お台場のすぐそば、立入禁止&住所未定だった「謎の島」を巡って…大田区VS江東区、半世紀にわたる”領土争い”の真相
2021年に開催された「東京五輪2020」は、全世界を震撼させた新型コロナウイルスの感染拡大によって開催が一年延期された。開催前から波乱含みの五輪だったが、閉幕後にも汚職事件が発覚するなど、後味の悪いスポーツの祭典としても記憶されている。
他方、東京五輪は東京都が半世紀以上も抱えていた未解決の行政課題を前進させる触媒にもなった。その課題とは東京湾に浮かぶ埋立地--中央防波堤の帰属問題だ。昨年、同埋立地の一画は「海の森公園」の一部としてグランドオープン。一般利用も始まった。中央防波堤の現在に至るまで、そしてこれからについて、現地ルポを交えながら詳述する。
“13号地”と呼ばれていた「お台場」
東京湾の埋め立ては江戸期から始まっているが、それが本格化して土地の造成ひいては都市の開発・発展という目的を強くするのは戦後になってからだ。
昨今、ネットニュースではお台場のゴーストタウン化を指摘する記事が増えている。お台場は江東区・品川区・港区にまたがる一帯を指すが、町名は各区で異なる。そのため、特定の区に依らないよう、関係者は配慮も含めて長らく“13号地”と呼んでいた。そこにお役所的な発想があることは否めず、13号地という名称では人口に膾炙しづらかった。
同地に “お台場”という呼称が定着したのは、石原慎太郎都知事(当時)が“お台場”と呼び続けてきたことが大きい。また、港区台場にはフジテレビ本社があり、2000年前後は若者のトレンディスポットとなっていた。異彩を放つ球体展望台もフジテレビ本社の観光地化を後押し、周辺に商業施設が次々と誕生して13号地は絶頂期を迎える。
だが、13号地は埋め立てによる人工島のため、容易にアクセスできない。東京都は13号地の開発を進めるべく、東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)と東京臨海高速鉄道りんかい線を主要交通として整備した。
相次いだ東京湾「人工島」の帰属問題
ゆりかもめは13号地に点在する街をつなぐように走るが、線路で一体化していることもあって、東京モーターショーやコミックマーケットといった大きなイベントが開催される「東京ビッグサイト」も来場者・来街者からお台場と認識されることがある。厳密には東京ビッグサイトは10号地で、13号地ではないのだが、感覚的に“お台場”と受け止めることは理解できる。
10号地と13号地、いずれにしても東京湾に造成された埋立地に変わりはなく、いきなり現出した人工島をどこの区にするのか?といった問題は、江東区・品川区・中央区・港区の4者で協議したが決着しなかった。そして陸続きという理由で、最終的に中央区を除く3者によって分割されることになった。
中央区が“お台場”の帰属を主張した理由は晴海埠頭からの海上アクセスによるものだが、同区はお台場以降に造成された「中央防波堤(中防)」でも帰属を主張している。
中防は東京港の防波堤として1973年に13号地の沖合で建設が始まり、1986年に埋め立てが完了した。都の人口急増にともなう大量のゴミ処理問題の解決を目的に造成された人工島で、内側と外側の2エリアで構成されている。70年代から防波堤の南北地域が廃棄物処分場として利用され、現在は東京都の埋立地である「中央防波堤埋立地」となった。
なお、お台場の帰属を逃した中央区は中防でも帰属を主張したが、こちらも陸続きではないことから受け入れてもらうことはできなかった。それでも中央区は諦めず、同エリアに予定されている公共施設の共同利用などの提案を続けている。
大田区VS江東区による「中央防波堤」の領土争い
中防の帰属は前述4区に加え、大田区も参戦して泥沼化した。13号地とは異なり、前述4区のうち品川区・中央区・港区の3区は早々に中防の帰属争いから撤退した。それは3区と中防が陸続きではないことを理由にしていたが、大田区は譲らなかった。
大田区が帰属争いに参戦したのは中防と大田区が道路でつながっているという条件を満たしていることが理由になっているが、くわえて大田区は「東京国際空港(羽田空港)が建設されるまで、東京湾は海苔の養殖が盛んで、それらは大田区の産業に欠かせなかった。そうした犠牲を払っているのだから中防の帰属を主張する権利があり、すでに江東区は10号地や13号地といった埋立地の大半を得ている。これ以上の帰属を主張するのは欲張り過ぎている」として中防全島の帰属を主張した。
一方、13号地で接する江東区は「江東区は高度経済成長期において、東京都のゴミ処分という役割を黙々と担ってきた。そうした“負の歴史”があることを踏まえれば、中防は当然ながら江東区に帰属するべき」とした。
輝かしいお台場のすぐそばに「ゴミの最終処分場」
筆者はお台場が輝かしいトレンディスポットとして注目を浴びていた2000年前後から、その南に広がる中防の存在が気になっていた。そこから取材をスタートさせ、何度か足を踏み入れることもあった。当時は帰属未定地のため、誰もが自由に立ち入ることはできなかった。
取材目的で立ち入りを許可され、実際に足を踏み入れると、中防のいたるところで産業廃棄物が野積みにされていた。汚臭を感じることはなかったが、走り回る大型トラックが巻き上げる砂埃なども相まって、中防に漂う空気や太陽の光は濁って見えた。
