ALS罹患の津久井教生が振り返る母の最期。「胃ろう造設・気管切開・人工呼吸器」の選択に影響した言葉

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”「ニャンちゅう」の声で親しまれた津久井さん。 ALSと診断され、発症から現在。日々の工夫がすごい。 最後は視線入力で書き上げられた本。 こちらが勇気をもらう。”

”医療的ケア者本人による、呼吸器と胃ろう装着後の体験談記事だって! 本人からの発信って相当貴重。とても参考になった!”

そんな声がSNSにあるのは、声優の津久井教生さんのこと。津久井さんは2019年9月に感覚はあるままに体が動かなくなっていく難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」の告知を受けた。告知後も2022年ニャンちゅう30周年も声をつとめ、2022年11月に羽多野渉さんにバトンタッチすると発表をした。2022年12月に気管切開と胃ろうを増設している。

津久井さんの著書『ALSと笑顔で生きる。 声を失った声優の「工夫ファクトリー」』は、津久井さんが体に異変を感じたときから難病告知を受けるまで、受けてからの変化、「ALSになるとはどういうことなのか」「介護される人の本音は」「気管切開や胃ろうをした人の感想」といった当事者の生の声である。さらにできなくなったときの工夫や声優養成所で長く教えてきた津久井さんが「声の出し方」のノウハウも詰め込んだ、実用エッセイでもあるのだ。

2026年5月10日母の日に、本書から津久井さんが母親についてつづった個所を抜粋紹介する1回では、2019年9月、津久井さんの検査入院中に旅立ってしまったときのことをご紹介した。2回目では、津久井さんが胃ろうや気管切開について大きな影響を受けた、2018年のときの母の言葉を紹介する。

意識を戻した母に言われたこと

「もうなにもしなくていいからね」

これは、誤嚥性肺炎で緊急入院し、治療として人工呼吸器を装着したのち、意識を戻した後の母から言われた言葉でした。何度か危篤状態になった母は、数度目の生還のあとに 「これじゃあ死ぬ死ぬ詐欺よね」というようなことを言うお茶目な面がありました。

誤嚥性肺炎から生還したときも、目を開けて最初に「あれっ?」という表情をしまし た。そして、人工呼吸器装着の治療の経過の話や、危ない状態だった話をすると「あれで逝けてたんだ」とぽつりと言って、私をあわてさせました。そのとき、いろいろとその場を盛り上げる私に、にこやかに言った言葉がそれだったのです。

その瞬間、頭の中がほわっと真っ白になりました。「余計なことをしちゃったのかな」 という思いが頭をよぎりました。その後は長期療養の病院にお世話になりましたが、胃ろう造設をせずに経管栄養法で過ごす選択をしました。母の場合、再び誤嚥性肺炎を起こす可能性も高かったですし、母と私で話して決めました。

ここでも判断の源となっていたのは「なにもしなくていいからね」だったと思います。

「息子としてやれることをやったのか?」

でも思うことはたくさんあります。まずは患者側ではない、家族などの側が思うことは「なにかできることはないのか?」なのだと思います。こちら側のエゴの部分も多大にあると思いますが、「息子としてやれることをやったのか?」という自問がぐるぐると回るのです。母の言葉があったからこそ、最低限の治療以外のことはしないで自然に過ごすという選択になりました。

母は、私が病名を探す検査入院の真っ最中に天に召されました。人に迷惑をかけることを苦手とする母らしい旅立ちでした。見送る息子としては、もう少し迷惑かけてくれてもいいのにと思いましたが。

旅立つ前の母の3ヵ月は、まさにゆるゆると老いていく感じだったのですが、あれが本当に母の望んでいたことなのだろうか、もう一回実家の庭の梅の木にたわわに実っている梅の実を見せてあげられなかったのか? そして私の具合が悪くなって最後見送ることができなかったのがふがいなかった… …などなど旅立たれた後に振り返ると、そこで初めて気がついてしまうこともたくさんあって、取り返せないとはわかっていても気持ちがキュッとなるのです。

「こうすれば正しい」はないからこそ

自己満足の部分があると十分にわかっていても、考えずにはいられないことが「どうすればよかったんだろう」なのだと思います。それも、故人に対する大切な思いだと考えるようにしています。

今、患者側に立っても「どうするのがよかった」のかはわかりませんし、「こうすれば 正しかった」はほとんどないと思います。だからこそ、「胃ろう造設・気管切開・人工呼吸器」の選択をするときに家族などを始めとした周囲の方々に「津久井は最終的に決めたことに満足している」と思われるコミュニケーションをしていこうと考えていました。

【前編】ALSに罹患した津久井教生が振り返る母の思い出「母はALSの検査入院中に天国に旅立ちました」