がんばっている人ほど多い「過去の失敗」が甦って苦しいとき、どう乗り越える?
楽しく過ごしていても、何かの拍子に「過去にこんな失敗をした自分」の姿が蘇って落ち込みが襲ってくるようなことは、誰にでもあるかもしれません。
「誰からも嫌わない」は難しいのが現実。他人に振り回されずに生きるコツ
人とつまずいて心が不安定なときにも、「あのときもダメだった自分」が頻繁に顔を出して余計に自信をなくしていくことがあります。
いつまでも過去に縛られるのはなぜなのか、「ダメだった自分」を乗り越えるにはどうすればいいのか、気持ちを切り替えるコツをご紹介します。
過去の失敗が甦る理由は?上手に昇華するための考え方とは
みずからの足を引っ張る「過去の痛み」
たとえば、身勝手な気持ちから恋人をきつい言葉で責めてそのまま別れを選ばれたり、大事な場面でうまく振る舞えずに恥をかいた経験だったり、そのとき感じた強いショックはその後も心に染み込んでいます。
年単位で時間が経っていても、新しい恋人と幸せなデートを楽しんでいる最中に「あのとき人を傷つけた自分」が不意に蘇ってきたり、似たようなシチュエーションがやってきて「あのとき大恥をかいた自分」を思い出したり。
落ち着いて生活していても、「あのときダメだった自分」がふと顔を出す瞬間はよくあって、そのたびに心は新しい衝撃を受け、虚無感に襲われます。
「今はあの頃とは違うのだ」「もうあんな失敗はしない」と意識できていても、脳が勝手に引きずり出す過去の「やらかし」のフィルムがみずからの足を引っ張ることは、がんばっている人にほど多いのではないでしょうか。
過去の痛みは現在の自分から自信を奪い、「やっぱり今もダメなまま」の不安が生まれます。
どうあがいても人は記憶からは逃れられず、それがまた自分のしたことならなおさら、心に釘を打ち込むように痛みを蘇らせるのは毎回苦しいものです。
いつまでも「過去に失敗した自分」がつきまとうのは、なぜなのでしょうか。
「苦しい過去」が甦るのは現在をきちんと生きようとしているから
筆者の経験で恐縮ですが、過去は他人にひどく依存しており、自分の価値を感じるには相手の好意や愛情が必ず必要でした。
自分の在り方を他人に委ねるのは危険なのだと気づいてから、人との間に境界線を引く、自分と相手の気持ちを等しく尊重する姿勢で関わる意識を持ちました。
それからは男女関係なく居心地のいいつながりを持てる人が増えましたが、今でも当時の相手を傷つける無様な自分が浮かんできては、「今もやっぱりダメな自分」への恐怖が消えません。
楽しいときほどその心に蓋をするように「ダメだった自分」が手を伸ばしてきますが、気がついたのは「その頃とは違うからこそ痛みを受けるのだ」ということです。
もしそのときの心のままであれば、過去の自分について「間違っていた」「おかしかった」と感じることはなく、何かを思い出してもショックはないはず。
今は違うから過去の自分を思い出すと苦しくなるのであって、現在をきちんと生きる姿勢を持てている証拠なのでは、と考えました。
変わったからこそ「そうではなかった過去」がつらく、思い出すのは「繰り返すなよ」という心のサインかもしれません。
そう思うと、何かあると心をよぎる醜い自分の姿は、今の自分の在り方を改めて考える機会になりました。
現在につながる過去を思い出してみて
筆者の場合、つらかった依存状態を抜けて久しいですが、冷静に振り返ってみると「他人と正しく関わることができている自分」もまた、はっきりと自覚することができます。
筆者にとっての正しいとは自分の本音に従って素直に愛情や好意を伝えていく姿、その自分が相手に受け止められて同じように愛情や好意を伝えてもらえることです。
ともに関係を続ける努力ができる人の存在は本当にありがたく、「がんばって変わってよかったな」の実感は、いつでも自信の底にあります。
そうやって自分を変えてきた過程もまた過去であり、あっけなく他人を傷つけ自分まで貶めてきた過去と並んで受け入れるべきもの。
自分の在り方を変えるのは本当に難しく、「それまでとは違う考え方や接し方をする」のは勇気がいることですが、培われてきたのはつらいときでも衝動に負けない堪える力、その結果相手と縁が切れるのではなく前向きに関係を続ける意思を大切にできています。
「その自分」もまた、昔のものとして心に積み重なります。
そう考えれば、過去の嫌な自分が出てきて苦しいときは「努力してきた自分」を忘れていることで、そちらの姿もあえて引っ張り出してみるのも、落ち込みを防ぐ一つの方法です。
