日本時間1961年4月12日15時7分、ソビエト連邦(当時)のバイコヌール宇宙基地から人類史上初の有人宇宙船「ボストーク1号(Vostok 1)」が打ち上げられました。搭乗していたのは空軍パイロットのユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)。2026年4月12日で歴史的なボストーク1号の飛行から65周年を迎えました。


【▲ ボストーク1号に乗り込んだユーリ・ガガーリン(Credit: Роскосмос/РГАНТД)】

有人宇宙活動の幕開けとなった108分の飛行

当時のソ連はアメリカと冷戦状態にありました。互いに核兵器を保有する両陣営は、核弾頭を運搬するミサイルと表裏一体であるロケットの開発に力を注ぐようになります。


日本時間1957年10月5日、ソ連は人類史上初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、西側陣営にスプートニク・ショックがもたらされます。ボストーク1号による人類初の有人飛行は、スプートニク1号の打ち上げから3年半後に実施されました。


【▲ ボストークロケットの打ち上げ(Credit: Роскосмос)】

ガガーリンを乗せて現地時間4月12日朝9時7分に打ち上げられたボストーク1号は地球周回軌道(遠地点高度327km・近地点高度181km)に乗ることに成功。人間が宇宙空間を探索できることが初めて実証されました。地球を1周した後に大気圏へ再突入したボストーク1号のカプセルは、打ち上げから108分後の現地時間10時55分、ロシア南西部にあるボルガ川沿いの都市エンゲリスから南西26kmの地点に着陸しました。


ボストーク宇宙船の直径2.3mのカプセルには、打ち上げでトラブルが起きた時や地球への帰還時に、宇宙飛行士を船外へ脱出させるための射出座席が備えられていました。ガガーリンは高度7kmで船外へ射出された後に、パラシュートを使って地上へ降り立っています。


思いがけずガガーリンの帰還に立ち会い、明るいオレンジ色の宇宙服に身を包んだ彼がパラシュートを引きずる様子に驚いて立ち去ろうとした地元の親子に、ガガーリンは「怖がらないで」などと声をかけたと伝えられています。


【▲ 着陸したボストーク1号のカプセル(Credit: ESA, Novosti/alldayru.com)】

世界の英雄となったガガーリンと歴史に刻まれた言葉

打ち上げ直後に中尉から少佐へ昇進したガガーリンはソ連の英雄となり、日本を含む世界各地を訪問しましたが、万一の事態で英雄が失われることを当局が危惧したために、ガガーリンの宇宙飛行はボストーク1号が最初で最後の経験となりました。


大佐へ昇進した後の1967年4月に打ち上げられた「ソユーズ1号」ではウラジミール・コマロフ(Vladimir Komarov)宇宙飛行士のバックアップに任命されたものの、さまざまなトラブルが発生したソユーズ1号は帰還時に地上へ激突し、コマロフ宇宙飛行士は殉職。宇宙飛行からいっそう遠ざけられることになったガガーリンは、1968年3月に飛行訓練中の墜落事故で命を落としています。


【▲ 1965年のパリ航空ショーにて、NASAのジェミニ4号に搭乗したエドワード・ホワイトおよびジェームズ・マクディビットと握手を交わすユーリ・ガガーリン(Credit: NASA)】

ガガーリンといえば彼の言葉として伝えられている「地球は青かった」が有名ですが、当時録音された音声記録には、打ち上げ時に「パイェーハリ」(英語で「let's go」、日本語で「さあ行こう」の意)と発した彼の声が残されています。


この言葉は、ボストーク1号の打ち上げから8年後にNASA(アメリカ航空宇宙局)が成し遂げた「アポロ11号」による有人月面着陸や、2000年11月の開始から25年以上が経ったISS(国際宇宙ステーション)での長期滞在へと続く、人類の有人宇宙活動の幕開けを告げるものとなりました。


民間へと広がる有人宇宙飛行 そして人類は再び月へ

当初はアメリカとソ連による熾烈な宇宙開発競争の中で進められた有人宇宙飛行でしたが、その後、宇宙への門戸は世界へと開かれました。現在では日本をはじめとする各国の宇宙飛行士が誕生し、ISSなどを舞台に国際協力の下で数多くのミッションを遂行しています。


さらにここ数年、有人宇宙活動は新たなフェーズに突入しています。アメリカ企業スペースX(SpaceX)の宇宙船「クルードラゴン(Crew Dragon)」の本格的な運用により、政府機関に所属するプロの宇宙飛行士だけでなく、民間人だけでの有人宇宙飛行やISS滞在ミッションが行われるようになりました。2026年4月時点でNASA長官を務めるジャレッド・アイザックマン(Jared Isaacman)氏も民間宇宙飛行士の一人で、民間初の船外活動を含む2回の宇宙飛行を経験しています。


【▲ アルテミスIIミッションのオリオン宇宙船の太陽電池パドルに取り付けられているカメラで撮影された「地球の入り」(Credit: NASA)】

そして今、人類の眼差しは再び月へと向けられています。日本時間2026年4月11日には、アメリカ主導の有人月探査計画「アルテミス(Artemis)」初の有人ミッションとして、4名の宇宙飛行士を乗せて月周辺を飛行した「アルテミスII(Artemis II)」の宇宙船「オリオン(Orion、オライオン)」が地球へと帰還を果たしました。アポロ計画以来となる人類の月面着陸、そしてその先の火星探査に向けて、歴史的な一歩が刻まれたばかりです。


ガガーリンが切り拓いた有人宇宙活動への道。65年前の1人のパイロットによる挑戦は、今や国境を越え、民間に広がり、そして再び深宇宙へと向かう人類の未来を切り拓く挑戦として、確かな歩みを続けています。


【▲ NASAジョンソン宇宙センターで開催された式典に出席したNASAのジャレッド・アイザックマン長官(右)とアルテミスIIミッションのクルー一同(Credit: NASA/Helen Arase Vargas)】

 


本記事は2021年4月9日公開の記事を再構成したものです。


文/ソラノサキ 編集/sorae編集部


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