本塁打が投ゴロに…“ミスタープロ野球”長嶋茂雄が生んだ「伝説の珍プレー」の数々
プロ野球史において、「珍プレー」を最も象徴する存在は誰か。その問いに真っ先に名前が挙がるのが、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄だ。プロ野球の伝説の珍プレーを4回にわたって紹介するゴールデン・ウィーク企画。最終回は、スポーツバラエティ番組で珍プレーが定番になる以前に、球史に残る名場面とともに愛すべきハプニングを何度も生み出してきた長嶋の軌跡を振り返る。【久保田龍雄/ライター】
【写真】長嶋茂雄記念岩名球場のリニューアルオープンに駆けつけた長嶋茂雄氏の現役時代を彷彿とさせるユニフォーム姿
慌てちゃったね
まずは巨人入団1年目の“ベース踏み忘れ事件”だ。本塁打を放ちながら得点が幻となり、まさかの投ゴロに格下げされた珍事である。1958年9月19日の広島戦。スコアは1対1の5回2死。ルーキーながら4番を任された長嶋は、カウント1-2から鵜狩好応の甘い球を捉えた。打球は左中間スタンドへ飛び込んだ。

勝ち越しの28号ソロに、長嶋は歓喜の表情でダイヤモンドを一周した。ところが直後、思いもよらぬどんでん返しが待っていた。マウンドの鵜狩からボールを受け取ったファースト・藤井弘が、一塁ベースにタッチする。「長嶋は一塁ベースを踏んでいない」と一塁塁審にアピールしたのだ。
竹元勝雄塁審は見逃していなかった。「ベースの手前約10センチでターンし、完全に塁をまたいだ」と証言。アウトが宣告される。巨人の勝ち越し点は取り消された。アピール時に鵜狩がボールを持っていたため、記録は投ゴロとなった。同年、長嶋は打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁を記録。新人王、本塁打王、打点王を獲得する。一塁を踏んでいれば30本塁打。新人初のトリプルスリーも見えていた。この苦い経験は後年に生きる。59年、64年、71年と3度、相手のベース踏み忘れを見逃さず、アピールアウトにしている。
お次は有名な“三角ベース事件”だ。
1960年6月25日の広島戦。巨人は1対0とリード。4回、先頭の長嶋が左前安打で出塁し、無死一塁のチャンスをつくる。次打者・国松彰の打席でヒットエンドランがかかる。長嶋はスタートを切ったが、打球は平凡な左飛となった。
二塁を回っていた長嶋は、レフト・大和田明の捕球を見ると慌てて一塁へ戻る。しかしルール上は二塁ベースを踏んでから戻らなければならない。長嶋は二塁に目もくれず、そのまま一塁へ走った。直後、ファースト・興津立雄が二塁へ送球。カバーに入ったショート・古葉竹識がベースに触れ、アピールアウトとなった。
このプレーが響き、巨人は1対2で逆転負け。試合後、「慌てちゃったね」と長嶋は頭をかいた。このミスは繰り返される。64年5月21日の中日戦、68年5月16日の大洋戦でも同様のプレーでアウト。通算3度記録することになった。60年8月21日の国鉄戦では、1対1の1死二塁、敬遠で出塁した直後、王貞治の左飛が抜けたと勘違いして全力疾走。二塁走者・藤尾茂が制止したが、勢い余って追い越してしまう。史上5人目の追い越しアウトとなった。
敬遠するにも工夫が要る人
次は敬遠への“抗議”とも言えるパフォーマンスだ。
1968年5月11日の中日戦。0対0の9回2死二塁。4番・長嶋に打席が回る。
一塁が空いているため中日バッテリーは敬遠を選択。2ボールになると、長嶋はバットを放り投げた。素手で打つ構えを見せ、スタンドは大爆笑に包まれた。“武装解除”した長嶋に対し、バッテリーがどう対応するか注目が集まる。しかし中日は動じず、そのまま四球で歩かせた。
71年6月17日の広島戦でも同様の行動を見せる。7回2死三塁。3球続けて外されると、再びバットを放り投げた。「バットなんか持っていてもしょうがない」そう語りつつ、「ストライクが来たらすぐ拾って打つ」とも明言している。
72年7月1日の大洋戦でも同じ光景が見られた。1点リードの9回1死一、三塁。再び敬遠を受ける場面だ。「“よし一発!”と思ったけどね」試合後、そう語りながら「歩かされて当然」と冷静に振り返っている。一連の行動は、ファンへのサービス精神とも言えるだろう。
当時の大洋捕手・伊藤勲は後年こう語っている。「とんでもないウエストボールでも平気で打ってしまう人ですから、バットを持っていない方が安心でした(笑)。普通の人より半歩足を外に踏み出して外さないと危険でしたから、敬遠するにも工夫が要る人でしたね」
実際、長嶋は60年7月16日の大洋戦で、6回2死二塁から顔の高さの敬遠球に飛びつき、左翼線にタイムリー二塁打を放っている。まさに予測不能な打者だった。
打者とバッテリーのかけひきが凝縮された“4球のドラマ”。申告敬遠が導入された現在では、もう見ることはできない。”天然の閃き“とも言うべきプレーで球場を沸かせ続けた長嶋茂雄という存在は、時代の空気ごと、今も語り継がれている。
久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)
デイリー新潮編集部
