私の大好きな彼氏には、結婚願望がない。

それを知ったのは、30歳の誕生日。順調な交際を2年も過ごした後だった。

東大卒のイケメン弁護士・吾郎との「結婚」というゴールを、疑うことのなかった英里。彼が結婚願望ゼロと知った日から、不安と焦りが爆発。

とうとう吾郎との破局を迎えた英里は、傷心を乗り越え、結婚願望のある男・きんちゃんと平和な交際をスタートする。しかし、偶然再会した吾郎と再び喧嘩になり、ついにきんちゃんとの結婚を決意した...?




「瑠璃子のお兄さんって、あんなにカッコイイのに、変わってるよね......」

瑠璃子は小さな頃から、6つ年上の兄の吾郎が変わり者であるということを、周囲から幾度となく知らされて生きてきた。

成績優秀、スポーツ万能、そして何より凡人離れした容姿をした吾郎は自慢の兄であったが、どうしてだか、変に頑固でひねくれた面がいつも目立っていた。

授業中に、新任の女教師を理詰めして泣かせる。
女の子たちからのラブレターを、読まずに捨てる。
「アホばっかり」と、男友達もほとんど作らない。

家庭環境が悪かったわけでも、幼少期にトラウマを負ったわけでもない。

家族はむしろ仲が良く、メガバンクに勤める父と専業主婦である母にたっぷり愛情を注がれ、二人はすくすくと健やかに育ってきたはずだ。

それなのに吾郎は、昔から“意地悪な秀才くん”のような扱いで、簡単に言えば問題児であった。

しかしそんな兄も、妹の瑠璃子にだけは、例外的に優しかった。

同級生の男子にいじめられたときはすぐに蹴散らしてくれたし、受験のときは根気強く勉強を教えてくれた。社会人になってからは、彼氏よりも豪華で楽しいデートに何度も連れて行ってくれた。

だから瑠璃子は、決めていたのだ。

「お兄ちゃんが困ったときは、私が絶対に助ける」と。


英里と別れた吾郎の本心とは...?


男にとって、結婚しない=“楽”というワケでもない


「お兄ちゃーん」

瑠璃子が休日の吾郎の部屋を訪ねると、彼は広いリビングのソファにポツンと座り、相変わらずのしかめ面でビジネス書を読んでいた。

―また1人でいる......。

英里と別れてからの吾郎は、以前にも増して益々“こじらせて”いる。

元々少なかった人付き合いはさらに減少したし、毎晩遅くまで仕事に没頭し、休日は貪るように大量の本を読み、ジムで身体を鍛えてばかりいるようだ。

それを「真面目」の一言で片づけてしまえば楽なのかも知れないが、そんなストイックな生活を送る吾郎が、瑠璃子にとっては不健康に見えて仕方がない。




容赦なく人の弱点を突くような毒舌も、世間一般の常識を斜め目線で馬鹿にするような態度も、傍目から見れば「嫌な奴」「冷たい男」なんて思われがちだが、実はそうでもない。