うまくいった瞬間は自分がどんな姿を見せているときだったか、そのときの喜びや幸せを思い出せば、過去の「ダメだった自分」に負けない強さを持てます。
現在もまた等しく過去になっていく。その意識が、「ダメだった自分」を凌駕するポジティブさにつながるのでは、と思います。
他人の姿もまた過去のもの
たとえば、こちらはがんばっていたのに一方的に相手に傷つけられたり、自分は普通の感覚だったのに相手のほうがおかしかったりと、「ダメだった自分」のなかにはこちらの在り方に関わらず相手の問題でそうなった、という種類もありますよね。
思いがけず受ける痛みは強いへこみとなり心を苦しめますが、時間が経てばそんな相手の姿もまた過去になります。
その人と今どんな状態にあるとしても、思い出すたびに憎んだり恨んだりするのは間違いで、なぜかというと過去は変わらないからです。
そのときのふたりはどんなことがあっても「そのまま」であり、過去に戻ってやり直すなんてできない以上は、現在の自分で受け止めるしかありません。
やり直せないことにネガティブな気持ちを向け続けるのは、いずれその代償を払わせたい、苦しんだのだから報われたいという間違った執着を生みます。
自分と等しく相手も変わる可能性はあり、それがどんな方向にせよ、人と向き合うときは現在のお互いでしかできません。
いつまでも過去を持ち出して相手を責めるのはかえって自分に苦しみの元を残し続けるのと同じで、「そうだったのだ」と事実だけ見るようにして、当時の苦しみは手放すのが自分のため。
一方で、当時の相手の有り様ややり方を許すかどうかはまた別の問題であり、どうしても納得ができない、許す気持ちが起こらないのであれば、その現在の自分で「置いておく」のも大切です。
「昔のことなのだから」と許したり忘れたりするのを求める人がいますが、それを決めるのはされた側であり、今の自分をまっすぐ生きるうえで「できない」のならそれを認めるのも、心を抑圧しない在り方と筆者は感じます。
やってはいけないのは悪い執着でもって相手と関わりを続けることで、不毛な感情を育てるのが果たして幸せなのかどうか、過去の相手にしがみつく限り「ダメだった自分」の姿もまた心で繰り返されることを、忘れてはいけません。
過去がどうであれ、現在の自分の在り方は自分で決めることができます。
他人の姿も等しく昔になっていく、それは「そのときの自分も過去にできる」の救いもあることを、肝に銘じたいですね。
コントロールできるのは自分だけ
人はひとりでは生きていけず、生活していれば必ず他人と関わります。
自分には当たり前のことが相手にとってはそうではなかったり、他人の感覚を身勝手に押し付けられたり、そんなつまずきは避けたいと思っても難しいのが現実です。
穏やかに生きていたいと願う一方で自分とは違う人間なら感情の摩擦は簡単に生まれ、仲がこじれたり縁が切れたり、安定した人間関係を手にするのは自分の力だけでは無理なのだと本当に思います。
反対に、思いがけず人から好意を受けたり存在を慈しんでもらえたり、ひとりでは実感できない気持ちを与えられるのも、関わりがあるからこそ。
相手の気持ちを受け止める、受け入れる器はコミュニケーションを楽しみたいみずからの意思で作られると筆者は考えます。
周囲を拒絶すれば孤立しか進む道はなく、そのやり方もまた後になって「ダメだった自分」として苦しめるのだと思えば、つらいときに踏ん張る胆力がみずからを救います。
自分と等しく他人も在り方は自分で決めるもので、手を出すことはできません。
コントロールできるのはあくまで自分の言動だけであり、そのわきまえがストレスのない距離感を作る境界線になるのではないでしょうか。
長く続く居心地のいい関係には、お互いの気持ちをスムーズに伝えあえる距離感が必ずあります。
他人はコントロールできないもの、だからこそ誠実に自分の気持ちを伝える姿勢が相手の心もまた開いていくのが実際で、その努力が「いい過去」となることを、忘れてはいけません。
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過去の失敗は確かに消えませんが、だからといって現在もダメなままかといえばそうではないはずです。
苦しいのは「今は違う」から、と思えば、そのときの自分に引きずられるのではなく今の自分をまっすぐ見る意思が心を支えてくれます。
自分を愛する力は、そのまま他人を愛する力にもなることを、心得ていたいですね。

