東京・渋谷のシンボルであるSHIBUYA109は、開業40周年の今年、館内をリニューアルした。これにあわせて、長年同館の売り上げナンバーワンだった「セシルマクビー」はブランドコンセプトを大胆に変更した。“セシル”に何が起きたのか、経済ジャーナリストの高井尚之氏が運営会社に話を聞いた--。
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11月9日にリニューアルオープンした「セシルマクビーSHIBUYA109店」 - 提供=ジャパンイマジネーション

■かつてマルキューの代名詞だったブランドは今

東京・渋谷では、2019年の秋、商業施設の開業やリニューアルオープンが相次いだ。

11月1日には210以上の店舗が入る「渋谷スクランブルスクエア」がオープン。約3年休業していた「渋谷パルコ」も11月22日にリニューアルした。

今年開業40周年を迎えた「SHIBUYA109」

この2つの間にあたる11月9日、かつて一世を風靡(ふうび)した人気店がリブランディング(ブランド再生)を行い、リニューアル店舗がオープンした。今年開業40周年を迎えたSHIBUYA109を長らく牽引してきた「セシルマクビー」(セシル。運営会社はジャパンイマジネーション)だ。

かつては“マルキュー”の顔で、2000年から2013年まで14年間も同館売り上げナンバーワンの座にあった。今も「上から5位以内」(同社)だと聞くが、当時ほど勢いはない。

「セクシーカジュアル」の代名詞として、渋谷ギャルを魅了したブランドは、いまどんな状況にあるのか。“ユニクロ以外はアパレル総崩れ”と言われるなか、現状を探った。

■コンセプト転換はマルキューから持ち掛けられた

「なんか、すごく変わりましたね」

SHIBUYA109店の様子。黒を基調としたアイテムを多くそろえていた過去と比べ、現在はパステルカラーを取り入れ、アイテムのバリエーションも増やしている(提供=ジャパンイマジネーション)

SHIBUYA109店に同行した、担当の女性編集者(1991年生まれ)は開口一番、こう話した。

福岡県生まれの当人にとって、「セシルは高校時代のカリスマブランド」。当時は「天神コア店」(福岡市中央区)に通ったそうで、マルキューに来たのは大学時代以来だという。

驚くのも無理はない。品ぞろえは、かつての黒×白ではなく、パステルカラーの服も増え、チェック柄もある。雑貨類も充実した。イヤリングなどファッション小物だけでなく、防犯ブザーもあった。大音量だった音楽も控えめで「昔より静か……」と編集者はつぶやく。

視察したのは平日の午前中。店内を回るうちに女性客が増えた。20歳前後が多いようだ。

「新コンセプトとして『今の私にちょうどいい』を掲げました。顧客層は18歳から23歳の等身大の女性で、販売資料のペルソナ(顧客像)も横浜市や川崎市の公立高校生に設定。品ぞろえはワンピースを36%(従来は30%)、雑貨も20%(同14%)に高めています」

CECIL McBEE営業部次長の手塚邦洋氏(撮影=プレジデントオンライン編集部)

CECIL McBEE営業部次長の手塚邦洋氏(営業統括リーダー兼商品統括リーダー)はこう話し、今回の舞台裏を明かす。以前はSHIBUYA109店のチーフやパルコ池袋店店長も務めた。

手塚氏によると、コンセプトを変えるきっかけとなったのは、SHIBUYA109が40年の節目に大幅リニューアルしたことだったという。

同館は地下2階にフードエリアを新設。若い女性から熱烈な支持を得ている韓国グループ・BTS(防弾少年団)のポップアップストアを29日まで開催している。長年盟友関係にあった同館からリブランディングを持ち掛けられ、検討を進めた。

「かつてはカリスマ店員に憧れて、上から下までセシルでそろえ『私を見てほしい』というお客さまも目立ちました。でもSNS時代の現在は『自分の存在を多くの人に共感してほしい』という意識。お客さまが楽しめる売り場にしようと、このように変えたのです」

■「モテ服」路線を掲げたが迷走気味に…

実は、セシルは2年前の2017年にもブランドコンセプトを変えた。当時は「モテ服ナンバーワン」を掲げ、ブランドのキーカラーをブラックとホワイトからホワイトとピンクに変身。乃木坂46の白石麻衣さんを起用して、「トレンドを反映した大人のモテ服」で訴求した。

だが後述するが、もともとセシルがブレークしたのは1990年代後半。セクシーな肌見せスタイルが「ガングロギャル」にも支持された。当時より露出が控えめになったとはいえ、ギャルイメージのセシルが「大人かわいい」を掲げたため、イメージとのギャップが埋まらなかった。セシルファンから見れば「どこに行っちゃうの」感があったのだろう。

同社の木村達央会長兼社長(撮影=プレジデントオンライン編集部)

「2017年当時は29歳から34歳の購買層が10%近く伸びました。上の世代からも支持があるのはありがたいのですが、ブランドコンセプトがぼやけてしまったため、本部と店舗、そして消費者の声も聞きながらターゲットを再設定したのです」(手塚氏)

ブレーク当時の社長で、現在は会長も兼務する木村達央氏は、率直に語る。

「もともと、その時代に合ったトレンドを表現できるのがセシルマクビーらしさであり、30年以上も展開するブランドの強みでした。でも、この5年は右肩下がりで売り上げも落ちていき、社長としていろんな施策を打ちましたが、時代の変化は予想以上に大きかった。ようやく下げ止まり、反転の兆しも出てきています」

