KNB北日本放送

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激しいコンタクトとスピーディーな試合展開が見どころの車いすバスケットボール。この車いすバスケに情熱を傾ける18歳の青年がこの春、富山大学に入学しました。青年の名前は、中村凌さん。新たな挑戦をする中村さんを追いかけました。

富山県車椅子バスケットボールクラブ。県内各地で週3回、練習を行っています。東京パラリンピック銀メダリストの宮島徹也選手や、岩井孝義選手など日本のトップ選手が在籍しています。

車いすバスケは、障害の程度により「持ち点」があります。障害の重い選手の持ち点は1.0。軽い選手は4.5。コートに出ている選手5人の持ち点合計を14点以内に収めながら、試合を行います。

中村凌選手はチーム最年少の18歳です。

去年6月。23歳以下の日本代表として世界選手権に出場しました。

中村選手の持ち点は障害の重い1.5。

中村さん
「僕は障害が重いローポインターの選手なので、相手のディフェンスや、ハイポインターと言われる障害の軽い選手にどう得点させるかが重要になってくる」

腹筋が弱く、シュートの成功確率が低い中村選手ですが、車いすバスケは、障害の重い選手と軽い選手がバランスよく混ざるように工夫されているため、中村選手もチームに貢献することができます。

中村選手はこの春、大門高校を卒業し、富山大学に入学。新たなスタートラインに立ちました。

中村さん
「高校とだいぶ環境も変わるし、ちょっと不安な部分もあるけど、いろんな新しいことに挑戦できる時間でもあるので、すごく楽しみです」

幼いころから活動的で、車いすとは無縁の生活でした。

小学3年生のとき、スノーボードを始めました。これからもっと上手くなりたいと思っていた小学4年の夏の終わり、突然、足の痛みに襲われます。「急性弛緩性脊髄炎」腹筋や下半身の筋力が低下し、そのまま車いすの生活を余儀なくされました。

中村さん
「病気になって最初のころは『なぜ自分が』と考えることがあったが、普通に健常者として生きていたらできない経験もたくさんさせてもらっているので、後悔なく…全てに対して全力で取り組んでいきたい」

車いす生活になりましたが、中学生になった中村選手は、いろんなものに挑戦します。体幹を鍛えるためハンドバイクの大会に出場したり、1シーズンだけでしたがチェアスキーにも挑戦しました。

そんな中、中学2年の時に出会ったのが、車いすバスケットボールでした。

中村さん
「自分の場合は体幹が安定しないので、スピードが出たりしたら振られたりするので、安定感がないのが最初は慣れなくて大変でした」

練習や外出などは、両親の手助けが欠かせない毎日です。そんな中、この日、中村選手が訪れたのは自動車学校。大学進学を機に新たな挑戦を始めました。左手でブレーキとアクセルを制御できる特別な車で教習を受けます。

教官
「ここで速いなと感じたらさらにブレーキ。ちょっと速いかもしれない」

中村さん
「普通の人だったら自転車とか免許を持っていなくても、ある程度行動範囲はあるが、(自分は)ないので車を持つことによって行動範囲はかなり広くなるので、すごく楽しみです」

中村選手にとって「自分の力で移動する」、それは自立への大きな一歩でもあります。

今年2月。障害者スポーツ支援の一環として24時間テレビチャリティ委員会から中村選手に競技用車いすが送られました。これまでのものは中学から使っていたもので、身体に合わなくなっていました。

中村さん
「漕いだ感覚は前のものよりも軽く感じるし、まだ不慣れな部分もあるんですけど、これから頑張って練習をして慣れていきたい」

先月、中村選手は新しい車いすで国内最大の大会「天皇杯」に出場しました。見事得点も挙げ、チームの初戦突破に貢献しました。

宮島徹也選手兼監督
「1.5の持ち点でかなり障害が重いですが、可能性は未知数だと思うので一生懸命やってもらいたい」

23歳以下の日本代表とはいえ、チームではまだ控え選手。今は、仲間が試合形式の練習をする横で、車いすのハンドリングと持久力を養う練習を黙々と行っています。手のひらに刻まれた無数のマメは努力の証です。

これまで何度も乗り越えてきた大きな壁。その全てが中村選手の強さとなり、これからの新たな舞台での活躍へとつながっていきます。

澤越アナウンサー
「いよいよ大学が始まりますが」
中村さん
「いろいろ新しいことも始まると思うのですごく楽しみです。何事にも手を抜かず頑張りたい」

新たな物語が、この春始まりました。