトレーニングをより強化させると、選手の体重は平均で5キロほどアップしたという。東氏は高等部と並行して中等部の指導にも携わり、中高6年計画で選手の肉体を段階的にバージョンアップさせていった。