Illustration by VICTOR JUHASZ

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第44代アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマが米Rolling Stone誌に特別寄稿。どれほど暗い時代にあっても、アメリカの進むべき道を示してきた音楽の歴史、歌が持つ力について──。

最初の大統領選キャンペーンの頃、私は討論会当日のルーティンにかなりこだわるようになっていた。少し迷信めいていたと言ってもいいかもしれない。短時間でも必ずトレーニングを済ませ、夕食はいつも同じものを頼む。そして本番の30分ほど前になると、スタッフから渡されたメモや想定問答を脇に置き、イヤホンをつけて、ただ音楽を聴くようにしていた。

最初は、マイルス・デイヴィスの「Freddie Freeloader」や、ジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」といったジャズの名曲を何曲か聴いていた。だが時が経つにつれ、自分の気持ちを正しい状態に持っていってくれるのはラップなのだと気づいた。逆境に抗い、すべてを賭けることを歌った曲──ジェイ・Zの「My 1st Song」や、エミネムの「Lose Yourself」は、いつもプレイリストに入っていた。おそらく、当時の自分がまだ挑戦者の立場だったことに、どこか重ねていたのだろう。会場へ向かうシークレットサービスのSUVの後部座席でひとり、ビートに合わせて体を揺らしていると、周囲を取り巻くあの仰々しさや儀礼的な空気、作りものめいた感覚が、すっと溶けていくのを感じた。そして意識は、自分にとって本当に大切なものへと戻っていく。自分を形づくってくれた家族や友人たち、自分を突き動かしてきた価値観や理想、そしていつか自分が代弁したいと願っていた、この国の各地にいる名もなき人々の声へと。

音楽にはいつだって、ほかの何ものにもできない形で、私たちに語りかけ、そして私たちの思いを語ってくれる力があった。だからこそ、アメリカの250年にわたる歩みを理解したいのなら、この偉大な国を形づくってきた音楽に耳を傾けることは、その最良の方法のひとつなのだ。

何百年も前、奴隷として連れてこられた人々が初めてこの国の海岸に足を踏み入れたとき、彼らの胸の中にあった音楽は、その先に待ち受ける過酷な運命を生き抜くための力と勇気を与えていた。スピリチュアルは単なる娯楽ではなかった。後にW.E.B.デュボイスが「奴隷が世界に向けて発した、明確なメッセージ」と表現したように、それは他者によって否定されようとした自らの人間性を、断固として主張するための手段だった。

その同じ精神は、女性参政権運動にも息づいていた。「Yankee Doodle」や「America (My Country, Tis of Thee)」の旋律に新たな歌詞を載せた集会歌は、デモ行進や抗議活動において重要な役割を果たした。そして、それらは誰もがすでに歌い方を知っている曲だったため、主催者たちは楽譜を配る必要すらなかった。ただ新しい歌詞を配ればよかったのだ。

その後、大恐慌の時代に貨物列車へ乗って各地を渡り歩いていたウディ・ガスリーは、ダストボウルで故郷を追われた移住者たちや移民労働者たちの歌に耳を傾けた。そして彼は、アーヴィング・バーリンの「God Bless America」への応答として「This Land Is Your Land」を書き、この国は特権や家柄に恵まれた者たちだけでなく、苦闘する人々や社会の周縁に追いやられた人々のものでもあるのだと訴えた。

この伝統がもっとも力強い形で花開いたのは、公民権運動の時代だった。その運動は、さまざまな意味で「歌う運動」でもあった。「We Shall Overcome」をはじめとするゴスペルソングは、牢獄の中や教会の地下室に響き渡り、警棒や放水車ですら断ち切ることのできない絆を生み出した。そしてワシントン大行進の場で、マヘリア・ジャクソンがキング牧師に向かって「夢について話して、マーティン!」と呼びかけたとき、彼女はまさに、優れた音楽家たちが常にしてきたことをしていたのだ。つまり、誰より先に真実へとたどり着き、私たち残りの者たちがそこへ追いつくのを待っていたのである。