吾郎は確固とした自身の価値感を持っているだけであり、かつ、人一倍素直なのだ。

そして妹の目から見れば、さらに不愛想になった吾郎が、恋人を失った悲しみに暮れているのがよく分かった。

「また、ずーっと1人でいたの?」

吾郎は睨むようにチラッと鋭い視線を向けるだけで、返事はしない。分厚く小難しそうなビジネス書を手にした兄は、まるで修行僧のようだ。

「ねぇお兄ちゃん。英里さんと別れて、寂しいんでしょ?いい加減、素直に謝ればいいのに......」

英里と付き合っている頃の吾郎は、あきらかに毒気が薄くなり、角が取れていた。

最初はデレデレした兄を目の当たりにしてヤキモチを焼いたこともあったが、一匹狼のようにギスギスした姿に逆戻りされてしまうと、瑠璃子は心が痛くなる。

「聞いてるの?お兄ちゃんだって、34歳なんだよ?もうオジサンじゃん。いつまでも意地張ってないで、結婚すればいいじゃない。あんなに仲良しだったのに......」

「やかましい。勝手に決めつけるな」

「お兄ちゃんのために言ってるのよ?どうしてそんなに頑固なのよ。いくらカッコよくても、それじゃあ一生独りで、不幸な人生になるわよ」

「言っておくが、俺は後悔なんぞしてない。独りが不幸だなんて浅はかな考え方もしないし、むしろ自由を満喫している」

瑠璃子が「はぁ」と溜息をついたとき、吾郎の横に積み上げられたビジネス書に混じって、「別れる力」という本が目に入った。

女優の妻・夏目雅子を若くして亡くした大御所作家・伊集院静の「人との別れ」を題材にしたエッセイである。

「お兄ちゃんってば......」

瑠璃子がつい憐みの眼差しを向けると、吾郎は慌てて本を隠した。

“結婚しない”男は悪役と思われがちだが、その選択も、決して楽なものではないらしい。


そんな吾郎は、英里の婚約を知らされ...?


アッサリ他の男と結婚するなんて、許せない


「ねぇ、吾郎さんの元カノの英里さん、新しい彼氏ができたらしいよ。しかも、結婚間近だって」

主婦コミュニティの情報網には、侮れないものがある。

瑠璃子の夫は商社マンであるが、夫の同期の奥さんが、どこからかそんな情報を仕入れてきたのだ。英里も会社は違えど商社の一般職勤めであるから、きっと共通の知り合いがいるのだろう。

「新しい彼も、すごく素敵な人なんだって。外見は吾郎さんと違って普通らしいけど、外資系メーカーのマーケーターで、育ちも良いらしいわ」

特に刺激のない平和な生活を送る主婦は、他人のゴシップが何よりも大好物である。

リーズナブルに本格的なイタリアンを楽しめる『ロットチェント』に集合した主婦友たちは、もともと独身貴族を貫く吾郎のファンでもあり、噂話に目を光らせた。




「で、でも...お兄ちゃんと別れてから、まだ日も浅いのに...」

「知り合いがね、銀座で婚約指輪選んでるのを見たんだって」

瑠璃子の胸に、沸々と怒りが込み上げてくる。

あくまで勝手な解釈ではあったが、英里という女は兄にベタ惚れで、それによって氷のハートを溶かしたのだと信じていた。

一度フラれたくらいでアッサリと他の男と結婚だなんて、信じられない。

―そんなの、私が許さないわ......!

瑠璃子はいてもたってもいられず、思わず店を飛び出した。



「お兄ちゃん!もういつまでも拗ねてる時間はないわよ!英里さん、他の人と結婚しちゃうわよ!!!」

吾郎の部屋で仕事から帰るのを待ち伏せしていた瑠璃子は、ドアが開くなり、興奮状態で詰め寄った。

「お前、また来たのか......。俺には関係ない。こんな時間までほっつき歩いて、お前こそ旦那に愛想つかされないのか」

吾郎は一瞬だけ面食らったような反応を見せたが、すぐに不自然なほど冷たい表情に戻る。

「本当にいいの?結婚しちゃったら、もう戻れないんだよ?お兄ちゃんは紙切れ一枚のくだらない契約とか言うけど、その紙切れの重さ、分かってないでしょ?お兄ちゃんは...」

必死に説得していた瑠璃子は、思わずハッと息を飲んだ。

スーツを脱ぐ兄の横顔に、見たこともない悲痛の色が浮かんでいたのだ。

「分かってるから、ほっといてくれないか」

「......だってお兄ちゃん、英里さんのこと、好きなんでしょ?」

「俺は30歳のあいつの年齢も考えずに、人生を滅茶苦茶にしたんだよ。時間は返してやれないから、きっぱり別れるのが最善だ」

「......それ、本人に言われたの?」

吾郎はそれ以上、何も答えなかった。

しかし瑠璃子は、やっと理解した。兄は、傷ついていたのだ。

心を許した恋人に責められ、自信を失い、だから一人の世界に引きこもってしまっていたのだ。

―私が、お兄ちゃんを助ける......。

瑠璃子は胸の中で、静かに決意を固めた。

▶NEXT:5月20日 土曜更新予定
使命感に燃える瑠璃子は、英里に接触を試みる...?!