羽賀理之選手と久下真以子さん「うれしいことにドラマが始まって以降『車いすラグビー見に行きたい』と言われる機会が増えました」(久下さん・撮影:須藤明子)

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ドゴッ、ガガッ! ガツン、ガツンガツンッ!!

車いす同士が激しくぶつかり合い、驚くほど大きな金属音がアリーナに響き渡る。ときには、そんな衝突音の直後、勢い余ってもんどり打つように、床に倒れ込む選手の姿も散見された。見慣れていない記者の目には少々危険で、むちゃな競技のようにも映るが……。

「でもね、それがとっても楽しいんです」

満面の笑みとともにこう話すのは、車いすラグビーの現役選手、羽賀理之さん(41)。羽賀さんは過去3大会、日本代表としてパラリンピックに出場。2024年のパリ大会では“悲願”の金メダル獲得に大きく貢献した。

「車いすラグビーの見どころは、なんといってもタックル。数あるパラリンピック競技のなかでも唯一、車いす同士のコンタクトが許されている。激しく当たると車いすユーザーの僕らにも“非日常”な大きな音が体育館中に……、そこがいちばんの魅力だと思います」

羽賀さんの言葉どおり、クラブチーム「AXE」の練習が行われていた東京・お台場の「日本財団パラアリーナ」には、くだんの激しい衝突音と同じぐらいたくさんの、選手たちの笑い声が溢れていた。

この春から、TBS系の「日曜劇場」では、その車いすラグビーを扱ったドラマ『GIFT』が放送され話題を呼んでいる。「日曜劇場」ならではの重厚なストーリーはもちろんのこと、堤真一(61)、山田裕貴(35)、有村架純(33)ら豪華キャストたちが紡ぐ物語の“舞台”が、決してメジャー競技とは言い難い障がい者スポーツだったことも、注目を集めた一因だ。地上波の連ドラでは、初の試みともいわれている。

「以前、私が『番組でパラスポーツを取り上げたい』と話したときの、周囲の反応の薄さというのをよく覚えていますから。ドラマになると聞いたときは、にわかには信じられない気持ちでした」

こう話すのは、羽賀さんの妻でフリーアナウンサーの久下真以子さん(40)。

当時、地方の放送局に勤めていた久下さんは、2011年からパラスポーツの取材を開始、その魅力を発信し続けてきた。そして、その取材活動のなかで羽賀さんと出会い、2人は結ばれた。

「この15年で、競技や選手を取り巻く環境が大きく変化した実感は、家族になったいま、すごくあります。でも、まさかドラマになんて、思いもよりませんでした」

妻の言葉を隣で頷きながら聞いていた夫が、笑顔で言葉を継いだ。

「これまで、パラリンピックを見たことがなかった人も、ドラマなら見てくれるかもしれない。車いすラグビーという競技を知らなかった人に、知ってもらえるチャンスだと思っています。もし視聴率が10%だとしたら、単純計算で1千数百万の人に届くんだと。そういう期待感はすごくあります。

■車いすでも思いっきり走って、むちゃしていい

「自動車の整備士を目指し専門学校に進学したすぐあとのことでした。友人たちとツーリングに出かけたら雨が降ってきて。僕、ビビリなんで制限速度守って走ってたんですけど、転倒しちゃって。ガードレールに頭をぶつけて首の骨を。気がついたら、道路に横たわったまま動けなくなってました」

羽賀さんはその瞬間をこう振り返った。バイクの事故だった。手術を受け、2週間ほどのちに医師から「今後は四肢に麻痺が残る」と告げられたという。

「自分でも予想していたというのもあるんですが。同席していた母が、なんかその場を取り繕うように『大丈夫よ、私がついてるから』って、すごい早口で泣きながらしゃべっていて(苦笑)。

母に先に泣かれてしまったことと、そもそも、母の制止を振り切ってバイクに乗り始めていたこともあって。『自分は泣けないな』って。だから僕、そのとき一切、泣いてないんです」