それはゴミの最終処分場だから当然なのだが、中防はフジテレビ本社の球体展望台が視認できる距離にある。当時のお台場には目立つような建物が少なかったが、それでも輝かしいお台場の建物群と中防との対比は、とても印象深かった。
そして中防はゴミの埋立地というルーツもあり、土壌から汚水の排出、ガスの発生といった問題を抱えていた。そのため、中防の各所で汚水を処理する施設などを目にできた。
東京都の職員からは「13号地は土砂で造成されているので大きな商業施設を建設しても問題ないが、中防は時間をかけて汚水を抜かなければならない。しかも地盤が固まるまでにも歳月を必要とする。開発ができなければ意味がないから、帰属問題が決着するのには時間がかかるだろう」という話も聞いていた。
都庁職員は、あくまでも公務員だから冷静かつ丁寧に説明してくれたのだが、その淡々とした言葉は無機質な中防の風景とリンクし、帰属争いが無駄ないがみあいのようにも感じさせた。
環境改善には数十年単位の時間が必要
それでは、中防が利活用できるようになるまでどれほどの時間が必要なのか? 一般市民がこれらを判断する材料を持つことは容易ではないが、だからと言って専門家でも将来予測における見解は異なっている。
複数人の専門家たちの見解をまとめると、一様に簡単に算出はできないと前置きしつつ「最低でも30年。安全を考えるなら、50年は経過を見る必要がある」というのが一般的な見方のようだ。
これらには植樹スピードをはじめとする環境改善の取り組みといった人為的に左右できる要素もあり、また、汚水・ガスを無害化する技術が時代とともに向上することも考えられるので地盤沈下が止まる速度や固まることへの見解には不確定要素が多い。そのため、有識者間でも差が出てしまう。
とはいえ、帰属が確定しなければ行政が開発に乗り出せない。なぜなら、せっかく莫大な区税を投じても、それが他区の土地になってしまえば区民から「税金の無駄遣い」といった批判を受けてしまうからだ。
できるだけ自区の利益になるような開発にし、無駄な支出は避けたい。そうした思惑から開発を急ぐ必要はなく、中防の帰属は決着を見ないまま歳月が徒過していった。
広大な土地が放置され続けた
その間も東京都港湾局や国土緑化推進機構、国際日本森林文化協会による植樹イベントが定期的に開催され、ゴミの埋立地を緑化する試みは続けられていた。
また、少しでも都民に中防への親しみを抱いてもらおうという意図から、東京都は定期的に中防を臨時開放し、ハイキングイベントを開催してきた。
筆者は何度も植樹イベント・ハイキングを取材し、そのたびに中防の風景が一変することに驚かされた。しかし、イベントによって木々は増えていくものの、商業施設などの計画は浮上しなかった。また、ハイキングに参加する人たちが回を重ねても増える様子はなく、こうしたイベントが中防の認知度向上にどれほど寄与しているのか不明だった。
中防には、東京都環境局の分庁舎や東京都が風力発電パイロット事業として民間事業者に運用させていた風力発電所が新たに建設されたぐらいで、茫洋とした大地は大半が放置されたままになっていた。
広大な中防が放置されていることは、大きな機会損失でもある。そのため、膠着状態だった帰属問題の決着をつける動きも出るようになった。大田区と江東区は東京都自治紛争処理委員会に帰属問題の決着を委ねることにし、同委員会は大田区13.8パーセント、江東区86.2パーセントの調停案を示した。
しかし、これで一件落着になることはなく、大田区はこの調停案を拒否した。一方、江東区側は「東京都自治紛争処理委員会の調停案に納得しているわけではないが、裁定を第3者に委ねたのだから、どんな結果が出ても従う」としていた。
大田区が不服としたことで領土争いの舞台は東京高裁へと移っていくが、同区が中防全島の帰属を主張していたこともあり、東京高裁でも決着する見込みは薄いと思われていた。
東京五輪をきっかけに“領土問題”が決着
ところが東京五輪の開催が迫りつつあった2019年になって、帰属問題は新たな動きを見せる。中防の一画には東京都が「海の森競技場」を建設していたが、これが五輪の競技会場になったために周辺エリアで開発機運が芽生えたのだ。
周知の通り、東京五輪は新型コロナウイルスが全世界的に感染拡大したことに伴い開催が一年延期されたが、帰属問題を争っている時点では開催延期はアナウンスされていなかった。
五輪開催という一大チャンスをみすみす逃すわけにはいかない。だが2019年から開発に着手しても明らかに五輪には間に合わない。すでに出遅れていることは誰の目にも明らかだった。
それでも大田区は全島の帰属という主張をおろした。恐らく大田区はどこかで手打ちをしなければならないと考えて、振り上げた拳を下ろすタイミングを見計らっていたと思われる。その絶好の理由が、東京五輪を契機とした開発ということになる。
改めて東京高裁は大田区が20.7パーセント、江東区が79.3パーセントという案を示した。そして両区は受け入れることを承諾した。
東京都自治紛争処理委員会が示した調停案と比べて、高裁案では大田区の帰属分がわずかに増えている。全島の帰属を主張していた同区にとって、高裁案も受け入れ難いものだっただろうが、そこは妥協したようだ。
こうした経緯をたどり、ようやく両区は五輪に向けた中防一帯の整備と五輪後の開発計画を練り始める。五輪終了後も中防の検討は続き、2025年3月に東京都がようやく海の森公園をグランドオープンさせた。
(写真はすべて筆者撮影)
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