売り上げの約7割を同ブランドが占める会社の売上高は、2014年1月期の214億100万円から、2018年2月期は147億8200万円まで下落した。今後はどこまで巻き返せるのか。

■もともとは「山の手お嬢さま系ファッション」だった

今回のリニューアルの基本思想にもつながる、会社と経営者の横顔も紹介しよう。従来のイメージから、一般にはギャル出身の社長と思われがちだが、かなり正統派だ。

前身となる会社の創業は戦後間もない1946年、焼け跡が残る新宿の婦人服店だった。その後、新宿や渋谷など都心部の駅ビル中心に出店し、高度成長期に首都圏のショッピングセンターとともに発展した。「セシルマクビー」のブランド登録は1987年。当時はスーツやコートなど重衣料が売り上げの柱で、山の手お嬢さま系ファッションを得意としていた。

それが変わったのが1996年。この年「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」(木村氏)。マルキューが「渋谷に集まる女子高生」をターゲットに、館内をリニューアルしたのだ。セシルもブランドテイストを大きく変えてブレーク。その勢いは2013年まで続いた。

実はジャパンイマジネーションは、ユニクロのような「SPA」(製造小売り)型でなく、「専門店」型。靴やカバンのような専門店の意味ではなく、「独自の世界観と商品展開を行う業態」という意味だ。社内に商品企画担当はいるが、商品製作は取引先の中小アパレルが担う。

創業者の長男である木村氏は、学習院卒業後、三菱商事に就職して主に経理部門で従事。父・恭也(たかや)氏(故人)の経営する同社(当時の社名はデリカ)に入社した。川上の原材料から川下の最終製品までを扱う商社での管理経験も、社業に投影されている。

一方の手塚氏は、セシルがブレークした時期にSHIBUYA109店のチーフも務め、当時の熱気を肌で感じてきた。全盛期を支えた「ギャル」が、ほぼいなくなった時代性とも向き合う。

■大学生の「よく行く街」が、渋谷から原宿に移った

「時代の変化が激しい」とはよく言われるが、ここ数年のアパレル業界は本当にそうだ。

例えば、セシルマクビーが苦戦する原因のひとつとなった外資系ファストファッションでは、一時は流行の波に乗った「フォーエバー21」が2019年10月末で日本から撤退した。国内勢では、勝ち組といわれた「ファッションセンターしまむら」の業績も伸び悩む。

まもなく新しい年を迎えるが、以前は長い行列が話題だった「ファッションブランドの福袋」も、近年は落ち着いた。購入した消費者も、SNSで中身のアイテムの交換情報を発信する時代だ。セシルも別のやり方での“福袋販売”を企画しているという。

青山学院大学でファッション講座も持つ木村氏は、最近の消費者意識をこう明かす。

渋谷ギャルはもう絶滅しています。例えば青学の2年生に聞くと、よく買うブランドは『GU』で、よく行く街は渋谷ではなく原宿。街を歩き、気に入ったものがあれば買う--という消費をする人が多い。そんな時代性を見据えながら、若い女性のブランドとして再訴求していきます」

■“決めすぎない”トレンドにどう対応するか

1990年代後半からセシルマクビーに注目し、これまでも関連記事を寄稿してきた筆者は、ファッションにおける消費者心理を「がんばらない時代」だと感じている。世代や所得、興味・関心で差があるが、総じて「主張しすぎず、多額のおカネをかけない」という意味だ。

2012年には、お台場(ダイバーシティ東京プラザ)やスカイツリー(東京スカイツリータウンソラマチ)開業時も取材したが、今回の渋谷は、当時ほどの熱気はなかった。

かつてのセシルは低価格競争に巻き込まれない3つの施策をとった。(1)「こだわり」、(2)「プラスワン」、(3)「オマケ」だ。

それぞれ簡単な例で説明すると、(1)はジャケットやコートなら裏地にこだわる。(2)はワンピースやニットにベルトをつける。(3)はノベルティや先着○人に小物プレゼント、など。

現在は、実店舗以外にネットでの購入や交換も増え、低価格化も進んだ。一方、まだ所有アイテムの少ない若い世代は、手持ち資金の範囲でファッションに投資し、楽しみたい気持ちは根強い。

マーケティングの視点では、前者が「流行」(時代とともに変わるもの)、後者が「不易」(変わらないもの)だ。セシルマクビーブランドの不易・流行は何だろうか。

■お客さん出身のスタッフがブランドを支えている

かつてファッションエディターからは「ジャパンイマジネーションの最大の特徴は“店長産業”」と教えてもらった。現在もその色合いは残る。SHIBUYA109店の諸富(もろどみ)店長は、学生時代からセシルを愛用した。店舗スタッフの多くは、元顧客だ。

セシルの強みは、この顧客起点だろう。もともと木村氏の経営哲学も「私はファッションのことは分からない。分からないから、くわしい人に任せる」だった。

筆者が時々思い起こす言葉がある。リクルート在職中に『じゃらん』や『フロム・エー』などの新雑誌を立ち上げた、くらたまなぶ氏(あそびとまなぶ代表取締役)の著書の一節だ。

「『人の気持ちを知ること』。これがマーケティングの日本語訳で間違いないと思った。(中略)まずは『人の気持ち』を徹底して集めることが重要だ」(出所:『リクルート「創刊男」の大ヒット発想術』日経ビジネス人文庫)

セシルマクビーが今回掲げた「今の私にちょうどいい」を商品で体現するには、「人の気持ちを徹底して知ること」だろう。もちろん担い手は本部ではなく、店舗スタッフになる。

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高井 尚之(たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。
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(経済ジャーナリスト 高井 尚之)