とはいえ、当時の彼はまだ18歳。重い障がいが残った事実に、ショックはなかったのだろうか。

「よくわかってなかったんです、車いす生活の現実を。整備士はもう厳しいかな、とは思いましたけど『別に、車いす乗って暮らせばいいんでしょ』ぐらいの気持ちで」

ここで、多くのパラアスリートを取材してきた妻・久下さんが言葉を挟んだ。

「パラリンピアンって、障がいがある“事実”に自分なりに向き合っている印象です。最初に取材した池透暢選手も、そうやって一つずつ前に進んでましたし、倉橋香衣ちゃんも『やってもうた、っていうのが最初に思ったこと』って以前、話してましたから」

実際には、四肢が思うように動かせなくなって不自由を感じるシーンは生活のなかで随所にあった。

「大変なことは、めちゃくちゃありました。リハビリの最初のころは、ベッドから起き上がることすら無理でしたから。30秒ももたないんです、血が下がってしまってフラフラになって。最初はごはんも自分では食べられなかった。装具をつけゴムの力を利用して、食事を口に運んでました。

車いすに乗ることも最初はできなかった。でも、そういうさまざまなことが、ちょっとずつ自分でできるようになる。起きていられる時間も徐々に長く、ごはんも装具なしで食べられるように……。できることが増えていくのは、楽しかった」

手術を受けた病院から、羽賀さんが転院したのが、国立障害者リハビリテーションセンターだった。ここで彼は、車いすラグビーに出会い、魅せられる。

「最初の入院先で僕、車いすから転落しちゃって大騒ぎになったことがあって。『車いすの人って転んじゃいけないんだ』と思っていた。

ところが、見学した車いすラグビーでは、選手はドカンとぶつかって派手に転ぶ。それも平然と笑いながら。衝撃でした。『なんだ、車いすでも思いっきり走って転んでむちゃしていいんだ』と」

車いすラグビーを始めた羽賀さんの、もう一つの運命の出会いは2015年のこと。妻が振り返った。

「その年に独立し、上京。高知の放送局時代、最初に取材させてもらった池選手がバスケからラグビーに転向したとは聞いていて。ちょうど、東京で合宿をしているとのことだったので連絡して、改めて取材に行ったそのときです、夫と初めて会ったのは」

妻の第一印象を夫は「目が大きくて可愛い人だと思った」と話す。

「アナウンサーの女性が取材に来ると聞いていたんですが、やっぱり美人なんだな?と(笑)」

照れくさいのか久下さんは「女子アナの取材なんて、あのころはなかったからでしょ」と笑った。そして、その久下さんが抱いた羽賀さんの印象はというと。

「カッコイイというか、なんかシルエットがタイプでした(笑)」

その日から〈練習・取材〉〈皆で食事〉〈羽賀さんが車で久下さんを送る〉というパターンを繰り返し、徐々に2人の距離は縮まった。

そう、ドラマの中で涼(山田裕貴)と霧山人香(有村架純)がそうだったように。そして、2019年のこと。妻が当時を述懐した。

「一緒にいてすごく楽、ドライブ中に聴く曲の好みもドンピシャで。『今度、カラオケ行こうよ』と盛り上がり、毎日LINEもするように。カラオケの日、『その前に食事に』と誘われたのが、ふだんは行かないような夜景の綺麗なレストラン。そこで、告白されたんです」

彼からの申し出に、彼女は「少しだけ躊躇した」と打ち明けた。

「友人としてならなんの問題もないけれど、恋人となったら生活も含め多くの時間を共有するようになる。そのとき、自分は本当にこの人と抵抗なく生活できるのだろうかと。結果的にはまったくの杞憂でした。だってこの人、1人でなんでもできるんです(笑)」

(取材・文:仲本剛)

【中編】私たちは普通の家族、悩みや葛藤は誰もが抱えていてそれを乗り越えると誰にもGIFTは届くへ続く