全員親戚!? 明治から令和まで歌舞伎界「十大名家」の知られざる人間ドラマを一望する
明治から令和まで、劇界を動かしてきた十大名家の興亡史をひもとく注目の新刊、『増補新版 歌舞伎 家と血と藝』。旧版刊行から13年、歌舞伎ファン必携の名著が最新の動向まで盛り込んで完全リニューアル!(おどろきの200ページ増!) 当代の役者たちが背負っている歴史がすべてわかる、ありそうでなかった決定版。
(本記事は、中川右介『増補新版 歌舞伎 家と血と藝』の一部を抜粋・編集しています)
家の継承と劇界の権力闘争
旧版『歌舞伎 家と血と藝』は二〇一三年八月に刊行され、版を重ねてきた。刊行から十年以上が過ぎて、それぞれの家で当主の世代交代がなされ、亡くなった人もいれば、力をつけてきた若い役者もいるので、この十数年の動きを加えた増補新版として、改めて出すことになった。
歌舞伎の名門家は父から子への血による世襲によって、藝と名跡と家が継がれていく。
藝だけならば、優秀な弟子に継がせればいいし、実際、徳川時代から明治・大正までは実子が継ぐ家は少なかった。戦後になって、たまたまほとんどの役者の家で男子が生まれたこともあって、血による世襲が当たり前になったのである。
歌舞伎は四百年以上の歴史を持つ。そのなかで大きな転機となったのは、明治維新だった。徳川時代、歌舞伎は管理・弾圧の対象だったが、維新後は日本を代表する演劇となった。その新時代を牽引したのが、東京では九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎であり、この二人の子孫たちが、その後も劇界の中心にいる。
その周辺にいる家も含め、本書では、
市川團十郎家
尾上菊五郎家(市村羽左衛門家、坂東彦三郎家)
中村歌右衛門家
片岡仁左衛門家
松本幸四郎家
中村吉右衛門家(中村歌六家、中村時蔵家)
守田勘彌家(坂東三津五郎家)
の七家と、明治以降の新興名門である
市川猿之助家
中村鴈治郎家
中村勘三郎家
の三家を加えた十家で、血統と名跡と藝とがどう継承されていったかを記していく。
本書は役者たちの「藝」を解説し、批評するものではない。歴史読み物として書かれ、さらに「家の継承」という縦軸の物語だけでなく、劇界での「権力闘争」という横軸の物語も描かれる。
歌舞伎の演目には「お家騒動」を題材にしたものがいくつもあるが、現実の歌舞伎の世界でも家ごとに後継者をめぐる「お家騒動」めいたものがある。さらに劇界全体を俯瞰すれば権力闘争もあった。
では、芝居の世界における「権力」とは何であろう。どんな業界にもその世界でのトップを目指す競争はあるし、「人間が三人集まれば派閥ができる」と言われるようにどんな組織・集団にも派閥はある。本書が描くのも、その程度の意味での権力闘争なのだが、具体的には、「歌舞伎座の舞台で主役を演じること」を求めての闘争である。
現在の歌舞伎の興行は、大半が松竹という民間企業が主催している。その「松竹大歌舞伎」はいくつもの劇場で開催されるが、東京の歌舞伎座の舞台で主役を勤めることが、役者の目標である。それは歌舞伎座が劇界で最高位の劇場だからである。そうなったのは明治以降でしかないのだが、逆に言うと、明治以降の歌舞伎の世界は歌舞伎座を頂点とした構造となっている。さらに、その歌舞伎座で主役を勤めることができるのも、前掲の十家出身の役者が大半という構造になってしまった。
歌舞伎座で主役を演じるために必要なのは、もちろん、「藝」である。さらに、興行である以上は「人気」も必要だ。だが、それだけではない。やはり「政治力」が必要なのだ。といって、政治力に長けているだけでは、「影の実力者」にはなれるかもしれないが、舞台の上での主役には、なれない。藝・人気・門閥・政治力が揃った者だけが、劇界の頂点に立てる。
さらに役者個人の「藝」や「人気」もさることながら、その「家」の歴史や格式といった要素が大きく左右する──いわゆる門閥主義が残っている。というよりも、門閥で成立している世界と言ったほうがいい。そして、その門閥を支えているのが「世襲」制度である。
先に挙げた家に生まれた子は、とりあえず、子供の頃から舞台に立ち、青年期から大役に抜擢される。その過程で実力がなければ主役コースから脱落するが、その逆はない。つまり、門閥外から歌舞伎の世界に入り、にもかかわらず、主役に抜擢されることは、ごく一部の例外を除いて、ありえないのである。たとえば坂東玉三郎や片岡愛之助は歌舞伎の世界の外で生まれながらも劇界の中心に立っているが、彼らも名門家の養子となり門閥に属しているからこそ、その地位にあるのだ。
劇界の十家寡占体制は揺るぎない。十家は縦のラインである親子関係のみならず、複雑きわまりない姻戚関係によって、ひとつの巨大ファミリーを形成している。「歌舞伎役者の八割は親戚だ」と言われている。そこで、十家の家系図をひとつにし、カバー裏に載せたので、ご覧いただきたい。血のつながりのない養子・姻戚も考慮すれば、全員が親戚である。これを平安時代の天皇家と藤原摂関家みたいと考えるか、人口数百人の限界集落みたいと考えるかだが、いずれにしろ、その家系図は複雑だ。
親戚によって形成されている世界だが、ここでも勢力争いは常にあり、劇界勢力図は流動してきた。
十家に匹敵する歴史を持ちながら凋落している家も多い。とくに「関西歌舞伎」の名跡は、片岡仁左衛門と中村鴈治郎の二家しか残っていない。一方で市川猿之助家のように明治以降に確立された新興勢力もある。
各家には盛衰の歴史があり、さらには各家内部にも闘争や確執がある。たとえば、兄弟が何人もいれば、誰が父の名を継ぐのかという跡目争いが勃発する。
この「世襲」「門閥」による十家寡占体制は、しかし、四百年続く歌舞伎史の最初期から続いているものではなく、この百年ほどの間に確立したものに過ぎない。多くの家は徳川時代から続いているが、家が血統──とくに男系の男子で継承されるようになったのは、実は明治以降のことで、徳川時代は養子が継いだほうが多い。
芝居の世界では、顔立ちのいい子がいたら、貰い受け(あるいは買い取り)、役者として育てて、後を継がせるほうが一般的だったのだ。それが、明治以降、歌舞伎役者の社会的地位が飛躍的に向上するのに伴い、実子に継がせるようになっていく。たまたま明治半ばの時期にその名跡を名乗っていた役者が、それを既得権益化し、自分の子に継がせるようになっていくのだ。その意味で、明治維新の功労者たちが爵位を得て名家となったのと似ている。そして戦後、爵位は廃されたが、歌舞伎役者の名跡は残ったのである。
現実社会での華族制度は廃止され貴族階級はいなくなったが、「梨園のプリンス」などと呼ばれるように、歌舞伎役者は擬似的貴族となっている。文化勲章、藝術院会員、人間国宝といった制度もそれを支えている。そこには、なんらかの権力があり、権力あるところ、権力闘争があるのだ。そして闘争である以上、勝者と敗者とがある。
そういう、劇界の権力闘争を展開してきた家ごとの歴史を知ることで、歌舞伎座で活躍する役者たちが背負っている歴史が分かるはずだ。そんなことを知らなくても、歌舞伎は楽しめるが、知っていれば、また別の楽しみがある。
