飛行機が1度、1時間近く出発が遅れたことがあったが、それは、サッカー観戦後、空港にギリギリで駆けつけたサポーターを、積み残すわけにいかなかったからだ。
日本が売りにしている要素が、ロシアにそのまま存在していたのだ。西ヨーロッパの人に比べて、外国人に慣れていない様子で、その分のマイナス要素もあったが、スレていない素朴な親切心も同時に備えていて、和ませてくれた。

 そして特筆すべきは美化精神だ。大袈裟に言えば、道路にゴミひとつ落ちていない。清掃車が昼夜を問わず常に出動し、街を隅々まで奇麗にしているからだが、片付ける習慣が浸透しているようだった。レストランに座れば、一皿食べ終わるやいなや即、片付けに来る感じで、その点では日本より細かい気がした。

 歩いて楽しい場所がどれほどあるか。それこそが街の魅力を語る時の物差しになるが、街が奇麗で、治安がよければ、評価は上がる。スタジアムはその先にある。

 どのスタジアムも、ほとんどが街の中心地から比較的近いアクセスのよい場所にあった。メイン会場となったモスクワのルジニキと、スパルタクは地下鉄駅の目の前。故黒川紀章氏が設計したサンクトペテルブルグのスタジアムも同様。

 そして肝心のスタジアムの造りだ。12会場中、サマラとカーリングラードを除く10会場に足を運んだが、いずれも視角は急で見晴らしは文句なかった。この眺め、視角が望めるスタジアムは日本ではごく僅かしかない。ロシアでもっとサッカーを見続けていたいと思った一番の理由だ。

 帰国するや、新国立競技場の建設工事の進捗状況を伝えるニュースが目に止まった。スタンドの中から撮影された写真も掲載されていて、スタンドの傾斜角も確認することができた。1階席の傾斜角が20度であることは、文献を見て知らされていたので、工事中の写真を見てショックを受けることはなかったが、ロシアW杯のスタジアムとは、偉い違いであることは確かなのだ。五輪後、球技専用にリニューアルされると、その1階席分は前方に伸びる。座席数は15000席から34000席に増える一方で、視角はさらに緩くなる。16〜17度程度に過ぎないだろう。

 これが日本の現実だ。暗澹たる気持ちになる。スタジアムの善し悪しを決める生命線は何なのか。こんな設計のスタジアムに、ゴーサインを出した人は誰なのか。

 この貧しさ。その昔、モスクワのトランジットで体験した非快適性と同じ種類のものだと思う。レジャーに来ているのに、その高揚感を大きく減退させる罪深い空間が、1年と何ヶ月か後に完成しようとしている。もう止めることはできない。

 2020年東京五輪は、2018年ロシアW杯に続く世界の祭典だが、スタジアムに関しては、2年後の新築スタジアムの方が貧しい。新国立競技場の建築現場に立ち入り取材したメディアに携わる人間はなぜ、もっと騒がないのか。日本のスポーツ文化、スタジアム文化の程度を示す一件だ。ロシアに劣るとの自覚さえ持ち合わせていない。日本代表を心配するのもいいけれど、こちらはそれ以上に重大な問題だと、僕は思う。