【郷ひろみ秘話】「バシーンって。いきなり叩かれたんです」母・輝代さんの〈裏拳〉で〈九州男児・裕美少年〉は奮い立った「男っていうものは途中でやめるんじゃない」
2027年に歌手デビュー55周年を迎える郷ひろみさん(本名・原武裕美)。第一線で活躍してきた陰には、今年1月に亡くなった母・原武輝代さんの存在があった。
郷ひろみさんのデビューは、1971年の春、映画のオーディションに応募したことがきっかけだった。しかし、オーディション直前に郷ひろみさんが怖じ気づいていると、母から思いがけない“叱咤”を受けたという。あっと驚くデビュー秘話を、郷ひろみさんが明かした。
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そう、あのときから、僕の人生すべてが変わってしまいました。
当時は、映画俳優にしろ歌手にしろ、ずば抜けた才能を持つ人だけがその道に行けるという時代。だから自分が芸能界に行きたいとか、行けるかもしれないなんて、考えたこともなかった。
きっかけは、品川区広町の同じ官舎に住んでいたご近所のおばさんが、なぜか僕の写真を持っていて、家には内緒で映画のオーディションに応募したことです。そうしたら一次審査を通って、次は面接だと伝えられました。ただただビックリですよ。
オーディション直前の裏拳
これは一大事ということで、家族会議の開催です。親父は堅実な国鉄マンらしく、「芸能界は浮き沈みの激しい世界と聞くから、やめた方がいいんじゃないのか」と反対でした。妹は「おんちゃん面白いから受けたら?」と乗り気。気楽なもんです。

郷ひろみさん ©文藝春秋
そしておふくろは、「あんたが決めなさい」と言いました。自分で決めろと言われても……というかんじでしたが、面接会場が銀座だったので、あの数寄屋橋交差点の不二家とか、有名なスポットを見てみたい、という軽い気持ちで、面接に行ってみることにしたんです。
でも、山手線の有楽町駅で降りて、まだ古い建物だった東宝会館と宝塚近くにあった晴海通りに出ると、急に怖気づいてしまった。付き添いのおふくろに向かって、「やっぱり僕、行きたくないんだけど……」と口にした瞬間でした。バシーンって。いきなり(頬を)叩かれたんです。それも裏拳でね。
「あんたね、男っていうものは途中でやめるんじゃない。最後まで行きなさい!」
「大河ドラマ決まったから」
九州男児としての教えはいいんですが、これからオーディションなのに、僕の頬っぺたには真っ赤なみみず腫れが……(笑)。おふくろは「ごめんね」と謝ったみたいなんですけど、僕は覚えてない。それから会場でオーディションを受けたはずなんですが、どんな内容だったかも全然記憶にないんですよ。
オーディションが終わって、何十人という男の子たちと一緒に階段に出てきた時、事務所の方に名刺を渡されました。審査員の1人だったのかなんなのか、よく分かりませんでしたが、少し話をして、その場を後にしました。
2週間ほど経った頃、家に電話がかかってきて、事務所に行くことになりました。
事務所のビルの下で待ち合わせだったのですが、入り口に出待ちの女の子たちがたむろしていた。ちょっと入りづらいですよね。で、いったん帰りかけ、行くのをやめようかな、と思っちゃったのですが、ふとおふくろの顔が浮かびました。途中でやめて戻るのは、九州男児ではない……。意を決して、駅の方をグルっと回ってビルに戻ったんです。
ビルの5階に事務所の方がいて、「このままNHKに行くよ」と連れていかれました。オーディションだったんでしょうね。それが終わり、NHKのソファで1人ぽつんと待っていたら、「おめでとう。大河ドラマ決まったから」と言われました。
翌年(1972年)の1月2日から始まる大河ドラマ『新・平家物語』に出演が決まったというんです。平清盛の弟、経盛の幼少時代役で。去年亡くなった仲代達矢さんが平清盛、新珠三千代さんが僕の母上、(17代目)中村勘三郎さんが清盛の養父と、今から考えるととてつもないメンバー。収録の2週間前から猛特訓が始まりました。そりゃそうですよね。たとえ「母上……」ってセリフだけにしろ、ずぶの素人がそこに仲間入りしなければいけないわけですから。
※この続きでは、「仕事の引き際」について郷ひろみさんが語っています。約6200字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年7月号に掲載されています(郷ひろみ「母の叱咤が僕を作った」)。
■郷ひろみ(ごう・ひろみ) 1955年生まれ。紅白歌合戦に25年連続38回出場し、昨年末で勇退した。5月から、日本全国43公演のツアー中
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(郷 ひろみ/文藝春秋 2026年7月号)
